神様と僕
前の作品を書いて以降、首の痛みに悩まされてしばし制作から遠ざかざるを得ませんでした。ここのところ何とか小康状態になってきたので再び参戦開始です。どこにでもいる男の子とちっぽけな社に住む神様の物語。さてどんな展開になっていくことやら…
それは僕が小学校に入る前の、年端もいかない子供の頃の話だった。
僕には十ほど年の離れた葉子という姉がいた。利発で活発な上面倒見の良い、姉としてこの上もなく理想的な存在だった。
その姉が友人からと有る漫画を借りて来たことが事の発端だった。
姉が妙に顔をひきつらせてその漫画を読んでみるのに興味を持った僕は、一体なにが姉をそんな風にさせているのか興味を持ってしまった。
「葉子ねえ、葉子ねえ、一体なに読んでいるの?」
リビングでソファーに寄りかかってその漫画本を読んでいる姉に、僕はその肩から被さるようにしながら尋ねた。
生憎と本にはカバーが掛けてあり、外側からは内容は伺いしれない。だから今姉が開いている紙面を何とかのぞき込もうとした。
「だめ、祐二が読んだら怖くておねしょしちゃうよ」
普段優しい姉が、ちょっと驚くほど厳しく僕にそう言ったのがかなりショックだった。
「何だよ葉子ねえ、僕はおねしょなんかし無いぞ!」
おねしょ云々の話を葉子ねえからされたこともショックだった。
しかしそれ以上に普段は何でも言うことを聞いてくれる姉が、その本を隠そうとした事の方が重大だった。
「ねえねえ見せてよ?」
「絶対だめ!」
姉の拒絶は僕が今まで経験したことがないほど強力だった。
「葉子ねえの馬鹿!」
まあ、子供にありがちなごく一般的なののしり言葉を吐くと、僕はテレビをつけ、すでに本には興味がないふりを装った。
だが内心は虎視眈々、どうやってあの本を読んでやろうかと盛んに思いを巡らせていた。
その頃僕はまだ葉子ねえと同じ部屋で暮らしていたから、チャンスはいくらでもあった。
問題は葉子ねえが一体いつ本を手放し、どこに置くかという事だった。
「テレビつけたらちゃんと消しなさいよ」
葉子ねえの声が追いかけてくるのを後目に、僕はリビングを出ると部屋に戻った。
部屋には葉子ねえの机と本棚、それに二人のベッドが一つずつ有った。そしておもちゃ箱、これは二人で共用している物だったけれども、普段は主に僕が使っている。
本棚は葉子ねえが主に使っているのだからおあいこかな?
そんな意味もないようなことを考えている、その頃の僕はその程度の子供だった。
ベッドに転がりながら本棚から適当に抜き取った本を眺める。葉子ねえの本だったので字ばかりが多く、見ていて余り面白い物じゃあなかった。
それでも他の本を取りに行くことが面倒くさく、自分が読める平仮名の部分だけを辿って一端に読んだつもりになっていた。
当たり前の事ながら、意味なんてさっぱり通じない。おかげでたちまち眠気の虜になってしまった。
頃は五月に入ってまだ間も無い。窓から入ってくる風の心地よさにもつられて、僕はいつしかすっかりと寝入ってしまった。
さてどれくらい寝てしまっていたのだろう。ふと感じた人の気配に目を覚ました僕は思わずほくそ笑んでしまった。
そこには葉子ねえが居て、先ほど見せてもらえなかった本を机の引き出しに仕舞っている。
ちらりと視線を向けられたのを感じた僕は、慌てて狸寝入りをした。
幸いなことに葉子ねえには悟られなかったようだ。しばらくなにやらゴソゴソしていた葉子ねえは、やがて部屋から出ていった。
「やった!」
思わずガッツポーズを取ってしまった。
一応用心して耳を澄ませる。せっかくのチャンスなのだから巧く物にしたかった。
葉子ねえの机に向かうとそっと引き出しに手をかけた。
静まり返った午後の一時、僕は喉がからからになるのを感じながら、そろりそろりと引き出しをあける。
僅かな物音にも身体がびくっとなってしまう。とにかく葉子ねえが帰ってくる前に本を手に入れ、どこか見つからずに読める所に行かなくては。
僕は焦る気持ちを必死になって押さえながら、そっと引き出しから本を抜き取った。
少しでも長くばれないようにするためにもちゃんと引き出しを閉じておく。
とにかく本を手にした僕は大急ぎで自分のベッドに戻った。そして葉子ねえが入ってきても見つからないように頭から毛布を被った。
