体育祭マジック
「全部俺がやりました。本当にすみませんでした!」
岡本先輩の自白の後、彼は迷惑をかけたことを赤組に謝りたいと言ったので、その希望を叶えるため赤組の中野団長と福原先輩を呼び出した。
そして岡本先輩は二人に対して深々と頭を下げ、自分自身が犯人であること、その理由は赤組のモニュメントへの対抗心が暴走したためであることを説明した。(もちろん、ロミオとジュリエットの件は説明しなかったが)
最初こそ現在の赤組と白組の対立の直接的な原因である彼に対して怒りを見せていたが、自らがデザインしたモニュメントを自らの手でめちゃくちゃにした理由を震える声で説明されると複雑な表情に変わった。
「岡本……そんなこと考えてたんだ」
「つまり、赤組を陥れてやろうなんてつもりは一切なかったんだな」
理由が理由だけに頭ごなしに怒鳴りつけることもできない。
頭を下げ続ける岡本先輩に福原先輩がやわらかい声色で話しかける。
「私、岡本のデザイン好きだよ?」
「っ!」
その一言を聞いて岡本先輩の目から涙が溢れ出る。
ずっと追いつき、勝ちたいと願っていた相手から送られた最高の言葉に嗚咽が止まらなくなっていた。
「しかし私を犯人だと思っていただと? そんなこと私がするわけないだろうに!」
「……すまん、中野」
振り上げた拳の行き先を失った中野団長は、多田団長をターゲットに変えて怒りをぶつけていた。
中野団長からすれば自身が預かり知らぬところで犯人扱いされて、冤罪にもかかわらずそのことを庇われていたと言う状況なのだ。
「しかしどうするんだ? 真相が分かったのはいいが、今のこの状況をどうする?」
中野団長の指摘はもっともなもの。赤組と白組の対立そのものが解消されたわけではない。
「お、俺がみんなに説明して謝るとか?」
恐る恐る手を挙げた岡本先輩の言葉をみんなが否定した。
「バカなこと言わないでよ岡本。そんなの袋叩きにしてくれって言ってるようなものじゃん」
「そうだ。犯人がわかったところで今更事態が好転するわけないだろ」
「お前が頭を下げるだけでどうにかなる状況ではないんだ」
「ご、ごめんなさい……」
口々に否定されて岡本先輩は消え入りそうな声で謝罪する。
ため息をついた多田団長は桐花を見る。
「で、どうする? お前は何か策があって俺から話を聞き出したんだろう?」
この場にいる全員から視線を向けられた桐花は、動じることなく口を開いた。
「そうですね。まず私の考えを言わせてもらえれば、この赤組と白組の対立、実はそんなに大したことないんじゃないかと思っています」
「はあ!?」
桐花のぶっちゃけた物言いに驚愕の声が上がる。
「だってそうでしょう? 現状だと罵倒だとかの口喧嘩みたいなものがメインで、別に殴り合いが起きているわけじゃありませんし。お互いへの対抗心や敵対心なんて、体育祭みたいなイベントでは珍しいものじゃありませんよ」
あっけらかんとそんなことを言い放つ。
「じゃ、じゃあ何か? このまま放置しろとでも?」
「いえ流石にそこまで考えなしじゃありませんよ。この体育祭の空気を体育祭が終わった後も引きずることは望ましくありません。今でこそ体育祭の勝負という捌け口がありますけど、普通の学校生活でも険悪な空気のままだったら、それこそ殴り合いが起きかねませんからね」
普段の学校生活でも赤組と白組に分かれて対立が続いていたらと思うとゾッとする。
