会議その後
今日も今日とて些か頭がオーバーヒートしそうです。
全て終わって部屋に戻ると、雨子様が麦茶のグラスを二つ持ってやって来た。
「ほれ」
そう言いつつベッドに腰掛けている僕にグラスを渡してくれる。さっきまでの熱気が覚めやらぬ部屋の中で、グラスの氷が立てたカランという音が、なんとも涼しげだった。
「ありがとうございます」
僕はそう言って受け取るとよく冷えた麦茶で喉を湿した。
一般家庭で行われた会議とは思えない物だっただけに、未だに現実感が伴わない。
窓の外からは遠くに虫の声がする。都会の街中にある静かな暗騒音の中に、彼らの鳴く音がとても美しく目立っている。余りの落差に、思わず現実逃避をしてしまいたくなる僕がいた。
「祐二よ、大丈夫かえ?」
雨子様は僕のことを気遣ってくれているのだろう。そう言いながらどこか不安そうな表情で僕の目の奥を覗き込んでくる。
ああ、気を遣わせてしまった、だからこそ雨子様は自ら麦茶を持ってきてくれたりもしたのだろうな…。
「ええ、何とか…。ただ自分がもしかすると人間の生き死にを左右するかも知れないところに居合わせたかと思うと、やっぱり何だか気持ちが落ち着きません」
そんな僕の言葉に雨子様は優しくほんの少しだけ微笑んだ。
「それはそうじゃろうな、そなた等は今の時代、かつての頃に比べると特に生き死にから離れたところに居る。故にそう言った事柄に絡むことになると、ついつい迷いを持ってしまうことが多い。それはある意味とても幸せなことでもある」
そう言うと雨子様は手の中に有るグラスをゆうるりと回す。麦茶の中に浮かぶ氷がぶつかり合い、微かに鈴のような音を立てる。
「幸せなこと、幸せに思っても良いのでしょうか?」
「うむ、長らくの時間を掛けて、幾世代もの大人達が苦労に苦労を重ね、子供達が直接、死に対峙することが無いようにと、頑張り抜いたその結果よの。よって大人達の努力に感謝しつつも、そなた等子供達は幸せであることを享受しても良いのでは無いか?」
そこまで言うと雨子様は氷を一欠け口に含み、がりんと噛みしだいた。
「だがそうで有るが故に、逆に上手く判断を下すことが出来ず、迷う…仕方の無いことじゃ。だがの、祐二。そなたはそなたなりの考えを持って必要な判断を下し、意見を述べたことを我は知って居るつもりじゃ」
「あそこに居る付喪神が悪しき存在であるというのは確定しているのでしょうか?」
僕は迷いの元の一つについて思いを述べた。
雨子様は机の上に、こんと麦茶のグラスを置くと、僕の横に座った。
「善悪というのは簡単なようであって、その実、得体の知れないところが有るの。思うに彼奴にとって自分の行動と言うのは、何ら悪と思えるところは無いかもしれん。じゃが我々の目からすると、人の意識を乗っ取り、更には人が作り上げてきた社会を自分の都合の良い物に作り替えようとする存在は、悪であるとしか言いようが無いじゃろう。そう考えると祐二、そなたにとっての善悪はどうじゃ?」
「そうですね、何らかのレッテルを貼らなくてはならないとしたら、やはり悪となってしまいますか…」
「うむ、そう成らざるを得ぬの。そしてそれをどう滅するのか?我らとて巻き添えにして多くの人が死ぬのは望ましいことでは無い。そのことは述べるまでも無く重々考えて居ったことじゃ。じゃがの、更に多くの人の生き死にと天秤に掛けた時、我らは容易く判断を行う用意がある。そしてあの時それも致し方の無いことになるかと考えて居った」
僕は先ほどの会議の中で神々があえて口にしようとしなかったことを、今聞いている、そう思った。おそらくこれは雨子様の僕に対する思いやり故の説明なんだと思う。
「そしてその行為に対する責任は我らが取るつもりであった、が、いくらそうは言ってもそなたは少なからず自分自身にも責任があると感じるに違いない。我も和香もそう思って居ったのよ。だから我らはいかなる攻撃手段を取るかと言うことよりも、むしろそなたの心をどう守るかと言うことにこそ腐心した」
僕は思いも掛けぬところで雨子様が、僕の為に色々と考えていたことに今更ながら気が付かされた。もしかするとこのこと以外にも、僕の知らないところで沢山のことを考えてくれているのかも知れない。そう思うと自然に頭の下がる思いがする。
「じゃからの、そなたがあのような、我らの思いも掛けぬ方法を提案してくれたこと、本当に有り難く思ったものじゃ」
雨子様のその言葉に思わず僕は苦笑した。
「でもそれって僕が苦労掛けている分を、ほんの少しだけ自分自身でカバーした様なもんじゃ無いですか?」
僕のその言葉を聞くと雨子様はきょとんとし、その後直ぐに吹き出すようにして笑った。
「くはははは、確かにの、見ようによってはそう取れるかも知れぬの。まあ祐二についての部分はそうじゃの。じゃがの、そなたの手法は人の生き死にへの波及を最小限に出来る可能性がある。そのことが大事なのじゃ」
「それは?」
と言いつつ何となく僕はその答えが分かるような気がしていた。
「うむ、我は先ほどいかなることがあったとしても、その責任を取るつもりであると言ったがの、じゃが、じゃがいかな我らが神を称する者であったとしても、人と変わらぬ思いを持つ部分もあるのじゃ。故にやはり我らにとっても人の死が少ないに越したことは無い」
そう言うと雨子様は僕の胸元にコツンと額を付けてきた。