頭の方だけ透き間を空けて本を読むに足りるだけの光は取り入れる。これならきっと見つからない、僕はそう確信した。
そして僕はわくわくしながらその本をそっと開いた。もちろんやったぞっていうとても満たされた思いを感じながら…。
けれども開かれたそこには何とも恐ろしい世界が広がっていた。
勿論漢字を読むことは適わず、読めてもひらがな止まりだったのだが、その漫画は絵を追うだけでも十分に理解することが出来た。
見事にそれが出来てしまうくらいに良く出来て居たが為に、なおさら大きな影響力を発揮したようだ。
描かれている絵自体もそれまで僕が見たことも無いようなおどろおどろしい物だった。おまけに更に恐ろしいのは毒蜘蛛が次々と人を襲い、虜にしていくのだ。
それはもう怖くて恐ろしくて、僕は身体が震えるのを押さえることが出来なかった。
それほど恐ろしいのなら見るのを止めれば良いのに、物語の行く末を見届けずには居られず、さりとてしっかりと見ることが出来なかったので、薄目をあけてこわごわと見ている始末だった。
見終わったときにはお陰ですっかりと疲れきってしまった。
体中におかしな汗はかいているし、極度の緊張感から解放されたせいかだるくてまるで熱でもあるようだった。
僕はなんだか汚れた物に触れたみたいに本をベッドの外に放り出し、毛布にくるまった。意識が定まらずにぼうっとする頭のまま、僕はそのまま眠ってしまった。しかし本当の恐怖が始まったのはそれからだった。
その時に見た本のイメージがよほど強烈だったのだろう。僕はこの時以来眠りに落ちる度に毒蜘蛛の世界を夢に見るようになったのだ。
何せ眠りに入る都度あの恐ろしい毒蜘蛛が、鮮烈なまでに毒々しい姿で、どこまでもどこまでも僕のことを追いかけてくるのだ。
これ以上の恐怖がこの世の中の一体どこに有ると言うのだろう。
お陰で僕はたちまちの内に睡眠不足に悩まされ、とっくの昔に卒業していたおねしょまでするようになっていた。
当然の事ながら眠っていない僕は日中いつもぼうっとしていたし、些細なことで怪我ばかりしていた。おまけに食欲も落ちてガリガリに痩せていった。
心配した両親は、あちこちの色々なお医者さんに僕を連れて行って見せた。
そして色々な薬をもらって飲んだのだけれども、蜘蛛の恐怖を打ち消すことはどうやってもできなかった。
仕方なく僕はいつしか母と一緒に眠るようになっていた。痩せてガリガリになった僕は、ぎゅうっとしがみつくようにして眠りについていた。
母は
「なんだかまた大きな赤ちゃんができたみたいだね」
と嘆息しながら良く僕の頭を撫でてくれた。
でも僕にとっての安息はそうやって母の側に居る時だけなのだった。
お陰で曲がりなりにも何とかふつうの眠りにつくことができるようになった僕は、徐々に健康を回復していった。
でも以来蜘蛛という蜘蛛が大嫌いになってしまった。嫌いと言うよりも恐怖の対象か?小さな物ならともかく、大きな物にでっくわすとそれこそ飛び上がって仕舞う。
そんな僕は、母にしがみついて眠っていられる限り普通の眠りにつくことができ、当たり前の生活を送ることができた。
けれどもいつまでもそんなことを続けられる訳が無い。
母だって大変だし、僕のちっぽけな自尊心も大きく傷つけられていた。一体どうすれば良いと言うのだろう。
その時のことだ、僕が苦しいときの神頼みという言葉を知ったのは。
たまたまテレビの中の誰かがその言葉を口にしていた。
ふと小耳に挟んだ僕は母にその意味を問うた、そして神様に助けてくださいと頼むこともあるのだと知った。
それがどんな意味を持つというのか、その時の僕はなにもそのことを考えず、ただもう夢中になっていた。
普段気にしたこと無かったのだけれど、僕の家の近所には小さな小さな神社がある。
社務所もないような小さな物で、誰がその管理をしているのかは知らないけれども、鳥居と御神体を祀っているちんまりとした社の間にちょっとした広場がある。
僕や近所の子供たちはしばしばそこに集まって様々な遊びに興じていた物だった。
神様と言うことを考えてまず思い出したのはそこの神様のことだった。
思い立ったが吉日という言葉、その時はそんな難しい言葉のことなんか欠片も知らなかった。
でもその時の僕の行動はその言葉の意味そのままだった。
