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私、崩壊  作者: 清水幸
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2 ギリギリの女(その4)

 名刺と預金通帳を男に手渡した。名刺には主幹兼係長の役職名が印字されている。預金通帳は私が今まですべてを捨てて仕事に打ち込んできた証であり、私のプライド。お守り代わりにいつも持ち歩いている。どうせ失くしたところでカードと印鑑なしでは引き落としできないしね。男はすぐに通帳だけ返してきた。

 「安定した公務員、しかもけっこう出世してますね。それより何よりまだ若いのに貯金が三千万? 今まで本気で仕事に打ち込んできて、遊んで浪費することなく真面目に生きてきた人だということは分かりました。あなたがよければ、僕はあなたの恋人になりますよ」

 私はこれみよがしに大げさにため息をついてみせた。

 「君は分かってない。今君は私を若いと言ったけど、私の年齢は教えたよね? 38歳なの。若い人がするようなママゴトみたいな恋愛を君として、何年か無駄にしたとしたら私はきっともう子どもを産めない年になってる。今がギリギリなの。ギリギリの年齢の女とつきあう覚悟が君にはあるの?」

 「子どもなら僕もほしいと思ってます。逆に、子どものいない結婚生活でもいいかと聞かれたら、そっちの方の覚悟は持てない気がします」

 「じゃあこうしよう!」

 男の両肩をがっしりとつかんで言い放った。

 「三年間だけ君の時間を私にちょうだい。その三年間で君との子どもを私が産めたら結婚しよう。ダメだったら別れよう。私の三千万円は結婚できたら結婚生活の資金に、別れたら慰謝料として全部君にあげる。それでどう?」

 「慰謝料はいらないけど、それ以外は同意します」

 〈慰謝料はいらない〉という彼の啖呵が気に入った。お金目当てじゃないってことか。いや本当はお金目当てかもしれない。そうじゃなければいくらニートだからって、二十代前半の若者が私みたいなおばさんになびくわけがない。

 この際彼の気持ちを考えるのはやめよう。彼が私とつきあうのはお金目当てじゃないと私自身が信じられることが何より大事だ。いつかこっぴどく裏切られるとしても、裏切られるその瞬間までは恋人だと信じさせてほしい。その願いが叶うなら三千万円なんてちっとも惜しくない。

 「今夜これからどうしますか? もしあなたの都合がつくなら二人で過ごしたいと思うんですが」

 「私もそうしたい。私は家族と暮らしてるから、君のうちに行ってもいいかな?」

 「僕も実家住まいなのでホテルでもいいですか」

 普通に婚活して、〈交際→結婚→妊娠→出産〉という道筋をたどれば、ギリギリの年齢の私はあっさりタイムオーバーになってしまうだろう。目の前のジャージ姿の男のことを何も知らない。名前だってまだ聞いてない。でも私は迷わなかった。大きな決断をするときほど笑顔で。それが私のモットー。そのモットーを今回も守った。

 「それでいい。連れて行って」

 「じゃあ車に乗ってください」

 ニートでも車は持ってるんだなと思った。それとも家族の車か? いやそんなことは余計なことだ。私はこの流れに身を任せると決めたんだ。後悔するのは捨てられてからでいい。

 妊娠したら結婚してくれるという口約束が破られても、子どもさえいれば私はきっとこれからも前を向いて生きていける。結婚してくれないなら認知も求めない。私は一人でその子を育て上げてみせる!


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