白組団長
あの後、桐花の指示通り壁に向かってバケツの水を何度もぶっかけ続けた。
『もっと高く、勢いよく!』
『ほら、早く次の汲んで来てください。急いで!』
「はい次! 駆け足!』
そんな暴君のような振る舞いをする桐花に何十分も付き合わされ、満足した桐花に解放された時にはもうへとへとだった。
そしてなぜこんなことをしなければならなかったのか、桐花はその理由を説明することなくこう言ったのだ。
『よし、じゃあ次は白組の団長さんに話を聞きにいきましょうか。ほら吉岡さん、へばってないで早く立ってください』
一瞬、本気でこの女ぶん殴ってやろうかと思ったがグッと我慢する。
結局そのまま進藤の案内の元、白組団長に会いに行くこととなった。
「白組団長の多田翔太だ」
白組の団長は日に焼けた短髪の男子生徒だった。
見るからにスポーツマンです、といった風貌の彼は見た目に違わず陸上部の部長であり、長距離走で全国大会出場も経験しているそうだ。
現在白組の団長として応援合戦のリハーサル中だったので俺たちに付き合うことをかなり渋っていたのだが、体育祭実行委員の進藤の必死な頼み込みによりなんとか話を聞いてくれることとなった。
「それで、何を聞きたいんだ?」
早く終わらせてくれとでも言いたげな表情。そんな団長の心情を無視して桐花は質問する。
「白組のモニュメントが汚されているのを発見したのは多田団長だとお聞きしました。その時のことを教えてくれませんか?」
「その時のことねえ」
桐花の質問に少し考え込んだ多田団長はゆっくりと口を開く。
「あの日、打ち合わせがあったのは聞いてるか?」
「はい。応援合戦についての打ち合わせですよね?」
「ああ。体育祭当日の応援合戦で白組と赤組どっちが先にやるか、応援の時間が予定を超えないかどうか、モニュメントの移動の段取りとその方法とか、とにかくいろいろ話し合ってたおかげで思っていたよりも長引いたんだ」
確か放課後の5時から7時まで話し合いが続いていたと言ってたな。
「まあそれで打ち合わせが終わってすぐに倉庫に行ったんだ」
「なぜです?」
「打ち合わせをしているうちにモニュメントの完成具合が気になってな、当日の応援合戦はモニュメントをバックに行うからな」
予定通りの行動ではなく、かなり気まぐれなものだったそうだ。
「それで倉庫に入ったら白組のモニュメントが赤い塗料まみれだったわけだ」
ここまでは聞いてた通りだ。
「多田団長は今回の事件について、誰が犯人だと思っていますか?」
俺は驚いて思わず桐花を凝視する。あまりにも直球な質問だったからだ。
「誰って……」
「赤組と白組、どちらの生徒が犯人だと思いますか?」
聞いていてハラハラする。赤組に決まっているだろ。と怒鳴りつけられてもおかしくない。
「……はっきり言う。わからん」
しかしそんな中で彼が出した答えは予想外のものだった。
「赤組が疑わしいのは事実だ。俺としても白組の誰かがやったとは考え難い。しかし、なんの証拠もないんだ」
「赤組に対して怒りは?」
「言った通りだ。犯人が赤組だと確定もしていないのに、怒りだのなんだのを赤組に向けられるわけがない」
そこまで言って、多田団長は少し俯いた。
「……報復として赤組のモニュメントを白組の生徒が汚した件、まさかあんなことをする奴がいるとは思ってもいなかった。赤組に対して申し訳ないと思っている」
意外だった。
白組と赤組の異常な対立が学園全体で起きている中、白組のトップである多田団長は間違いなくその対立の渦中にいるはずなのに恐ろしく冷静だ。
だから俺は、一縷の望みにかけてこの人に訴えかける。
「和解は、和解はできないんですか? 白組の団長であるあなたがみんなに呼びかければーー」
「無理だ」
しかし、多田団長の返答は無情だった。
「今更俺の言葉にはなんの意味もない。もうそんなので解決できる段階じゃないんだ」
……わかってた。
これまでの調査で赤組と白組の関係性の悪さをこれでもかと見せつけられてきた。
「表立った騒ぎが起きていないのは、俺が白組のみんなを説得して回ったからだ。『この借りは体育祭当日に返すぞ』ってな」
「そんなの! 白組の団長であるあなたが煽動しているようなものじゃないですか!」
「仕方ないだろう。血気盛んな連中が殴り込みをしかねないような状態だったんだ。実際に報復なんてものが起こったわけだしな。これ以上何かあれば体育祭そのものが中止になりかねない」
苦虫を噛み潰したような表情の団長。苦渋の決断だったようだ。
「だから言わせてもらうが、お前たちがやっている犯人探しは意味がない。むしろやめて欲しいとすら思っている」
「それは……」
「犯人がわかったとしてどうなる? 犯人1人槍玉にあげたところでこの騒ぎが収まるとでも? 無理だ。下手なことをしたらむしろ悪化するぞ」
反論できなかった。
団長の言い分は、俺が進藤に言ったこととまるで一緒だったからだ。
だけど、それじゃあダメなんだ。
「このままだと、どうやっても遺恨が残りますよ?」
そんなもの、体育祭が成功したとは言えない。
「ある程度は仕方ないだろう。俺にできることは、少しでも平穏に体育祭を終わらせることだけだ」
諦めたかのように笑う。
「もういいか? リハーサルの方に戻りたい」
「最後に一つだけいいですか?」
背を向けた多田団長に桐花が問いかける。
「打ち合わせの最中、途中で抜け出した人はいませんでしたか?」
「……まさかと思うが、赤組の中野と福原を疑っているのか?」
