父からの手紙
相談部の部室は、晴嵐学園が所有する文化系部室練の一角に存在する。
相談部が文化系の部活かと言われれば疑問が残るのだが、間違っても体育会系ではないので、消去法的に文化系となるだろう。
本校舎から繋がるこの部室練は、数年前に建て替えが行われた本校舎とは違い、古い木造建築造りとなっている。
剥き出しの木の壁。廊下に乱雑に積み上げられたダンボール。そしてあちこちから聞こえる生徒たちの声。
あらゆる文化系の部活が一堂に会するこの部室練では、生徒たちが日々それぞれの青春を謳歌しているのだ。
そんな文化系部室練には漫画研究部、通称漫研が存在する。
相談部結成前にこの漫研で起きた事件を桐花が解決し、相談部結成後には漫研の部員が相談部に依頼に訪れたりもした、不思議と俺たちに縁深い部活だ。
漫研の部室と、俺たち相談部の部室は比較的近い場所にあるご近所さん関係であり、上述の件もあって俺たちはそこそこ仲が良い。
漫研の部員が相談部の部室に時たま遊びに来たり、俺も漫研の部室秘蔵の漫画をたまに借りたりといった、持ちつ持たれずの良い関係を築いている。
そして今日も、我ら相談部の部室に漫研の部員が訪れていた。
「ーーでさ、結局うちの部長と柔道部の部長がお昼一緒に食べてるところに遭遇したんだよこの前。ていうか前の時も真相はそれだったんだよね? あの時桐花さんにはまんまと騙されたけど、まったく同じことやってバレるあたり部長も爪が甘いよ。そもそも一回バレそうになってるのに懲りずに部室でお昼食べようとしているあたりわざとやってるよね? 部長にはなんか、見せつけたい願望でもあるの? ギリギリのスリルがたまんないって、それもうドMじゃんドM」
かれこれ10分近くノンストップで喋り続けているのは、漫研所属の1年女子、宮間だ。
おしゃべり好きな彼女は、相談部に訪れるたびに独壇場を繰り広げる。
俺的には相槌を返す余裕すらない彼女のおしゃべりにはなかなかげんなりさせられるのだが、桐花はなかなか情報通らしい宮間のおしゃべりを毎回興味深そうに聞いている。
需要と供給が成り立つ、不思議な関係がそこにはあった。
「あ、そうだ。今日はこんな話しに来たんじゃないんだった」
と、珍しく宮間の方から話を切り上げる。
「どうしたんですか?」
「実はね、二人にちょっと相談があるんだよね」
神妙な顔をした宮間が俺たちに向き直る。
「この前、うちのお姉ちゃんの結婚式があったんだけどーー」
「結婚式ですか!」
桐花が目を輝かせる。
「いいなー、いいなー、結婚式! 私一度出てみたいんですよね!」
「う、うん。で、その時ねーー」
「教会式でしたか? 神前式でしたか?」
「きょ、教会だったよ……」
「ということは新婦はウェディングドレスですね! 素晴らしい! やっぱり個人的な憧れはあの純白のーー」
「落ち着け」
「ぐえっ!」
桐花の制服の襟元を引っ張って強制的に黙らせる。最近これが一番手っ取り早く、効果的であることがわかった。
「悪いな宮間、続けてくれ」
「う、うん。桐花さん大丈夫なの? すごいむせてるけど」
「大丈夫大丈夫。気にするな」
涙目の桐花から睨まれるが無視する。
「わ、わかった。それでね、結婚式の途中でお母さんが、お父さんの手紙を読んだんだけど」
「ん? 親父さんの書いた手紙を、お袋さんが読んだのか?」
出席してなかったのか? 娘の結婚式に?
「あ、うん。うちのお父さん、私がちっちゃい頃に死んじゃったから」
ことも何気に放たれた言葉に、部室の空気が一気に凍った。
先ほどまで興奮していた桐花ですら押し黙っている。むしろ先ほどまでのはしゃぎっぷりが後ろめたいのか、シュンと縮こまっている。
「いやいや、気にしないで! 本当に私がちっちゃい頃の話で、今はもう平気だから!」
そうは言われても、話の内容がヘビーすぎる。
「お父さん、体が弱い人だったらしくてね。私が物心ついた時には家にいなくて、ずっと入院してたんだ。私たちが大人になる前に死んじゃうってわかってたみたいで、それで事前に手紙を残してたんだって」
「……それが、結婚式の手紙ですか?」
少ししおらしくなった桐花が尋ねる。
「うん。家の金庫にしまってあったらしいんだけど、私もお姉ちゃんもそのこと知らなくてびっくりしちゃった」
「なるほど、そんなことが」
しみじみとつぶやく。
「それで、私たちに相談したいことってなんです?」
「相談したいのはその手紙の中身なんだけど、少しおかしなところがあってね」
「おかしなところ?」
「うん」
宮間は一拍置いて答える。
「その手紙の中に、お姉ちゃんの結婚相手の名前が書いてあったんだよ」
結婚相手。
つまり、新郎の名前が書かれていたってことか? ずっと前に亡くなった宮間の親父さんの手紙に?
