第二話
衝撃的なアイと私との出会いから30分後、アイは我が家のリビングに腰を落ち着かせていた。
とにもかくにも空腹で倒れている少女に、満足のいく食事を取らせてあげるべく、私は彼女の希望通りのオムライスを作り、恵んだ。
私の唯一と言える得意料理を選定してくれたことは、不幸中の幸いであると言えるだろう。
そう現状実に不幸である。
飢えで倒れるのならばどうかよそでやって欲しいものであった。
何故運悪く我が家の前なのだろうか。法治国家の我が国には、そこら中に交番をはじめとした公的機関があるではないか。
この世界が創作の世界であった場合、”創造者の特権”を行使した作者に並々ならぬ憎しみが沸いてくるが、生憎にもこの世界は現実だ。
そして何よりも不満なのが、この紳士的な行動が誰かに評価されることはおそらく一生なく、今現在出席簿の進藤の欄に遅刻の印を押しているであろう我が担任が知る術もないことである。
聞きたい事はあったが、とりあえず今は彼女がオムライスを食べ終えるのを待つほかない。と、考えているうちにテレビ番組の早食い選手も顔負けのスピードで平らげ追加でおかわりを要求してきた。
状況が状況でなければ、自分の得意料理の味を認めてくれることは気分の悪いものではない。考えればもうずっと誰かに私の手料理を振る舞ったことはなかったのではないか。素直に彼女の指示に従い、追加分を作ることにする。
二回のおかわりの後、調整豆乳より若干高い成分無調整豆乳を飲み、ようやく彼女は会話をする態勢になってくれた。
結論から言うと彼女の話は理解が出来なかった。
正確に言うとこれまでの私の中の常識の多くを奇麗に忘れ去れば理解出来る内容であったが、17年の人生で培ったものをそう簡単に捨て去ることが出来ないのは当然のことである。
曰く彼女、アイは人間ではないらしい。しかも可愛らしい見た目とは裏腹にすでに少なくとも数百年は生き続けているときたものだ。
新種の生物でも見つからない限り、今現在地球上に存在する全ての哺乳類で一番の先輩といえるだろう。
つまり化け物であり、つまり異能の存在であり、人間ではない。
だったら何だという話になってくるのだが、そもそもそう簡単に初めて会う人間の話を信じるほど私はお人好しではないし、この怪しすぎる話を信じる人が全人口の1割でもいたとしたら、オレオレ詐欺業者は皆、金を湯水のように使うに困らないのではないだろうか。
そうか、この女はきっとネットスラングでたまに耳にする電波系というやつなのだろう。
とりあえず現時点で真実である可能性があるのは、名前がアイということだけだ。姓は未だ不明である。
私はこのオムライスの恩すら何とも思っていないようなことを宣うふざけた少女を、問いただすこととした。場合によっては救急車か頭の病院に連れていく必要があるかもしれない。
と、様々な思考を巡らせている私に彼女は話しかけてきた。
「今、私のこと頭おかしいと思ってるでしょ」
「うん」
顔に出ていたようだ。
「まあ、いきなり信じてくれた人なんて、今までもほとんどいなかったけどね」
アイは少し呆れたように、あの大俳優、ロバート・デ・ニーロでおなじみのポーズを取った。
日本語で言うと肩をすくめるという表現が合致するかと思うが、およそ他人の家の食費の負担をかさませた者がする態度ではないのは確かだ。
というかほとんどいなかったと言うことは、この女はこれまでに何人にもこの荒唐無稽な話をしており、しかもいきなりでアイの話を信じた人間がゼロではなかったということか。
決して17歳にして私の心が汚れている訳ではない。成人を目前に控えた年齢になって尚、信じるほうが異常であると切に訴えたい。私ももう10年ほど早くこの女と出会っていればあるいは信じていたのかもしれない。
そんな私を気にも留めないようにアイは話続ける。
「私はヒトの記憶を奪って生きているの」
そう言うと、彼女は私の頭に触れた。
◇
目の前には幼いころの私がいた。
背丈からして、小学校低学年頃だろうか。母親とともにオムライスを作っている。私がオムライスを初めて作った時の記憶だ。当時、母の日に振る舞ったものだったと思う。褒めてくれたが黒こげのオムライスは苦かった。
忘れかけていた。
目の前に過去の私がいるということは、私はだれだ。
おかしい話だが、言うまでもなく私は進藤准だ。そこで私はこれは夢であると結論付けた。
ふと再び夢の中の私を見ると、今度は家族四人でテーマパークに来ている。アトラクションで水浸しになってはしゃいでいる幸せそうな家族がいた。
また場面が変わる。
10歳のときの葬式会場。