日が落ちてしばらく経ち、暗闇が次第にその支配を強めていくような時間。その頃の僕なら決して外に出ようとしないような時間だった。
その闇を恐ろしいと思いながらも意を決した僕は、見つかると咎められるに違いないと思ったのでこっそりと家を出た。
家からその神社までものの数十歩。目を瞑っていたって行けるような距離だった。
小走りで行ったから瞬く間についてしまう。
両隣には近接して家屋があったけれども、延び放題の木々のお陰でその明かりは中まで届かない。お陰でその地の闇は他より一層濃かった。
けれども神様に頼むんだという思いで心をいっぱいにした僕は、その闇を恐れるよりもなお強い思いでその奥に向かった。
小さな鳥居をくぐり、遊び場になっていた広場を抜ける。闇の中に一層奥まったところに社がある。前には小さなお賽銭箱。
もっともこの賽銭箱にお金が入っている事なんて見たことがなかった。
その箱の中に僕は、家からずっと握りしめてきて汗まみれの五円玉をそっと落とし込んだ。
「コトン」
静まり返ったその場ではそんな音さえも大きく響きわたり、僕を飛び上がらせてしまった。でも驚いてばかり居られない、早くお願い事をして家に帰らないと、また母を心配させてしまう。
僕は社の前で
「パンパン」
と二回柏手を打つと目を瞑り、必死になって祈った。
それはもう何度も何度も。あの恐ろしい毒蜘蛛にこれ以上追いかけられることがありません様に。これ以上母に心配をかけることがありません様に。もうおねしょをしなくても良くなりますように。一人でまた眠ることができますように。
いったい何度この願いを心の中で唱え、願ったことだろう。それはもう一心不乱に祈っていた僕はいつしか時の経つのも忘れていた。
子供ならではの集中力とでも言うのだろうか?もしかすると僕はいつしか無我の境地なるものに入っていたのかもしれない。
ふと気がつくと僕は何も無い真っ暗な闇の中で、きらきらと輝く真っ白な光と対峙していた。
その光から僕に何か言葉が伝わってくる。でもそれは声で伝えられるようなものではなく、そう、直接僕の心に届いていた。
「…案ずるで無い、もう家に帰りそして今日より一人で眠るが良い」
その声無き声は確かにそう言っていた。
「でもそうしたら、また蜘蛛が僕のことを追いかけてくるよ?」
震える声で僕は自分の不安を口にした。その問いへの答えは言葉ではなくまず温もりで返ってきた。
体中が例えようもない温もりで満たされたかと思うと、優しい思いが心の中に染み込んでくる。
「その時は我が通力を持ってその身を守って遣わそう」
「本当に?助けてくれるの?」
今から思うと神様を疑うなんてなんて図々しい子供であったことだろう。
でもその時はもう必死なのだった。藁をも掴む気持ちでその存在にすがりつこうとしていたのだった。
声無き声の笑いが僕を暖かく包み込んだ。
「約束してしんぜよう」
僕は感謝の思いをどんな言葉にして良いかわからず、ただ黙って何度も頷いて見せた。その存在にはそれでも十分に伝わったのだろう、再び暖かい笑いの様な波動が僕を包んでいった。闇の中で煌々としていた白い光が徐々に薄れ始めた。
例えるならしずしずとその存在はその場から退出しつつあった。
「待って!」
僕は声ならぬ声を上げた。
「まだ何か用が有るというのか?」
まるで何か不思議がっていながら、どこか面白がっている、そんな思いがかすかに伝わってくる。
「あの…名前は何というの?」
今でこそ当時の色々なことをそれなりに解釈出来る。
でもその当時の僕には尊敬語や謙譲語、丁寧語すらままなら無かったから、せいぜいそんな問いが精一杯だった。
例えるならころころとでも言うよな笑いの感覚が伝わってくる。
「我の名を問うか…」
聞いてはいけなかったのだろうか?僕は不安に思ったがその存在にとってはさしたる問題ではなかったようだ。
「名を問う時にはまずどうせよと教えられた?」
優しく諭すように問いかけられた。
「あ、そうか…」
僕は居住まいを正した、いや正したつもりだった。
言ってみれば感覚だけのような世界にいるのだから、何をどうすれば居住まいを正せたことになるのかは分からない。
でもこういう相手なのだからきっと伝わっているだろう。
「僕は祐二、吉村祐二と言います」
再び笑うその存在。果たして本当に神様なんだろうか?