「え、どゆこと?」
一瞬意味が理解できなくて混乱する。
そんな俺の疑問に、桐花が答える。
「亡くなったお父様が、手紙の中でお姉さんの結婚相手を予言したということですか?」
「うん。そうみたいなんだ」
桐花の言葉に宮間が頷く。
俺の頭はさらにこんがらがった。
だって、そんなの予知能力でもなければ不可能だ。
「ね? おかしいでしょ? お父さんはどうやってお姉ちゃんの結婚相手のことを知ったのかな?」
宮間の言葉を聞いた桐花は、しばし口元に手を当てて考え込んだ。
無言の時間が続く。俺は先に宮間に尋ねた。
「なあ、新郎と親父さんに元々面識があったとかはないか? 例えば新郎は新婦の幼馴染で、子供の頃から将来を誓い合っていた。とか」
「まさか。それだったらわざわざ相談しに来たりしないよ。お姉ちゃんがお義兄さんと知り合ったのは、お姉ちゃんが社会人になってからだし、地元も全然違うんだから」
「……だよなあ」
流石にそんな簡単なわけねえよな。
そう考えていると、今度は桐花が宮間に質問した。
「お父様の手紙は手書きでしたか?」
「うん。そうだよ」
「書かれたのは間違いなくお父様でしたか? その、例えば結婚が決まった時にお母様が書かれたとか?」
「ないと思う。お父さんの字ってすごい癖字で、一目見ればわかるぐらいだから」
「そうですか……」
「あ、手紙見る? 流石に持っては来れなかったけど、写真は撮ったんだ」
そう言って宮間はスマホを操作して写真を見せてきた。
「確かに結構癖があるな」
特徴的な文字。だが読みにくいわけではなく、これ以上ないほど丁寧に書かれていた。
手紙は、折り畳まれた便箋が数枚。
便箋には、結婚することになった娘への祝福の言葉。そして結婚式にそばにいてあげられないことの謝罪。たとえ天国に行っても、娘の幸せを祈り続けているということ。
そんな温かで胸を打つような内容が書かれていて、俺は不覚にも目頭が熱くなってしまった。
そして問題となるのが最後の便箋。
そこには短い言葉で、こう書かれていた。
『最後にもう一度。結婚おめでとう。ナオヤ君と二人で、これからも幸せに過ごしてください』
「……この、ナオヤ君ってのが?」
「うん。お姉ちゃんの結婚相手」
はっきりと新郎の名前が書かれている。
「うーん、新郎の名前のところを空欄で書いて、そこだけ後でお母様が書き足したのかと思っていたのですが。パッと見たところ完全に同じ人が書いた文字ですね」
「筆跡を真似た可能性は?」
「何年も前に書かれた手紙ですよね? だとすると字の濃さまで全く一緒にするのは不可能だと思います。それにナオヤという名前は三文字ですが、これが二文字だったり四文字だったりする可能性があったんですよ? 字の間隔が詰まってたり、変に空いてるようには見えません」
桐花も頭を抱えている。
「ナオヤさんって、カタカナでナオヤさんなんですか?」
「ううん。確か素直、也で直也だったはず」
だとしても、名前の読みがピンポイントで当たっているのだ。
「この手紙を読まれたのはお母様でしたよね? お母様はなんと?」
「それが何にも教えてくれないの。『お父さんは、こういうことができる人だから』って笑うだけでさ」
「……それって、予知ができる人だったってことか? まじで親父さん予知能力者なのか?」
「いやいや、まさかそんな……」
桐花は否定してくるが、こんなことただの人間にできるとは思えない。
「もう一度見せてもらっていいですか?」
桐花は宮間に断りを入れて、スマホに映った手紙をじっと見つめる。
「……この最後の手紙。これだけ少し汚れているように見えますが、これは?」
桐花の指摘通り、問題となる新郎の名前が書かれた便箋には、掠れたような黒い汚れがついているように見えた。
「多分鉛筆の汚れじゃないかな? お父さんの手紙、鉛筆で書かれていたから」
俺も覚えがある。授業中、ノートに板書していると気がつけば手が汚れ、その汚れがノートに写るのだ。
それと同じことが、この手紙でも起きたということだろう。
「そうですか……」
桐花はそれを聞いて少し考え込む。
「宮間さん。確認したいのですが、この不思議な現象についてどう思っていますか?」
「どうって?」
「例えば、怖いとか、気味が悪いとか。そう思ったりはしていませんか?」
「ううん、まさか。確かにちょっと不思議だとは思うけど、お父さんのことだから怖いとかは全然ないよ」