これは私の中の、埋もれていた記憶だ。正確には埋もれてはいなかった。埋もれていると自分に言い聞かせて目を背けていた。春が目前に迫っていた2月、私の家族は———。
暗闇の向こうから誰かが私を呼ぶ声がした。
◇
目が覚めると、私は呼吸を荒くし汗を流していた。
「ここは……」
刹那の間を挟み、元の場所に戻ってきたことを理解する。
「今、君の中の記憶を見てもらった。どんな記憶を君が見たかは知らないけど、君の心のなかに深く残っている記憶。忘れかけていた記憶をみたはずなの」
頭の理解が追いついていない私に、アイは続けた。
「それと、ついでに少し、君の記憶を見させてもらったよ。進藤准くん」
そういうとアイはまるでミステリー小説の探偵が、トリックの種明かしをするかのように得意げに話し始めた。
私の年齢・通っている学校・はては昨日の夕食が何であったかまで。そしてその全てが間違いなく正解だった。
私はようやく、彼女の言葉を概ね信じた。信じたくはないし、常識的に考えてあり得ないことなのだが、現に私はアイの言う通り特殊な出来事を身を持って体験してしまった。
これまでの常識を疑うほかなかった。科学全盛のこの世の中で、このような魔術のような体験をしてしまったのだから。
と同時に、アイの「記憶を奪って生きている」という言葉に関心を抱かずにはいられなかった。
もし仮に私の常識をゴミ箱に捨てて、アイの言葉を信じれば、私の中に眠る禁断の記憶を消し去ることが出来るのだろうか。
「なら記憶を奪うっていうのはどういう意味だ……?」
「人の中の、私の記憶を奪う」
何を言っているのか理解に苦しむが、その後の問答を私なりにまとめた。
・関わった人間全てが、彼女に関する記憶を一定の周期で喪失する。
・その周期は満月の夜が訪れるたび。これは彼女の意志とは無関係に必ず起こる。
・あくまで彼女に関する記憶のみを失うだけであり、実際に行ったこと等の記憶が喪失する事はない。
・私の個人情報を言い当てたのは、宴会の一発芸レベルの特技であり、ごく最近の記憶を断片的にしか読み取れない。また、それにより私の心体に何らかの影響が出ることもない。
先ほどは得意げに私の個人情報を暴露していたアイであったが、蓋を開けてみれば実に不完全な能力である。
そのことは彼女自身も理解しているようで、こうして自分の正体を信じさせるときくらいにしか使わないとのことだ。なるほどその使い方であれば、事実私が信じ込んだように効果は見込めるだろう。
そして彼女の持つ異能を聞いた限り、私の忘れたい記憶を消し去れるかも、という希望的観測はすぐに無惨にも打ち砕かれた。
仮に彼女にそんなことが出来たとしても、私という人間にそこまでしてやる義理はないだろう。故に今後このことを考える意味もない。
では次にアイとは何者なのだろうと当然の疑問が沸くがこの質問には口をつぐんでしまう。本人の言う通り人ではないのだろう。
彼女の力が全て本当だとするならば、当然人知を越えている。
そういえば子供の頃に、寝ているとき記憶を奪う化け物の都市伝説を耳にした事があった。もしかするとそれは都市伝説でもなんでもなく、アイが行ったのだろうか。
私はアイに対する興味が尽きず、遅刻そっちのけで会話を進めた。どうせ今から行っても1限どころか2限にすら間に合わない。普段真面目に学業に励んでいる分今日くらいは許して欲しい。
しかし、話しているとますます普通の人間にしか見えなかった。
彼女の出生時期や能力に関する事はめちゃくちゃではあるが、感情の起伏や基本的な考え方、その他全てがおよそ通常の人間生活をする上で不自由がないのではと思えた。
これは先天的なものなのか、人類と関わっているうちに身に付いたものなのかは分からない。
そして彼女曰く同じ“記憶を奪う種族”は前にも先にも自分以外一人もいないというのだから確かめる術もない。
「関わった人から忘れられるのって、辛くないのか?」
私は思わず聞いてしまった。言ってから後悔した。先述した通り、彼女の考え方は普通の人間と遜色ない。そうであればこの質問の答えも容易に想像がついた。
「別に。人間だって鶏や牛を食べるときに悲しいとか思ったり、別れを惜しんだり、普通はしないでしょ」
なるほど確かに的確な指摘である。特に我が国日本では、命を頂くことに敬意を示すのはよくあることであるが、食材としての動物との別れを惜しむ人はそう多くない。
「でも……お前」
「何?」
「いや......」
しかしなぜだろう。そう言うアイの瞳が私には悲しそうに見えた。
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