「大事なのは体育祭の関係は体育祭できっちり清算することです。終わりよければすべて良しってことですね。たとえ今険悪な雰囲気であっても、終わり方次第で『あの体育祭は盛り上がったな』『燃える体育祭だったな』と思えるようになります」
確かに見方を変えれば、今の体育祭の状況は盛り上がっていると言えなくもない。
「そしてもう一つ、問題ととなっているのは赤組、白組という枠組みです。この枠組みを意識しすぎているせいで対立が起きているわけですから。ぶっちゃけ生徒のほとんどはモニュメントが汚された件なんて関係なく、相手が赤組だから、白組だから敵意をぶつけてるんだと思います」
それはまあ薄々気がついていた。
大抵の生徒は体育祭に蔓延する熱と空気に当てられて暴走しているようなものだ。
「つまり、赤組と白組のを枠を超えて、生徒全員が一致団結した状態でこの体育祭を終わらせればいいんです」
堂々と胸を張って持論を展開した桐花だが、この場の誰もピンときていなかった。
「一致団結って。それは……難しいんじゃないか?」
「ああ。体育祭の最後には総合点数が発表されて、赤組と白組の勝敗が決定してしまうからな」
両陣営の団長が難しい表情を浮かべる。
「3年間体育祭に参加してきた身から言わせてもらうと、体育祭の勝敗は結構引きずるぞ? 毎年しばらくの間浮かれているやつとか、落ち込んでるやつとかが出てくる」
当然、赤組と白組が険悪な今、勝敗を引きずることは険悪な関係も引きずることになってしまう。
一致団結なんて不可能。みんなそう思っている中、桐花ただ一人が不敵な笑みを浮かべる。
「大丈夫です。体育祭の勝敗を超えた盛り上がりを最後の最後に持ってくればいいんです」
「いや体育祭の勝敗が決まる瞬間なんて、盛り上がりのピークじゃねえかよ」
「そこは当然、私に考えがあります。私の作戦を実行すれば、ほぼ間違いなくこの事態を収束することができます」
そう言った桐花は真剣な表情を浮かべ、多田団長を見据えた。
「ただし、私の作戦にはリスクがあります。多田団長の今後の学園生活に多大な影響を与えかねません。それでもやりますか?」
冗談なんて微塵も感じさせない本気の表情。
そんな桐花に若干気圧されながらも、多田団長は覚悟を決めた表情で頷く。
「ああ、やる。白組の団長として俺がこの騒動を終わらせてみせる」
「よろしい」
桐花は頷き、次は中野団長を見据える。
「中野団長も、多田団長ほどではないでしょうが、同等のリスクを背負うことになりますが、よろしいですか?」
「もちろんだ。何をするつもりか知らんが、私にできることならなんでもやるぞ!」
迷うことなく言ってのけた中野団長を見て満足そうに頷いた。
「ではお話しします。私が考えた作戦とはーー」
そして桐花は作戦を俺たちに伝える。
しかし、その作戦の内容を聞いて誰もが困惑した。
「ーーというわけですが。進藤さん、できそうですか?」
「そ、それぐらいならうちの実行委員長に頼めばやれなくはないでござろうが、それが桐花氏の作戦でござるか?」
進藤も困ったように辺りを見回す。
それも当然。桐花の言った作戦ではどう考えても事態を解決することなんてできなさそうだからだ。
「そ、そんなことしたらむしろ状況が悪化するんじゃないか?」
「ああ。自分のチームメイトを扇動しているようにしか思えん」
二人の団長も苦言を呈する。
しかしそんな状況でも桐花は余裕の笑みを崩さなかった。
「まだです。私の作戦はこんなものじゃ終わりません。この作戦の肝は多田団長です。多田団長にはその作戦中にやってほしいことがあります」
