一大決戦
晴嵐学園体育祭 午前の部最終種目「腕相撲」
各チーム事前に決めた代表者三人が一人ずつぶつかるこの種目は半ば伝統と化しており、体育祭における一つの山場として毎年大いに盛り上がるそうだ。
そして今年も。生徒たちが円形に集まり、その中心で腕力と腕力をぶつけ合うこの競技の盛り上がりはこれまで行われたどの競技よりも凄まじかった。ただし、例年に比べて圧倒的に罵詈雑言が多かったのだが。
競技はすでに2戦行われていて、赤組白組それぞれが1勝という状況。
そして最後の大将戦。この勝負を制したチームに大きな得点が入る仕組みとなっている。
白組の大将は多田団長。
全国大会出場経験のある陸上選手であり、晴嵐学園きってのスポーツマンである多田団長が大将としてこの大一番に選出されたのは当然と言うべきか。
しかし赤組には余裕があった。
いや、余裕と言うよりは勝利の確信だった。
なぜなら赤組の大将はあの剛力猛。
強豪と名高い晴嵐学園柔道部において、1年生ながら次期エースとして注目を集めるこの男であれば勝利は確実である。いくら相手が全国クラスの陸上選手だろうと、腕力においてあの巨体に勝てるわけがない。みんなそう思っていた。
実際に白組も多田団長を応援する声に覇気がない。1勝1敗になった時点でやや諦めムードになっていた。
誰もが赤組の勝利を予感している中、大将同士中央の競技台に向かう。
しかし、ここでグラウンド全体にどよめきが走る。
赤組の大将として前に出た選手が剛力猛じゃない。
「誰だ? あの金髪……」
困惑する呟きが不思議とよく聞こえた。
「怖えなあ」
赤組の大将として生徒たちの集まる円環の中央に進み出た俺は、心の底から思った言葉を口に出す。
敵である白組のみならず、味方のはずの赤組からも刺すような視線を向けられる。
まあ当然か。タケルという確実に勝てる選手ではなく、どこの誰かもわからないやつがいきなり代表面してしゃしゃり出てきたのだ。
「これ負けたら俺どうなるんだろうな?」
冗談めかして口にするが、本心では戦々恐々だった。確実に勝てる試合だったのに、もしここで負けでもしたら今の体育祭の空気だと赤組の全員からタコ殴りにされかねない。
敗北は死を意味する。
大袈裟だが、コロッセオで戦う剣闘士の気分だった。
そんなプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、競技台の向かい側で佇む対戦相手を見据える。
「どーも多田団長。いっちょお相手願いますよ、と」
「……なんだお前? 相手は剛力とかいう1年だったはずだ」
訝しげな表情を隠そうともしない多田団長は当然の疑問を口にする。
「あいつさっきの綱引きで利き腕痛めたらしくてですね。俺はその代打っすよ」
という筋書き。
実際はタケルに拝み倒して大将を代わってもらい、実行委員である進藤の力で無理やり捩じ込んだのだ。
全ては多田団長と一対一の状況を作り出し、証言を引き出すため。
まあこんな話、はなから信じてもらおうだなんて思っていない。だが一度この状況を作り出せばこちらのものだ。
生徒たちに囲まれているとはいえ、この距離と声援の量なら俺たちの話が他に漏れることはない。何より多田団長は逃げ出すことはできない。
「……まあいい。何を考えているのか知らんが、相手があの剛力でないならこちらとしても好都合だ」
「おっと、そんな余裕ぶっこいていいんすか? 俺はあのタケルに腕相撲で勝ったことがある男っすよ?」
中学の頃の話だが。
そうこうしているうちに、司会を務める放送部から準備をしてくれと合図がかかる。
3本勝負、2本先取のこの試合。最悪でも最初の1本は取る必要がある。
競技台に肘を置き、お互いの手を握り合う。多田団長の手は思っていた以上に力強いものだった。
緊張。
あれだけ騒がしかったグラウンドも静まり返った。
「そうだ、多田団長。一つお願いがあるんですけど」
「……なんだ?」
『レディーー!!』
試合開始まで後わずか。そのタイミングを見計らって俺は多田団長に話しかけた。
「多田団長、俺たちに隠していることあるでしょ? 俺が勝ったら本当のこと話してくださいよ」
「は?」
