第三話 新しい身体
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「……あら、面白い質問。あたしはクロエよ。
クロエ・ラクロア」
「クロ、エ……?」
聞いたことがある気がする。
いや、わたしは初めてだ。なのに、耳に馴染む。
こちらの様子をジッと観察していたクロエは腕を組み、
重心を左足に寄せて砕けた調子で語りかけてくる。
「ふふっ、じゃあ今度はこちらからいくつか質問でもしましょうか」
不敵な笑み。
形の良い眉がなだらかな曲線を描き、口角が妖しく持ち上がる。
それと共に、クロエの黒いジャケット越しからでもわかる、
女性らしいシルエットも組んだ腕で持ち上がった。
「あなたの名前は?」
「なまえ……? わたしの?」
わたしは身体を反転させてベッドに座り、俯き考えた。
「名前、名前、わたし……いや、おれの名前?」
手の平で額を軽く叩く。
「誰だ、おれ……いや、わたしは?」
床を見つめる視点が左右上下と行き来し、思い出す、思い出そうとする。
だが、思い出せない。
ぐるぐると目が回ってきて、身体が揺れた。
「なんで、思い出せない? なぜだ? おかしい? おれは、俺は……っ!」
「――ちょっと失礼」
ガッと右肩を力強く掴まれ、反射的に顔を上げる。
均整の取れたクロエの目鼻が眼前にあった。
そして伸びた手の主が彼女であることに気が付くと同時に、
首筋に物質的な冷たさと指で押されたような圧迫感。
本来だったらクロエのことを払いのけていたと思う。
だけど額に当てていた手はもちろん、俺の両の手から力が抜けて
だらりとベッドに投げ出された。
「すぐに終わるわ……。きっと並列した記憶の影響ね。
精神が不安定になるのはある意味正常な反応よ、大丈夫、
ゆっくり息を吸って、吐いて、吸って、吐いて」
「ふぅ……ふぅ……」
脳が回らない。耳に飛び込んできたそのことだけに従い、実践する。
「いいわ、良い感じ。ゆっくり進めて行きましょうか」
安心感に満たされていき、ごちゃごちゃとしていた頭の中が整理されていく。
ぼんやりとした脱力感の中でも、視点はクロエの顔を確かに捉えられた。
「まず、ルナ・アルベロという名前に覚えはあるかしら?」
「……わからない」
初めて耳にした名前に、ふんわりとした心地の中、小声で答える。
「……そう。なら、ユウタ・スズキって名前は?」
「ユウタ……俺の名前?」
停留していたような血の流れが、途端に鼓動を打ち始めた。
「名前、ユウタ……そうだ思い出した。俺は鈴木雄太だ」
自分自身で確認するように、自らの名を呟く。
「そう、ね。ええ、そうよ」
クロエは俺の首筋から手を離す。
その指先には象牙色をした長方形の何か。
器具……首に当てていたということは、医療関係の何か、だろう。
不安はない。
そんな気を起こすことすら無いくらいに、俺の心は落ち着いていた。
クロエはこちらの心情を察しているのだろうか。優しい口調で続ける。
「今あたしたちがいるここは、ゾーン一五〇にある、国家不干渉施設の一つよ」
「国家、不干渉施設?」
「……簡単に言えば安全な場所よ。
あたしは施設の管理、そしてあなたが無事でいられるように世話をしているの」
「……あなたが、俺を? どうして……。
いや、それよりもなんでこんな場所に、この身体で俺はいるんだ?」
さっきまで洗面台で考えていた事柄が徐々に繋がりを見せ始め、
沸々と浮き上がってくる素朴な疑問。
中腰気味に立っていたクロエは、片膝を着いて柔らかな笑みを向ける。
「ちゃんと教えていくわ。あたしはあなたの治療と保護を任されてる。
そして、ここがその治療施設よ。それで、その身体はルナ……。
ユウタがユウタとしているための……そうね、
ユウタの記憶を移した新しい身体よ」
「じゃあ一体、本来の俺の身体はどうなってしまったんだ」
「無いわ。ユウタの記録が残されてから、すでに百年近くは経っているの。
データによれば、あなたの身体は死亡時にすでに
修復不可能なほどに損傷しているわ」
正気を保つために信じていた記憶が事実だと知り、背筋に悪寒が走った。
「過去の記録からあなたの身体を復元しようとした案もあったのだけれども、
あいにく旧世界のあなたの肉体じゃ、新世界に適応が難しいと判断されたわ。
そして、今はその娘がユウタの身体よ」
目尻が引き攣る感触。
クロエの鮮やかな青い瞳を見つめ、「そうか」と前置きを吐いて呟いた。
「……やっぱり、本当の俺は死んでいたのか」
「待って。あなた、死んだ時の記憶を覚えているの?」
見開いた彼女の目。
二重の愛らしい少女の顔はきょとんとし、どこか間の抜けた様相だ。
俺は頷く。
「あ、ああ……曖昧だが、それらしい記憶がある。
だけど変なんだ。俺以外の、誰かの記憶が頭をよぎるんだ」
「そう……」
「問題でも、あるのか?」
「いえ、ただもう少し安静にする期間が必要かもしれないわ。
しばらく、あなたは――」
建物が揺れる。
同時に、雷が落ちたような破裂音が壁越しに響いた。
天井の蛍光灯から、金物がぶつかり合うカチカチとした
不吉で規則的な音が部屋を満たし、俺とクロエは条件反射のように見上げる。
「地震……? 違う、ありえないわね。
ユウタ、じっとしていて」
こちらの返事を待たずにクロエは立ち上がる。
どこか組織の所属を匂わせる、黒を基調とした制服のスカートに、
象牙色の医療器具をしまうと、流れるような動きでジャケットから
スマホと思しき携帯端末を取り出した。
「……今の爆発音は何?」
通信端末を耳に当て、クロエは扉近くまで歩きながら通話を続ける。
「……正面玄関、職員用玄関で襲撃者? ……警備部が交戦、わかったわ。
非戦闘員の避難を優先、施設内への侵入を極力抑えて。救援要請は?
