今時の出会い
相談部が「部」という体裁をとっている以上、そこには必ず顧問となる教師が存在する。
我ら相談部の顧問。それが清水早苗先生である。
俺のクラスの担任の先生でもある清水先生。美人で優しいと評判で、生徒たちが非公式で行なった教師の人気ランキングでは堂々と1位となった女性だ。
そんな清水先生は、桐花との取引のおかげで割とすんなりと相談部の顧問となることを了承してくれた。
清水先生は合唱部の顧問も兼任しており、普段はそちらの活動に注力している。桐花も相談部の活動は基本自分たちだけでやるから名前だけ貸して欲しいと言うスタンスのため、清水先生が相談部に訪れることは少ない。
しかしある日のこと。放課後、売店に寄ってから部室へと行くと、そこには清水先生がいた。
「ねえ、桐花さん。これなんかどうかしら?」
「北海道産の鮭ルイベ? へえ、鮭を凍らせたご飯のお供ですか」
清水先生と桐花は向かい合いながら何かの冊子を見ている。
どうやらホームルームが終わって、俺が売店に寄っている間に部室に訪れていたようだ。
「珍しいっすね、うちに来るなんて」
「ええ。桐花さんと吉岡くんにはこれを見てもらおうと思って」
そう言って先生は読んでいた冊子を見せてくる。
雑誌を見ていたのかと思っていたのだが、どうやら違う。フルカラーのページには高級そうな肉や魚の写真が掲載されていた。
「なんですかこれ?」
「これはカタログギフトって言って、このカタログの中から一つ、好きなものを選んでハガキを出せばそれをプレゼントとして貰えるの」
「えっと、懸賞ってことですか?」
「あ、違う違う。説明不足でごめんね、なんて言ったらいいかな?」
そう言って先生は口元に指を当てて考え込んだ。
「誰かにプレゼントを贈る時、何を贈ればいいかわからない時があるでしょう?」
「まあ、確かに」
最近身に染みてわかったことだ。
「相手が何が好きかわからない。そもそもプレゼントを贈る相手が複数いて一人一人選んでいる時間がない。そんな時、このカタログギフトを贈るの。『お金はもう払っているので、この中から好きなプレゼントを選んでください』って感じね」
「なるほど」
なんとなく理解できた。
「この前カタログギフトをもらってから何にしようか考えてるんだけど、色々目移りしちゃってね。一人じゃ決めきれなくて」
「つまりですね、先生は私たちにご自分へのプレゼントを何にしようか相談しにきたんですよ」
「そ、その通りだけど、桐花さんの言い方だと、ちょっと私嫌な女じゃない?」
ふむ。プレゼント選びか。何かと最近縁があるな。
「何が載ってるんですか?」
「そうね、やっぱ食べ物系が多いかな。さっき話してたルイベみたいな珍しいのもあれば、コシヒカリ30キロなんてのもあるわ」
「……私的にプレゼントにお米ってのもどうかと思いますが」
「あとは家電だったり、美容機器なんかもあるわ。個人的にこのマイクロバブルのシャワーヘッドなんかは気になるわね」
「あー、気にはなるけど、お金出してまでは買わないものの筆頭みたいなものっすね」
絶妙なラインを攻めてくるな。
俺は清水先生にカタログを借りて、ペラペラとページを捲る。
「うわ、ネックレスとか時計もあるじゃん。結構高そうだな……あれ、これ先生へのプレゼントなんですよね。先生最近誕生日でしたか?」
これはいけない。もしそうなら普段お世話になっている先生にお祝いの言葉くらい送らなくては。
そう思ったのだが、先生は首を横に振る。
「ううん。違うわ」
「じゃあ、何かのお祝いっすか?」
「うーん、私のお祝いってわけじゃないのよねえ」
煮え切らない態度。
「……吉岡さん。その話はそれくらいにしてください」