「俺に?」
怪訝そうな多田団長に桐花は近づき、他のみんなには聞こえないよう小声で何やら耳打ちする。
何を言われたのか、話を聞き終わった多田団長は目を見開いて驚愕している。
「お前! それを……俺にやれと?」
先ほど覚悟を決めていたはずの多田団長が躊躇している。
「ええ、もちろん。先ほど団長としてこの騒動を終わらせると、おっしゃいましたよね?」
「ぐっ!」
「多田団長も停滞したこの状況をなんとかしたいと考えてたのではないですか? いい機会ですしガツンと決めちゃいましょう」
「し、しかしだな! そんなの、本当に上手くいくとは……」
「大丈夫です。きっと、必ず、絶対に上手くいきますよ」
なぜだろう。俺には多田団長が悪魔と取引をしているようにしか見えなかった。
「……わかった。やる」
諦めたように肩を落とす多田団長がやけに印象的だった。
「さあ! みなさん大船に乗った気持ちで残りの体育祭を楽しんで行きましょう!」
そう言って桐花はニヤリと笑った。
「この私が、体育祭に魔法をかけてあげますよ」
体育祭も終盤に差し掛かった。
罵声が飛び交うような物騒な体育祭ではあったが、ここまで奇跡的に暴力沙汰にはなっていなかった。これもひとえに両陣営の団長の巧みなヘイトコントロールのおかげだろう。
多田団長も中野団長も、相手チームとの対立はあくまで正々堂々と競技によるもので決着をつける、というスタンスで自チームを導いてきた。
おかげで競技そのものはどこまでもフェアな勝負で成り立っていた。
しかしそれもそろそろ限界を迎えている。
体育祭最終競技、『赤組白組対抗リレー』
各学年で最も足の速い男女が一人ずつ選ばれ出場する、学年混成リレーだ。
これまでの競技、及び応援合戦、さらにモニュメントの点数はすでに発表され、奇しくもこの最後の競技で赤組白組の勝敗が決まるというお約束の展開となっている。
両チームの盛り上がりはこれでもか、という所まで来ている。
はっきり言って、俺は気が気ではなかった。このリレーが終われば勝者と敗者が決まってしまう。そうなった時俺たちが危惧していた通り、最悪の結末を迎えてしまうのではないだろうかと。
頼みの綱は、桐花の言う作戦。
そしてリレーが始まる直前に桐花の作戦は決行された。
桐花の作戦はシンプル。リレーが始まる前に、両陣営の団長による決意表明という名のマイクパフォーマンスを行うというものだった。
対峙し、睨み合いを続ける赤組と白組の最前線に進み出た多田団長と中野団長。それぞれの手には拡声器が握られている。
『あー、あー。良し十分聞こえるな』
マイクテストを行いつつ先陣を切ったのは赤組の中野団長。
白組の全員から敵対心を向けられている中、堂々と宣戦布告を行う。
『ここまでの競技、応援合戦、モニュメント。どれも僅差だった。どちらが勝ってもおかしくない良い勝負ができたと思う』
ここで一区切りつけ、わずかに溜めを作る。
『しかしだ! このリレーに勝つことによって真の勝者は我々赤組であるということを証明する! 以上っ!!』
赤組団長の名に恥じない力強い言葉。
『いいぞ団長!』『絶対勝つぞ!』
そんな声援が赤組から送られる。
しかし、白組からは『ふざけんな! 俺たちに勝てると思ってんのか!』『卑怯者がでかいこと言ってんじゃねえ!』といった罵声が浴びせられる。
ここまでは桐花の作戦通りだった。しかし両チームの対立を煽るようなこの作戦に、一体どんな意味があるのだろうか?