……通報済みね、問題無いわ。あなたも気を付けて……
ええ、気を付けて、じゃあ通話を切るわ」
電話越しの会話を盗み聞き、その物々しい雰囲気に唾を飲む。
「何があったんだ?」
こちらの問いにクロエは振り返り、
一目で読み取れるほど丁寧な作り笑いを浮かべた。
「気にしなくて大丈夫よ、心配ないわ。
それより、さっきと比べて気分はどう?」
「心配って……さっきの揺れと音、明らかにただごとじゃないだろ」
「……知ったところであなたには関係が無いことよ」
クロエの笑みが一瞬で崩れ、部外者と接するような冷たさが言葉に帯びる。
「……ッ! な、なら、俺が自分の目で確かめに行く」
俺はベッドから降りて扉へと歩き出すと、クロエは腕を組み、
背中で扉に寄りかかって道を塞いだ。
「それはダメね。言ったでしょ、今はあなたの保護が優先よ」
彼女との身長の差もあり、見下されたような、高圧的な物言いを感じる。
「それに、まだ記憶の統合と定着が完了していないあなたは、
はっきりと言って赤ん坊と大差ないわ。
外を自由に出歩かせる、なんて危険なことをさせるわけにはいかない」
「……さっき廊下を出た際は、何事も無かったんだ。
廊下を歩くぐらい、大した問題じゃないはずだ」
「そろそろ廊下の清掃時間なの。それが終わるまでは、
外を出ることは許可できないわ」
「……なあ、そんな見え透いた嘘を吐く理由は何なんだ?
あなたがしていた通話、それに異常な爆音と揺れ。
どう考えても普通じゃない、あなたが俺を保護するなら、
教えてくれても問題無いはずだ。納得だってする……
こんななりでも、前の記憶は大人なんだ」
大人……なんて言葉、正直好きじゃない。が、心を殺してでも主張する。
「そこまで理解しているのに、これ以上の説明をいるのかしら?
あたしが言ってることを嘘だと見抜いてるなら、
すでに理解しているでしょ。ここが安全な場所だと」
クロエは軽い調子で俺の要求をあしらう。いや、どこか逸らそうとしている。
彼女が言っていることは当然理解しているし、
この場を出て行くこと自体が危険であることもわかっている。
そこまで鈍いわけでも、平和ボケでもない。
こんなやり取りをしている間も、時折爆発音と振動が壁伝いに響いてくる。
俺は拳を固めて彼女を見返し、強めな口調で言い返した。
「バカにしてるのか。安全な場所と言っていたのに、
なぜ攻撃されている。普通に考えておかしいだろ。
俺の治療を行っているなら、ここは病院か何かのはずだ。
そこで襲撃者だなんて、そんなの明らかに異常だ」
「……あなた、そこまでこの状況を読んでいるの?」
俺の異議に対して、不釣り合いな返答だった。
それを口にしたクロエは少し驚いたように息を飲み、同時に発砲音が耳を叩いた。
お読みいただきありがとうございますm(_ _)m
今回の話ではヒロイン枠のクロエを登場させましたが、物語はまだ序章なので掛け合いに関しては、ほとんど差し込む余裕はありませんでした。
ストーリーが進めば掛け合いも増やしていきたいですが、それについてはもう少し先になります。
次回は文章量の都合で、少し盛り上がりに欠けるかもしれませんが、お付き合いしていただければ幸いです。