桐花がなぜか注意してくる。
「は? なんで?」
意味がわからず桐花を見れば、何やら焦った表情を浮かべている。
「いえ、この話は明らかな地雷ーー」
「友達の結婚式の引き出物よ」
桐花の言葉を遮り、先生は切り出した。
「ふふふ。この前高校生の時の友達の結婚式にお呼ばれしちゃってね。その時に頂いたの」
頬に手を当てて先生は笑う。
しかし、その目は全然笑っていないことに俺は気がついた。
清水早苗。
晴嵐学園の美人教師。
合唱部と相談部の顧問。
非公式教師人気ランキング1位。
独身。
この先生。美人で性格もいいのになぜか致命的に恋愛と縁がない人なのである。
恋愛や結婚に興味がないわけではなく、むしろご自身の結婚適齢期を人一倍気にされているような人なのだが、なぜか結婚できない。
時々相談部に訪れてはそのことを嘆いて、俺と桐花が慰めている。
そんな先生がまたしても特大の地雷を持ち込んで、自分で踏み抜きやがった。
「その友達ね、昔から日本の歴史、特に幕末の頃が好きでね。歴女っていうのかな? 『私の恋人は坂本龍馬だ!』なんてよく言ってたのに。ふふふ、一体いつの間に幕末志士じゃない恋人作ったのかな?」
遠い目をしながら、仄暗い笑みを浮かべる先生。
俺と桐花は先生に聞こえないよう、小声で話し合う。
「だ、だから止めたのに吉岡さん」
「い、いやだってよ。プレゼント選ぶ話にこんなトラップ仕掛けられてるなんて思いもしねえじゃねかよ!」
「結婚式の引き出物にカタログギフトは定番なんですよ!」
「知るかそんな定番! 高校生だぞ俺は! 第一、あの人なんで毎回毎回自分が落ち込むような話題を自分で持ってくるんだ!?」
「それこそ知りませんよ!」
そんなやり取りをしながら清水先生の方を見ればーーだめだ、目のハイライトが消えている。
こうなった先生は少々厄介だ。
いや、ぶっちゃけて言ってかなりめんどくさい。対応を誤ればさらに拗れる。
「そ、それより先生! プレゼント選びましょう! ね! これ、アクセサリーなんかもありますよ! ほら、この指輪なんかも先生によく似合いそうーー」
「そういうのは、できれば恋人からもらいたいなーって。ふふ、結婚式の指輪交換、素敵だったなー」
「うっ!」
さらに落ち込む先生。俺は桐花にスネを蹴り飛ばされた。
「何やってるんですか! 指輪なんて目に見えている地雷でしょうが!」
「す、すまん」
だめだ。女性には光り物って変な思い込みが頭の片隅にある。
「ほ、包丁なんてどうですか!? 越前打ち刃物! 先生料理するって言ってたし!」
「結婚祝いに包丁ってだめなんだって。縁が切れるからって。まあ、私には切れる縁なんてないんだけど」
「な、ならこの茶碗なんかどうですか? 有田焼の高級茶碗。普段使いにピッタリでしょう!」
「だから私、友達の結婚祝いはお茶碗にしたのよ。夫婦茶碗。今更だけど、独身の私が夫婦茶碗買って良かったのかな?」
「ぐうぅ。りょ、旅行はどうですか! 温泉宿一泊2日!」
「友達夫婦は今頃新婚旅行中かな? やっぱり旅行は誰か一緒に行くのが一番よね」
「じゃあこれっ! この明らかに高級そうなビスケット! すごいっすよ、イギリス製ですって!」
「新婚旅行ヨーロッパなんだって。いいなー、私もヨーロッパ行きたいなー。あ、一緒に行ってくれる人がいないや」
「何を言えばセーフなんだチクショウ!」
ここは特大の地雷原だ。安全地帯なんてない。
もう限界だ。俺は桐花に視線を送り助けを求める。
やれやれと言った様子で桐花は先生に声をかけた。
「先生。諦めないでください。先生にもきっと素敵な恋人ができますよ」
「無理よ。ただでさえ教職は狭くて閉じた世界だから、出会いなんて全然ないのよ」