『ゴーー!!』
多田団長が油断したその一瞬、俺は腕力を振り絞って相手の手の甲を競技台に叩きつけた。
『赤組! 一本先取!!』
「しゃあ! おらぁっ!!」
まずは一本。想定通りの試合運びに雄叫びをあげる。
赤組からも歓声が上がる。謎の乱入者によるものであっても、勝利は歓迎されたらしい。
「お前一体何を!?」
「言った通りっすよ。あんたは俺たちに隠し事をしている。それも犯人特定に繋がるとんでもなく重大な秘密をね。俺が勝ったらその秘密を話して欲しいんすよ。赤組と白組の対立をなんとかするためにね」
「秘密なんて……事件があったあの日、打ち合わせ直前に俺が倉庫に入ってモニュメントを確認していたことか? そんなの、言い忘れてただけーー」
「そんなちゃちい秘密じゃないでしょ? あんたが必死になって隠している秘密はよぉ!」
なんでもお見通しだ。とばかりに不敵に笑う。
実際にどんな秘密を隠しているのかさっぱりだったのだが、このハッタリに多田団長の顔色が変わる。
ああ、やっぱりだ。桐花の言う通り多田団長は重大な何かを隠している。こんな無茶をやって正解だった。
「なんのことだかわからん」
「とぼけないでください。体育祭のためにも本当のこと言ってくださいよ」
挑発するようにおどけながら、再度競技台に肘を乗せる。
1勝した以上、次の勝負は負けてもいい。勝負を長引かせてもっと話を聞き出す。
『レディーー!!』
スピーカーから流れる開始直前の合図を聞きながらそんなことを考える。
そして長いタメが終わりーー
『ゴーー!!』
今度は油断していない多田団長の本気のぶつかりが、腕に衝撃となって走る。
あ、やっべ。この人強いわ。
体格は俺が勝っていた。相手がいくら年上のスポーツマンだろうと、腕力に縁遠そうな長距離走の選手であれば勝てるという自負があった。
しかし実際はどうだ? この一見細身に見えるこの体のどこにこれだけのパワーが隠れていたのだ?
勝負は互角。いや、俺の方が若干押されていた。
これ以上押されないよう現状を維持するだけで精一杯の俺は、相手の証言を引き出すという当初の目的すら一瞬忘れてしまった。
「体育祭のためだと? お前が? 笑わせるなよ」
そんな状態の中、話を始めたのは多田団長の方からだった。
「吉岡アツシ。お前の噂は聞いている」
「っ! どの噂のことっすかね! 最近俺も聞いたことないデタラメな噂が山ほど流れてるんで、どれのことだかわかんねえや!!」
エロ魔人とか、エロ魔人とか! エロ魔人とか!!
腕相撲に負けないよう、必死で食らいつきながらかろうじて返事を返す。
「中学の時の噂だ。お前のせいで文化祭が潰れたんだって?」
「っ!」
心臓に冷たいものが流れたような感覚。
記憶がフラッシュバックする。
めちゃくちゃに破壊された教室。
血を流して倒れている男子。
そして、泣いているーー
ガンっ!!
気がつけば手の甲にジンジンとした痛み。
『白組一本!! これで一対一の同点!』
スピーカーから流れてきた言葉に、ようやく俺が負けたことに気がついた。
「文化祭を潰した噂。これもデタラメか?」
「……いえ」
多田団長の質問に震える言葉で返す。
「その噂は正真正銘本当ですよ。俺のせいで中学の時の文化祭はめちゃくちゃになった」
体が冷たい。
さっきまで流れていたアドレナリンが、嘘のように消え去っていた。
多田団長の言う通り。その噂は数々流れている俺の噂の中でも本当のことを言っている。
だからこそ俺は学園一の不良として忌み嫌われているのだ。
「この体育祭をなんとかしたいだと? 過去に文化祭を台無しにした人間が言うセリフとは思えないな」
皮肉げな視線を送りながら、多田団長は肘を競技台において構える。
「……そうっすね」
俺は多田団長の言葉を否定することなく、その手を取る。
『三本目! 泣いても笑ってもこれがラストだ!』
スピーカーから流れる音がやけに遠かった。
『レディーー!!』
そして、最後の戦いの火蓋が切られた。
『ゴーーー!!」
先制は多田団長。
開始早々、全力で俺の腕を押さえ込んでくる。
俺は手の甲が触れる寸前でかろうじて耐えた。
「終わりだ」
終わり? 冗談じゃない。