そして興奮も冷めやらぬまま、対抗する白組の多田団長の決意表明の番が来た。
『……』
多田団長は拡声器を構えたまましばらく無言だった。最後の決戦の前にまるで上の空というか、決心がついていないような表情を浮かべている。
そのただ事ではない様子を見ていた両チームは、ややヒートダウンして多田団長に注目する。
『……仕方ない、やるか』
やがて、覚悟を決めたような表情と共に顔を上げた多田団長は、まっすぐ中野団長を見据える。
『赤組団長、中野日奈子。お前に言いたいことがある』
中野団長を名指ししたことで両陣営に緊張が走った。
『ずっと前から好きだった。この勝負、俺が勝ったら付き合ってくれ』
時が止まったような気がした。
この場にいる全員多田団長の言葉の意味が理解できず、あれだけ騒がしかったグラウンドが嘘のように静まり返った。
調子はずれのBGMだけがやけに大きく聞こえる。
最初に動き出したのは中野団長だった。
『ば、ば、馬鹿なことを言うな!! こ、こんな時になんの冗談だ!!』
真っ赤になって怒鳴りつける。
『冗談ではない。本気でお前のことが好きだ。ずっと昔から』
対照的に多田団長は真顔だった。恥ずかしがる様子を微塵も見せずに堂々と言い切る。
『な、何を!? 今までそんな素振り少しもーー』
『そんな素振りを少しも見せなかったって? 俺が今までどれだけお前にアプローチかけてきたと思ってるんだ!!』
『アプっ!!』
違った、堂々としているんじゃない。あれはもうヤケクソになってるだけだ。
『中学の時の修学旅行、清水寺やらなんやらを二人きりで回っただろうが! 夏祭りは毎年誘ってるし、クリスマスには毎年プレゼントを贈ってただろ! 今年のホワイトデーなんか、お前がくれたコンビニのレジ横に置いてある10円チョコのお返しに4500円のスイーツバイキングを奢っただろうが!!』
『あ、あれは、お前が臨時収入があったって言ったからーー』
『なわけねえだろこの馬鹿!! 必死に小遣い溜めたんだよ! お前とのデートのためにな!!』
『デート!?』
小っ恥ずかしいやり取りを人目を気にせず続ける二人。
生徒全員今までの対立なんて忘れて、ヤジを飛ばすことすらせず固唾を飲んで二人を見守る。
『気合い入れてホワイトデーの準備したのになんだお前は! こっちの気も知らないでバクバクケーキやらなんやらを食い散らかしやがって!』
『じょ、女子に向かって食い散らかすとか言うな!!」』
『挙げ句の果てに『腹一杯になったから帰る』だと!? そのあと考えてたデートプラン全部台無しだ!!』
『デート、デートって大声で言うな!!』
お互いに怒鳴り合っているが、側から見ればいちゃついているようにしか見えなかった。
『なんでこれだけやって気づかねえんだ!!』
『お、お前のアプローチが遠回りすぎるんだ!』
『ふざけんな! どストレートだっただろうが!!』
いつまでも続くかと思われた二人のやり取りは、実行委員が強制的に止めに入ることで終わりを迎えた。
そして、終わった頃には体育祭に蔓延していた空気がガラリと変わっていた。
そして、最終決戦のリレーが始まる。
みんな勝敗に注目している。
しかし、赤組が勝つか白組が勝つかなんて誰も気にしていなかった。
注目しているのは多田団長が勝つかどうかである。
『勝てー! 多田団長!!』
『男見せてくれ、団長ーー!!』
『ふっざけんな多田!! お前なんかにうちの団長をやれるか!!』
『転べ! 無様に転んじまえ!!』
『中野団長ーー、わざと負けたりしないでくださいよーー!!』
これまで以上に熱のこもった声援とヤジが飛び交う。
そこには今までのように険悪な空気なんて微塵もなかった。
全員、白組も赤組も関係なく全力で体育祭を楽しんでいる。
「ここまであいつの作戦通りにことが進むと、なんか癪だな」
桐花のドヤ顔が容易に想像できる。
『位置について!』
スタートのピストルが掲げられて、声援が一際大きくなる。
生徒全員、体育祭に蔓延する正の熱に当てられて大盛り上がりだ。
多分これが正しい体育祭の姿。本当は誰もが望んでいた体育祭の形なのだろう。
やっと実現した理想的な体育祭の姿を見た進藤なんて、感極まったのか滂沱の涙を流しながら声を張り上げている。
『よーい!!』
盛り上がりは最高潮。
生徒全員一致団結してリレーの勝敗を見守っている。
それを見て大変不思議なことに、この俺ですらワクワクとした気持ちが湧き上がってきた。
「ああ、まったく」
なんとなく気恥ずかしかった。
今まで斜に構えて体育祭を見てきた俺にとって、今更盛り上がるような真似をするのは気が引ける。
しかし、胸に込み上げるこの気持ちを抑えることはできそうにない。だから誰に聞こえるわけでもなく言い訳のような独り言を漏らした。
「派手な祭りだ」
ピストルの音が鳴る。
声を張り上げて声援を送る。
俺は最後の最後になんの憂いもなく体育祭を楽しんだ。