「なら、この学校で良さそうな人いないんですか? ほら、体育の内田先生とか、独身でしたよね?」
「ダメダメ。内田先生この前、幼馴染の女性と婚約したって」
「……その話詳しく聞かせてもらっていいですか?」
「桐花」
この女、早速脱線して趣味に走りかけやがった。
「はっ。いえいえ、ゴホン! ……先生、いいですか? これは先生の意識の問題です」
「私の意識?」
「そうです。先生は出会いがある日いきなり来るものだと思っていませんか?」
「そ、それは……」
「白馬の王子様を待ってるだけじゃだめなんですよ。出会いは、作るものなんです!」
桐花はそう力強く言い切った。
「作るって、そんなの一体どうやって?」
「お前まさか、先生に街に繰り出して逆ナンでもさせようってんじゃないだろうな?」
「馬鹿なこと言わないでください。馬鹿な吉岡さんと違ってそんな馬鹿な提案するわけないでしょう」
馬鹿馬鹿言うなや。
「出会いを作る。それ自体は昔から行われてきたことです。お見合いなんてその最たる例でしょう。しかし時代の移り変わりとともに、出会いの作り方も変わってきました」
桐花は立ち上がり、大仰な仕草で熱弁する。
「そして現代。人々は人類の積み上げた叡智を持って、新たな出会いの形を築き上げました。それこそがーー」
「そ、それこそが?」
たっぷりと間をとり、もったいぶって発表する。
「マッチングアプリです!」
「馬鹿かお前は」
気がつけば、反射的に罵倒していた。
「な、なんですか馬鹿って!」
「お前なあ。馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、お前は本当に、なんでそう……馬鹿なんだ」
「人のこと馬鹿馬鹿言わないでください!」
言葉が見つからない。
「この上なく合理的でしょうが! マッチングアプリを使って結婚した人なんて、今時普通ですよ!」
「そうかもしれねえけど。未成年の高校生が教師に勧めるもんじゃねえだろこの馬鹿」
呆れ果てたやつだ。そんな俺の思いをよそに、桐花はグイグイと勧めてくる。
「以前からマッチングアプリというものには興味があったんです。 ネットであらゆる事例を調査し、マッチングアプリの必勝法を独自に研究していました」
「それ高校生の時間の潰し方じゃない」
「さあやりましょう先生! 各社のマッチングアプリをリサーチ済みで、先生に最適なマッチングアプリがどれなのか考えがあります!」
「お前それ、自分の研究成果を先生で試そうとしてるだけじゃねえかよ!」
高校生じゃ使えないからって先生を巻き込むな。
結局そのまま押し切られる形で、先生は桐花の勧めるマッチングアプリをスマホにインストールする。
「さて。じゃあプロフィールの作成をしましょう。マッチングアプリの利用者は、まずこのプロフィールを見て相手と親密になりたいかどうかを判断します。勝負はこのプロフィールの完成度でほぼ決まりますよ」
「勝負て」
あながち間違いでもないが。
「まずはプロフィール写真からですね。できればいい写真を撮りたいんですが……」
「ここで撮るか? 照明がちょっと不安か?」
「いえ、それだけでなく。先生今日はお仕事ということでナチュラルメイクですから」
「……別に良くね?」
何度も言うが、先生は美人だ。化粧が薄くてもその美しさが損なわれることはない。
「全く分かってませんね吉岡さん。仕事用のメイクと男性にアピールするためにメイクは全然違いますよ」
「まあ、そのあたりはぶっちゃけ良くわかんねえからお前に従うが。今から化粧するのか?」
詳しくないが、そういうのって時間がかかるんじゃないか?