「して、そなたはどこに祈りに参ったかや?」
「天露神社」
社に掲げてある難しい字を読むことは出来なかった。でも以前葉子ねえと遊びに来た時、彼女が教えてくれたのだった。
「うむ、ならば我が誰か分かるであろうに」
「あ…」
神社に願いにきて、その願いを叶えてやると言うからにはその神社の神様に違いないじゃないか。
「天露の神様?」
僕は恐る恐る神様の名前を口にした。
「うむ、まあ一応そのようなものじゃ。しかし微妙なところで異なっておるがの」
「微妙?異なる?」
またその存在は笑った。
「そなたには少し難しすぎたかの?」
子供心に何故か悔しい思いをしたけれども、その当時の僕では仕方のないことだった。
「我の名は正しくは天露の雨子と言う」
「あまつゆのあまこ?」
「そうじゃ、だが名を皆言わずともそなたなら雨子で良いぞ」
「あまこさん?」
「まあそれはそうじゃが、普通神様には様をつけんかの?」
「あまこさま…」
「そうじゃ、祐二のことは我が守ってやる故、安心して家に戻るが良い」
その言葉とともに僕は暖かくも神々しいようなものに浸されていった。
ここのところずっと、どこか固く凍てついていたような心がゆるゆるとほとびて行く。心の奥底から湧く感謝の思い。
その思いのまま僕はぺこりと頭を下げた。下げたつもりだった。
ふと気がつくと僕は、真っ暗になった神社の境内に一人立っていた。
「祐ちゃーん…」
どこかで僕の名を呼ぶ声がする。境内の闇を透かしてみると鳥居の向こうに人影が見える。葉子ねえだ。
「葉子ねえ!」
僕がかすれた声で叫ぶとその人影がこちらを伺うような素振りを見せている。
明かりが一つもない神社だけに、街頭のある道路の方からは見通すことが出来なかった。
幸い暗闇に目が慣れていた僕は、転ばないように足下に気をつけながら急いで葉子ねえのところに向かった。
明るい街灯の下にいる葉子ねえのところに行くと、頭をポカリとたたかれた。
「こんな真っ暗な中、一体何をしに行っていたの?」
葉子ねえの目尻にキラリと光る光一つ。
「本当に心配させるんだから、お母さんも心配して走り回っているわよ」
僕はしゅんとして謝った。
「ごめん葉子ねえ」
葉子ねえはそんな僕のことをぎゅうっと抱きしめてくれた。微かに甘い葉子ねえの良い匂い。
時々喧嘩してお互い憎まれ口を叩くこともあるけれども、僕が困っているといつも助けてくれる葉子ねえ。
そんな葉子ねえだったから、今回の僕のことでは随分心を痛めていた。
自分があんな本を借りてきたからいけないんだと、随分自身を責めていたりもした。
だから僕はそんな葉子ねえに心配をかけたのだと思うと、心の奥がしくと痛んだ。
さっき葉子ねえに頭をこづかれた時は、頭よりの心の方が痛かった。
「本当にごめん葉子ねえ」
何度も謝る僕の頭を葉子ねえがそっと撫でた。
「もう良いよ」
その一言に心がゆるんだ僕は、何故だか涙が流れ、しゃくり上げ始めてしまった。
葉子ねえはそんな僕の手を掴み、ゆっくりと家の方へと誘っていった。
家の前には心配のあまり今にも泣きそうな顔をした母がいた。
「祐ちゃん…」
それ以上は言葉にならなかった。何か言いたくもあったのだろうけれど、きっと僕の顔を見てしまったら気が緩んだのだろう。
身を屈めると僕のことをぎゅうっと抱きしめてくれた。
僕にはそんな母のことが嬉しくもあったし、照れ臭くもあった。見ると葉子ねえがそんな僕達のことをにこにこしながら見ている。
「さあご飯にしようか?」
そう言うと一際力を込めて抱きしめた後母は身を離した。
でもその手はしっかりと僕の手を握っていた。
そして葉子ねえもまたもう片方の手をしっかりと握りしめていてくれた。
「それでお姉ちゃんは祐ちゃんを何処で見つけたの?」
頭ごなしに母と葉子ねえが会話している。
「それがね、近くに神社があるでしょう?」