「念の為聞いているだけです」
桐花は多田団長をまっすぐ見据える。
「あの打ち合わせを途中で抜けたやつはいない。5時から7時までずっとあの場にいた。だからあの打ち合わせに出ていたメンツは犯人じゃない」
「……そうですか」
多田団長の答えに桐花は少しだけ考え込む。
「ありがとうございました。リハーサル頑張ってください」
そう言って桐花は背を向けて歩き出す。
俺たちは慌ててその後を追った。
「おい、どこ行くんだ?」
「スキー部のところです」
「スキー部?」
事件があった日のことを証言してくれた部活動だ。
「なんでまた?」
「わからないんですか? 5時から7時まで打ち合わせに出ていたメンバーは犯人じゃないって、なんで多田団長はそんなこと言い切れるんですか?」
「え、いやそれは……」
「確かにスキー部の証言によれば放課後から5時半までは誰も倉庫に入っていません。でもそのことを多田団長が知っていたとしても、昼休みから放課後までに犯行が行われた可能性は残っています」
「……あ」
言われてみれば確かに。
多田団長の言い方はまるで、5時から7時までが犯行時刻だと断定しているような言い方だ。
「まさか、多田団長が犯人?」
「そこまでは言い切れませんが、少なくとも犯行時刻を知ることができた根拠があるはずです」
「なるほど。でもなんでスキー部に?」
この流れでスキー部に話を聞く意味がわからない。
すると、桐花はバツの悪そうな表情を浮かべる。
「実はその、さっき気づいたんですが……」
「なんだよ?」
「スキー部に質問をした時、私やらかしちゃったかもしれません」
やらかしたって、一体何を?
その質問をする前にスキー部の練習場にたどり着く。
そして桐花は一つの質問を行った。
「え、多田団長? うん5時前くらいに倉庫の中に入ってたけど」
そして彼女はあっけらかんととんでもないことを言い放った。
「はあ? い、いやいや! さっきは誰も倉庫の中に入ってないって……」
「うん。だから怪しい人は誰も倉庫に入ってないよ」
そう言われてはっとする。
「そういやお前あの時、『誰か怪しい人が倉庫に入ったのを見てないか』って聞いてたな」
「……我ながら間抜けなやらかしでした」
そりゃそうだ。この質問で白組のトップである多田団長を怪しい人物だと答えるわけがない。
「あの、もう一度確認させて欲しいんですが、怪しくない人を含めて他に誰か倉庫に入って行った人物はいませんか?」
恐る恐る確認する桐花。そして案の定、事件当日に倉庫に入った人物は多田団長以外にいた。
「えっと、まず美術部の福原さんでしょ。あの人確か赤組のモニュメント作ってる人だよね? でその次に白組のモニュメント作ってる岡本くん。その次が赤組の中野団長。最後が多田団長ね」
この4人はそれぞれが全く別のタイミングで、すれ違うことすらなく別々に倉庫の中へ入ったらしい。
「め、めっちゃいるじゃねえか! ていうか、多田団長と岡本先輩はともかく、少なくとも赤組の中野団長と福原先輩は怪しい人でしょうが!」
なんで先に言ってくれなかったのか?
俺の抗議にスキー部の彼女はポカンとした表情を浮かべる。
「いやいやだって、その2人が犯人なのはありえないでしょ?」
「な、なんでっすか?」
「だって一番最後に入ったのが多田団長だよ? もしその2人が犯人なら多田団長が入った時点で騒ぎになってなきゃおかしいでしょ?」
「そ、そりゃあ……」
ぐうの音も出ない正論だった。
つまり、多田団長が犯行時刻を5時から7時までと断定したのは、自身が5時前に倉庫に入って中のモニュメントの無事を確認していたからか。
「じゃあ、中野団長と福原先輩は事件に関係ない……のか?」
犯行時刻であろう5時から7時までの間は打ち合わせが行われていたのだ。となると多田団長の言う通りこの二人には犯行を行えない。
「つまり犯人は! スキー部が活動を終えた夕方5時半から7時までにアリバイのない人物ということでござるな!」
「いやだから、そんなの何人もいるーーって、何度目だこのやりとり!!」
結局犯人を絞り込むにはいたらない。そのことに頭を抱えていると、真剣な表情をした桐花が質問を続ける。
「このこと……事件当日に複数の人物が倉庫に入っていたことを、多田団長は知っていますか?」
「え、うん。事件があった日にそのこと質問されたから今みたいに答えたよ?」
直後、桐花の体が雷に打たれたかのように硬直する。
そしてしばらくの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「……わかったかもしれません」
「わかったって、何がでござる?」
いぶかしげな進藤。しかし俺は桐花の言葉の意味を理解した。
「わかったのか、犯人が?」
なぜこのやり取りで犯人がわかったのか、どうやって千人以上の容疑者の中から犯人を絞り込めたのかはわからない。
しかしこいつがわかったと言ったのなら間違いはない。今までもそうやって数々の事件を解決してきたのだ。
「確証はありません。その証拠も」
「ならどうする?」
次は何をすればいい?
「多田団長の証言が必要です。もう一度話を聞きに行きましょう」
しかしその時以降、多田団長は何かと理由をつけて俺たちと話すのを拒み続けた。
明らかに避けられている。まるで真実に辿り着いた桐花から逃げているようだった。
そして桐花の望む証言を得られないまま……事態はなんの好転もしないまま体育祭当日を迎えた。