「あ、写真なら良いものがあるわ。それを使いましょう」
と、思っていたところ、先生から予期せぬ提案があった。
「この前実家に帰った時、よくわかんないけど両親に写真屋に連れて行かれてね。お化粧してもらって撮ってもらったの」
「写真屋に撮ってもらった写真ですか?」
「ええ、ついでに私のスマホでも撮ってもらったから……ちょっと待ってね?」
そう言って先生はスマホのアルバムを操作する。
「ご両親に連れられて取られた写真というのは、どういう意味でしょうか?」
「さあ。だけど、プロに撮ってもらった写真だろ? 好都合じゃねえか」
俺と桐花は声をひそめてやりとりする。
そうしている間に、先生はその写真を見つけた。
「これなんだけど、どうかしら?」
ちょっと恥ずかしがりながら写真を見せてくる。
「こ、これは!」
その写真には、とても美しい人が写っていた。
間違いなくプロの手によって施されたとわかるきっちりした化粧。
長い髪は丁寧に結い上げられている。
そして着ている服は、一眼見て高級だと思われる華やかな和装。
そんな着物に身を包み、バッチリとめかし込んだ先生がわずかに照れを見せながらこちらを向いている。
間違いなく良い写真だった。撮った人の力量もいいのだろう、先生の持つ美貌がこれでもかと引き出されている。
だがーー
「桐花、これって……」
「ええ。どう見ても、お見合い用の写真です」
こんな写真、古いドラマか歴史の教科書でしか見たことがない。
これを両親主導で取られたって……どうやらご両親も、結婚できない娘のことを憂いているようだ。
「おいどうすんだよ桐花。いやめちゃくちゃ綺麗だけどさ、化粧あれほぼ白塗りだぞ? マッチングアプリのプロフィール写真って、みんな見合い用の使ってるのか?」
「使いませんよ! こんな特殊なケース想定していません!」
「じゃあ止めるか?」
「無理ですよ。見てください、先生の顔」
「顔って……うわあ、照れながらちょっとドヤ顔してる!」
密かに自信があるのだろう。
実際綺麗なのは間違いないのだ。TPOを弁えていないだけで。
「ど、どう桐花さん? 変じゃない?」
「…………これでいきましょう」
桐花が折れた。
「次! 自己紹介の文章です! 自分を知ってもらうためのPR、ここで挽回しますよ!」
「挽回? 桐花さん、挽回ってーー」
「さあさあ書きますよ先生! ご自身の趣味や特技、お付き合いすることでこんな良いことがありますよって、これでもかとアピールするんです!」
桐花のやつ、出鼻をくじかれてヤケクソになってないか?
「お、お付き合いすることのメリットね? よし、じゃあ『実家は兄が継ぐ予定なので、私が嫁ぐか、婿に来ていただくかはご都合の良い方に合わせることができます』」
「先生?」
「それ以外だと……『趣味は料理です。その他掃除や選択に関しても母に一通り仕込まれていますので、家事は全てお任せください』」
「先生」
「あとはそうね『私は高校教師を務めていまして、この仕事に誇りを持っています。ですので結婚後もできれば仕事を続けさせて欲しいと考えています。もちろん、仕事を続けるからといって、家事をおろそかにすることはありません』」
「先生っ!!」
桐花がとうとう悲鳴に近い声を上げた。
「結婚に対する意識が強すぎます!」
「あー、いやでもマッチングアプリの目的ってそういうものじゃねえの?」
「結婚は最終目的なんです! 大抵の人にとってマッチングアプリは出会いのきっかけでしかないんですよ!」
なるほど。先生はその過程を全部すっ飛ばしているのか。
桐花は頬を引き攣らせながら、ぽつりと言葉をこぼした。
「私がマッチングアプリを調べた時、注意すべき地雷女子についてまとめられていた記事を見つけたんです」
「……続けてくれ」
「その特徴の一つがですね、結婚の意識が強すぎて重い人ってのがあったんです」
「見事に当てはまるな」
「あと、プロフィール写真が気合い入りすぎて、ゴテゴテに盛っているなんて特徴もあるそうです」
「これ以上なく気合が入ってるな。別方向ではあるが、盛っているのも間違いない」
「……」
「……」
しばしの沈黙。
やがて桐花がおずおずと口を開いた。
「……どうしましょう?」
「……認めろよ。先生マッチングアプリ向いてないって」
結婚が向いていないとは、口が裂けても言えなかった。
「いやいや、まだ希望はーー」
「最後に『マッチングアプリは初心者で、知人に勧められて始めました。なので至らない点があるかもしれませんがご容赦ください』と」
「……初心者アピールと、知人からの紹介ですって書いてあるのも地雷の特徴だと聞きました」
「ああ『友達が勝手に応募した』なんて言うアイドル、鼻につくよな」
もうダメなこと全部やってる。
「よし! 書けたわ桐花さん!」
「先生」
桐花は清水先生の両肩をがっしり掴んで、その顔を正面から見つめる。
「諦めましょう……マッチングアプリは」
「へ?」
結婚を。と言わなかったのは桐花の優しさなんだろう。