母に続いて僕、そして葉子ねえの順で家に入っていく。
「なんとあの神社にいたんだよ」
「あの神社に一人で?」
「うん」
「あそこって灯りが全然無いのじゃなかった?」
「うん、真っ暗だった。その中から祐二が走ってきたの」
家に戻った僕は、母に促されるまま洗面所で手を洗った。ポンプ式の石けんをぎゅっと押し、出てきた良い匂いのする石けんで手を泡々にする。
そんな僕を見ながら母は言った。
「そんなところにいて怖くなかったのかしら?」
葉子ねえと母二人して僕のことを見た。
それは当たり前のことだろう。ここしばらくの僕の闇への怖がりようと言ったら尋常じゃなかったから。
葉子ねえが僕の前にしゃがむと、ほんの少し見上げながら僕に聞いた。
「ねえ祐ちゃん、あんな真っ暗なところで一体何をしていたの?」
そこで僕は息せききったように話始めた。
「あのね、僕ね、神様にお願いにいったんだよ。もうこれ以上怖い思いしないですみますようにって」
見ると母も姉の横にひざまづいて僕のことを見ていた。
「それでね、お願いって思っていたら…」
「いたら?」
葉子ねえが話の先を聞きたくて合いの手を入れる。
「いたら…」
僕はその時不思議な感覚を経験していた。
僕はつい先ほどのことを忘れてしまったわけではない。いや、むしろ対峙している時以上に鮮明に覚えているくらいだった。
なのに言葉が出てこないのだ。一体どういうことなんだろう?
あのときのことを葉子ねえ達に話そうとすると舌が動かなくなってしまう。と言うか何かを唇にに当てられたかのように言葉が出なくなってしまうのだ。
「…?」
もしかしたら神様が話すなと言っているのかな?試しに僕はその部分をすっ飛ばして話してみることにした。
「そうしたら葉子ねえが来たんだよ」
うん、こういうことは普通に話せた。やはり神様が何か関わっているのだと思う。
「随分長い時間お願いしていたんだね」
微かに訝しげな表情をした葉子ねえがそう言った。
葉子ねえは昔からとんでもなく勘が良い。だから僕が言い淀んだことがあることに気がついたのかもしれない。でも何故だかそれ以上は聞かないでくれている。
そこで僕は知らん顔をして葉子ねえの思いに甘えることにした。もちろんそれが僕の考えすぎのことだったとしても問題はない。
「うん、気がついたら真っ暗だった」
「そうかあ」
とは母。顔ににっこりと笑顔を浮かべている。
「真っ暗な中にそんなに居られたのだとしたら、それはもうきっと願いが叶ったのだね」
母のその言葉の意味がよく分からず僕はきょとんとしていた。
それを見ていた葉子ねえがぷっと吹き出しながら説明してくれた。
「だってね祐ちゃん、暗闇をあれほど怖がっていた祐ちゃんが、あんな真っ暗な場所で怖がりもせずにいられたんだとしたら、それは願いが叶ったって言うことでしょう?」
なるほどと僕は合点が行った。そう言われてみればそうだった。
確かに神様にお願いはした、そして神様は願いを叶えると言ってくれた。
でも神様はどうやって僕の願いを叶えてくれたのだろう?
残念だけれどもそれは僕には分からないことだった。ただ言えるのは、その日の夜から僕は闇を恐れることが無くなったと言うことと、一人で眠ることが出来る様になったと言うことだった。
喉元過ぎれば何とやらという言葉があるけれども、まだ小学校にも行っていないような子供であれば尚更だった。
今思えばあの恐怖の日々は一体なにだったのだろう?なにを一体あのように恐れる必要があったのだろう?
思い出してみるに自分自身が滑稽に思えるほどだった。
しかし小学校に行き、中学校に進みとしている内に、そんなことがあったことすら忘れてしまったのだった。
ここまで読んで下さりありがとうございます。なるべく早く続きを書く所存ですが、首の調子次第なところが有ります。誠に申し訳ありませんが気長にお付き合い下さいませ。