第一話
少しだけでもいいので読んでやってください。
それで少しでも興味が出たら、次も読んでやってください。
アニメや漫画、小説にいたるまで主人公とヒロインの出会いというものは、都合が良すぎると言われても否定出来ないものが多いのではないだろうか。
恋愛作品で、運命の人が偶然自分のクラスに転校してきたり、隣の席になったり、帰り道が一緒だったりで恋愛に発展する。
または偶然目の前で死にかけの少女に出会い、放っておけない主人公が家に連れ帰るとそれは異世界の住人だった。など。
こういったストーリーの始め方というのは今まで幾度となく使い古されたある種王道と言える展開の仕方だろう。
しかし、王道とは言ってもそれはあくまでフィクションの世界でのお話であり、現実ではそうそう起こるものではない。
通学中の曲がり角でぶつかった人が運命の人だったり、異世界転生した先で最初に出会った人が実はお姫様だった。なんてことは都合が良すぎる話なのだ。
それらは全てその世界の”創造主”が作った物語を展開する上での都合のいい設定であり、キャラクターの運命はそれによって振り回されているに他ならない。
私はこの現象を”創造主の特権”と呼んでいる。
頭ではそう理解したつもりになっているのだが、物語の序章で雑に”創造主の特権”が行使されているのを見ると辟易してしまう。そう都合良くドラマなど起こり得るものなのか、と。
まさか自分自身がまさに現在進行形でそういった形の出会いをとげるまでは。
時は午前8時少し前。登校しようと玄関を飛び出したら目の前に少女が倒れていた。
これがもし、自分ではなく隣の席の小林の家の前に倒れていたら、私は今でも都合のいい出会いというもののリアリティのなさを声を大にして主張出来たのではないだろうか。
考えても今現在の状況を打破するにあたり、猫の手程もプラスにならないことに思考を巡らせながら、控えめに声をかける。正直このまま放っておこうという考えが浮かばなかったわけではない。
しかし、自分の家の前で横たわる、同年代ほどの歳の少女をそのままにして、意気揚々と学び舎に通うことが出来るほど私の神経は図太くない。万が一急病の末の現状だとしたら、酷く寝付きが悪い結末にもなりかねない。
「生きてる?」
息がある事はわかっていたが、意識の確認の為に私は質問した。
服が少々汚れていることを除けば見たところ外傷もなく、何やら寝息のようなものも聞こえてくる。恐らく寝ているだけであると私は結論づけた。
ただ、その結論が飽食の時代、ましてや先進国日本では非常にイレギュラーであったというだけの些細な問題だ。
先ほどはあまりの異常事態で気が回らなかったが、なかなか可愛らしい顔立ちをした少女だ。
汚れてはいるが薄紫色の和服が非常に良く似合っており、和服文化の廃れつつある現代の日本では、倒れてさえいなければそこにいるだけで絵になると思う。
しかし、このまま目覚めないようであればただの屍となんら遜色はない。私はこの少女をきちんと人と認識するために耳元で再び口を開いた。
「生きてる?」
もっともこの少女アイが人ではなかったことをこのときの私はまだ知る由もない。
ようやくアイはぐったりしながら口を開いた。そして一言。
「オムライス……」
とつぶやいた。
これは丁度我が家の花壇でミヤコワスレの花が美しく咲いていた、五月中旬の出来事である。