「なるほど」
「それに、ね」
「それに?」
宮間は少しだけ照れたように笑った。
「お姉ちゃんも言ってたんだけど、なんだかちょっとだけ、嬉しいんだ」
「嬉しい?」
「うん。なんて言ったらいいのかな? お父さんがずっと私たちのこと見守ってくれてるみたいでさ。だからこんな奇跡みたいなこと起きたんじゃないかって、そう思うんだ」
「……そうですか」
宮間の言葉を聞き、桐花は口元に手を当てて黙り込んだ。
「まあ、本当のところは何か仕掛けがあるんじゃないかと思ってるだけど。桐花さん。何かわかった?」
期待を込めた宮間の眼差し。
それを受けた桐花はーー
「……ごめんなさい。ちょっとわからないです」
『そっか、桐花さんにもわからないなら仕方ないね』
桐花のわからないという答えに、宮間はそれほど落胆した様子もなかった。
どうやら謎を解き明かしてほしいというよりは、この不思議な現象について誰かと共有したかったのだろう。
その後しばらくして宮間は漫研の部室へと帰った。
そして取り残された俺と桐花。
「なあ、桐花」
俺は桐花に問いかける。
「本当のところ、あれはどういうトリックなんだ?」
「え?」
桐花は驚いたように俺を見つめた。
「え、じゃねえよ。わかったんだろ? 宮間の親父さんが新郎の名前を当てたカラクリが?」
「……なんで、そう思うんです?」
不思議そうな表情を見せてくる。
「なんでって。お前がああいう謎に対して、わかりませんなんて簡単に引き下がるかよ。普段はもっとしつこく食らいつくだろうが」
「……しつこくって、私そんなイメージです?」
これでもかなりマイルドな表現だ。
「それにお前、なんかわかったっぽい顔してたしな」
わずかな表情の変化だったが、それなりの付き合いの俺にはわかる。
こいつは間違いなくこの謎を解いている。
俺の言葉にキョトンとしていた桐花は、少し笑みを見せた。
「そうですね。吉岡さんの言う通り、この謎は解けています」
そして、いつものように推理を聞かせてくれた。
「まず注意して欲しいのは、今から聞かせる推理には確証となるものはありません。状況証拠から導き出した、もっとも合理的な説明だということを念頭においてください」
そんなことを念押ししてきた。
「宮間さんのお父様が残した手紙。そこにどうやって未来の新郎の名前を書くことができたのか? それを推理するには3つのポイントがあります」
そう言って指を1つ立てる。
「まず一つ目。手紙に書かれた新郎の名前。それがカタカナで書かれていたことです」
手紙には、ナオヤ君と書かれていた。
「直也、直哉、尚弥。漢字で書こうとすればパッと思いつくだけでも3つは出てきます。実際はもっと多いでしょう。ですがナオヤとカタカナで書けば、その全てをカバーできる。つまり、新郎の名前を当てる確率がそれだけで上がるんです」
「いや、当たる確率って。そもそもナオヤって読みをピンポイントで当てたことが不思議だって言ってんだろうが」
俺の言葉には答えず、桐花は2本目の指を立てた。
「そして二つ目。最後の手紙の文章、少し短いと思いませんか?」
最後の手紙に書かれたのは『最後にもう一度。結婚おめでとう。ナオヤ君と二人で、これからも幸せに過ごしてください』という文章だけ。
確かにこれだと便箋の空白が目立つ。
「その一つ前の手紙にはまだ書く余裕がありました。そんな短い文章なら一枚にまとめられたと思いますよ」
「そうだけど、なんの関係があるんだ?」
これにも答えず、桐花は3本目の指を立てる。
「そしてこれが最も重要。なぜ最後の便箋は汚れていたのか?」
「なぜって、鉛筆の汚れだろ?」
「最後の手紙にだけですよ? その前の手紙には汚れなんてありませんでした」
「……あれ?」
そう言われると変だ。
問題の便箋はスマホの写真にも関わらず、汚れがはっきりと映っていた。しかしその前の手紙に汚れなんて見えなかった。
「吉岡さんもわかっているでしょうが、鉛筆による汚れが出る原因は、手に付着した黒鉛です。そしてその黒鉛は、鉛筆で書かれた文字に触れることで蓄積していきます。少しずつ蓄積していく汚れなのに、最後の便箋だけ汚れていて、他が綺麗なままなのは明らかに変です」
それまで手の黒鉛が紙に写るほど付着していなかったのに、最後の手紙の時だけいきなり大量に付着したということか?