「じゃから正直、我はそなたに助けられたと思うて居るのじゃ。そしてこの思いはおそらく和香をして異なる物では無いと思われる。ただの、あやつはああ見えて実は途方もなく照れ屋じゃ。じゃからあやつに変わってその分も我が礼をゆうて置くぞ。ありがとう祐二」
「あ、ありがとうだなんて…」
僕はいきなり雨子様に礼を言われるなどと思ってもみなかったので、多分に戸惑っていた。すると雨子様はふっと下から僕のことを見上げながら、満面の笑みを浮かべつつ言う。
「そう言う時はの祐二。どういたしましての一言で良いのじゃ」
僕の胸の奥で、と有る臓器がとくんと音を立てる。僕にはどうしてそんな音が鳴るのか良く分からなかった。
でも雨子様のその優しい言いようがとても嬉しいものに思えるのだった。
「ところで…」
僕がそう言葉を繋ぐとそっと雨子様が胸元から離れた。
「例の神の杖なんですが、上手く行くものなんでしょうか?」
「何じゃ祐二、自分でゆうて居って心配になったのかえ?」
そう言うと雨子様は僕の鼻をくいっとつまんで捻った。
「いたたた、なんで急に?」
「当たり前じゃ、我も和香もそなたがよくぞあの考えを出した物じゃと感心して居ったのじゃぞ?それを今更なんぞ?」
そう言う雨子様は僕の顔を見ながら少しばかり呆れている。
僕はそう痛い訳でも無かったのだけれども、捻られた鼻をそっとさすりながら言った。
「だってあれから色々と考えていたら、気になることが色々出てくるんですから仕方が無いじゃ無いですか?」
ほんのちょっとだけ涙目になっている僕の頭を雨子様はちょっぴり申し訳なさそうに撫でた。
「で、何が気になって居るというのじゃ?ゆうてみよ」
そう言われて僕は、不安に思っていることを正直に雨子様に述べることにした。
「一つには神の杖を上から落とす時のことなんです」
「うむ」
そう言いながら雨子様は腕を前で組んだ。む?何だかいつもより偉そうに見える?
「ニーは落とす物体重量が約六百キログラムって言っていたのだけれども、それを軌道上から落とすことによって生まれるエネルギーだけで、はたして目的の物が破壊出来るのかなって思ったんです。万が一でも付喪神の居る部屋が十二分に防護されてでもいたら、大丈夫なのかなと。勿論速度を上げれば良いのですが、でも速度を上げてしまうと軌道から弾き飛ばされてしまうし…」
僕がそう自分の心配している話をすると、雨子様はくすくすと笑った。
「何じゃそなた、そんな事を心配しておったのかえ?」
「そうなんです」
「まあそなたの心配もある意味では正しいの。じゃがそれは神の杖を地球周回軌道上に置くとしての話じゃ。確かに人類が人間を相手に使用する為なら、そう言う使い方をせねばならないという制約もあるじゃろう。じゃが我らにそのつもりは無い」
「と言うと?」
僕は正に遠大なSFストーリーを聞いているような気持ちになってわくわくしていた。
「我らは神の杖を土星の公転軌道程の距離まで移送、そこから軌道を設定して目的の地点に落とし込むつもりじゃ」
「へ?なんでまたそこまでするので?」
「それはひとえに落下物の正体を太陽系外から侵入してきた自然の物と誤認させる為じゃ」
「呆れた、そこまで徹底させることを考えて居られたのですか?」
「うむ」
「そんなところから北京紫禁城故宮の一地点に?針の穴を通すどころの騒ぎじゃ無い…」
その凄まじいばかりの精度を考えると、僕は開いた口が閉まらなかった。
「だからなのか?」
「む?何なのじゃ?」
「だってニーが自分の能力では無理だって言っていたじゃ無いですか?あれほどの存在がそんな事を言うなんてちょっと妙だなって思っていたんですよ」
「なんとまあそなたはあの時、そんな事を思って居ったのかえ?逆にその方が驚きじゃの」
雨子様のその答えを聞いていた僕はもう何だか笑えてきてしまう。
「で、可能なんですか雨子様?」
「うむ。神の杖の本体が用意されるまでの間に、通過軌道上に干渉する可能性のある全ての物体を精査しておく所存じゃ」
僕は学校で習ったことを思い出しながら問うた。
「途中小惑星帯とか有るだろうから相当大変なんでしょうね?」
すると雨子様はきょとんと僕を見た後、諭すように話してくれた。
「のう、祐二よ、どうしてそなた等人間は何事も公転軌道面で物事が進まねばならぬのじゃ?」
「?」
僕には雨子様が何を言っているのか良く分からなかった。
「ようテレビのアニメとかでやって居るが、太陽系外から地球に攻めてくるに、天王星等の外惑星から土星・木星・火星の順に敵が来居る。じゃが実際、敵の進行方向にそのように都合良く惑星が並ぶことはまず無いであろうし、太陽系外から攻めてくるほどの機動力があるのであれば、公転軌道面から外れたとしても何ら問題が無いで有ろうに」
「あ~~」
まさに雨子様が言う通りだった。
「ただ勿論そう言う方向から進入する場合でも、障害物がゼロで有る訳では無いが、それでもまだ御しやすいかの」
「はぁ…何だか頭がパンクしそうです…クールダウンするのにお風呂に行ってきます。それとも雨子様が先に行かれますか?」
「よい、今暫し虫の声など聞いておるは。先に入ってくるが良いよ」
そう言われて僕はお風呂に入ることにした。そんな日常の当然が実はとても有り難いことなんだとふと思い当たる。雨子様の言う大人達の累代に渡る努力、こんなところにもあるのだなあ。
こう言う根の詰まる回を書いた後は、ついついおちゃらけた話を書きたくなりますね…