まだ何も聞き出せていない。ここで終われば事件の真相に辿り着けず、大戦犯かました目立ちたがり屋の馬鹿が一人できてしまうだけだ。
だから俺は、必死に言葉を紡ぐ。
「お、俺ね。この体育祭になんの思い入れもないんすよ」
「は?」
嘘偽りのない本心だった。
「俺が1年だからってだけじゃない。クラスで体育祭の種目決める時、はぶかれたんすよ俺」
「何を言ってーー」
困惑する多田団長にひたすら語りかける。
「当たり前っすよね。俺は学園一の不良で、文化祭をぶっ潰したことのあるクズなんだから。そんなやつ、でしゃばられても扱いに困るだけでしょ?」
そうするしかない。それしか方法がないのだから。
「俺はね、そんなことされて不貞腐れるだけだったんすよ。体育祭なんてどうでも良いってスタンスで。楽しんでやろうなんてこれっぽっちも思わなかった」
腕相撲に勝てば秘密を話してもらう。あんな約束一方的なもので、なんの効力もないことはわかっていた。
「でもね、あいつは……進藤は違ったんすよ」
俺にできることはたった一つ……多田団長を説得することだけだ。
「あいつ、凄えんすよ。競技で活躍できないから実行委員に入ったって。どんな形でも祭りではしゃぎ回りたいんだって。そんなこと言ってたんすよ」
俺は諦めた。俺なんかに体育祭を楽しめるわけないって、はなっから決めつけていた。
だけど進藤は違ったのだ。
「体育祭を成功させたいって、事件を解決して赤組と白組の対立を収めて欲しいって、そう言って俺たちに頭下げに来たんすよ。俺のこと、不良だってビビってたくせに」
俺はこの事件の解決は無理だと思っていた。犯人の特定の困難さに加えて、赤組と白組の対立を目の当たりにしたことで、『無理』だという言葉を何度も口にした。
だけど、進藤はただの一度もそんなこと言わなかった。ただの一度も諦めなかった。
あいつだけはずっと、足掻き続けていたのだ。
「あいつは全力でこの祭を楽しもうとしてるんすよ。俺なんかには絶対真似できない」
思いをぶつける。
「体育祭なんてどうでもいい」
気力を振り絞って全身に力を込める。
少しずつ押し返す。右腕がミチミチと嫌な音を立てるが構わなかった。
腕の筋肉なんてちぎれてしまっても良いと思えた。
俺なんかに体育祭をどうこうしたいなんて言う資格はない。
だけど体育祭に本気で向き合って、本気で成功させたいって思っている奴が確かにいるんだ。
「俺は! そんなすげえ奴の……力になりたい!!」
「っ!!」
叩き潰すような一撃。
一瞬の静寂の後、割れるような歓声が赤組から鳴り響いた。
『赤組、勝利ーーー!!』
アナウンスの声を聴きながら、俺は最後の説得を続ける。
「話してください多田団長。この体育祭こと本気で考えているあいつのためにも。あなただってその気持ちはわかるでしょう?」
この人がなぜ隠し事なんてしているのかわからない。
だけど白組の団長なんてやってる人が、今のこの体育祭の状況を良しとしているわけがない。
「犯人がわかったところでどうなる? 今の赤組と白組の対立をどうにかできるのか?」
「それはまあ……俺の相棒がなんとかしますよ。絶対なんとかするって言ったんだ、信じます」
どこまでも人任せな情けないセリフ。
「……そうか」
しかしそれを聞いた多田団長は静かに笑った。
「あの日、俺は打ち合わせの直前にモニュメントの確認をしに倉庫に入った」
「ええ」
それは知っています。
そう言おうとした俺の言葉を遮り、多田団長は自身が抱えていた秘密を打ち明けた。
「その時にはもう、モニュメントは汚されていたんだ」
「は?」
「俺が言えるのはそれだけだ」
多田団長はそれ以上何も言わず立ち去った。
午前の部が終わり、昼休憩に突入してすぐに俺は桐花に多田団長の言葉を伝えた。
「……なるほど、やはりそうでしたか」
多田団長の短い言葉の中の真意は俺には理解できなかったが、桐花には充分なものだったようだ。
「わかりましたよ、事件の真相が。何をどうすればこの事態を収拾できるのか」
そして、いつものように不敵に笑うのだった。
「体育祭を平穏無事に終わらせる方法は、この恋愛探偵、桐花咲にお任せあれです!!」