だけど、そんなのどうやって?
「だとすれば考えられる可能性は一つだけです。最後に書かれたあの手紙の前に、大量の文字を書いていたんです。手の黒鉛が蓄積して、最後の手紙を汚すくらいに」
「大量の文字って、そんなのなかっただろ」
手紙の枚数は5枚しかないのだ。
「まさか最後の手紙を書く寸前に、別の手紙を書いていたとでも? 娘の結婚を祝う手紙を途中で止めるわけーー」
そこまで言って気がつく。別の手紙を書いていたわけではないのだ。
桐花に与えられた3つのヒント。
それを全て考慮に入れて考えれば、この不思議な現象の説明ができる。
「まさか……」
あまりに突拍子がなさすぎる。
このトリック、理論的に考えれば可能。
だが実際にやろうと思っても、できることじゃない。
「吉岡さんの考えている通りですよ」
しかし、桐花は俺の考えているありえないトリックを肯定する。
「宮間さんのお父様は、最後の手紙を何枚も書いたんです。新郎の名前が当たるまで」
唖然とする。
「名前をカタカナで書くことで、当たる確率を上げる。最後の手紙の文字を少なくすることで、書ける枚数を増やす。そうやって何枚も何枚も、新郎の名前を変えた手紙を書き続けたんです」
「……大量に書いて、そのどれか一枚で新郎の名前を的中させるのに賭けたってことか?」
そう言われればシンプルなトリックだ。だけど、こんなの想像できるわけがない。それをやるのに、どれだけの労力が必要なのか。
「……すげえな。一体、何枚書いたんだろうな」
驚嘆するしかない。
「何十枚。何百枚なんてレベルじゃないでしょうね。だとしても新郎の名前が当たったのは奇跡的な確率です。どれだけ書いたとしても、日本人の男性名を全て網羅できたとは考えられませんから」
そもそも結婚相手が日本人だとは限らないのだ。
どれだけ書こうが、こんなの当たる確率は低いだろう。
だけど宮間の親父さんは書き続けたのだ。
『結婚おめでとう』
その言葉を何度も何度も。
近い将来そばには居てあげられなくなる娘のために、祈りを込めて。
「奇跡、だよなあ……」
感嘆する。
娘への思いが奇跡を起こしたとしか考えられない。
「手紙を何枚も書いたってことは、それを読んだお袋さんも?」
「ええ、このカラクリを知っているでしょうね。お姉さんの結婚相手が決まったら、大量に書かれた手紙の中から、新郎の名前を見つける必要がありますから」
「ということは、『お父さんは、こういうことができる人だから』って言葉は」
「娘をほんの少し驚かせるために、惜しみなく努力できる人。そういう意味でしょう」
とんでもないサプライズだ。
「あ、そっか! お前、だから宮間にわからないなんて嘘を」
桐花がことの真相を宮間に告げなかった理由がわかった。
「ええもちろん。宮間さんが結婚した時用の手紙もあるはずです。お母様が種明かしをするつもりがあるかは分かりませんが、少なくとも今、私から告げるのは野暮でしょうから」
少しだけ見てみたい気がする。
宮間の結婚式で読まれる父親の手紙。
その手紙には新郎の名前が書かれていて、そのことに宮間が驚く様子を。
次もまた新郎の名前を的中させることはできるだろうか?
いや。ただの想像でしかないが、奇跡がもう一度起きるような気がする。
「……今度宮間に会ったとき、結婚するなら日本人にしとけって言っとくか」
「それこそ野暮ってものですよ」




