結婚できない女
「……私、どうしたら結婚できるかしら?」
清水早苗先生。
私立晴嵐学園に務める英語担当教員であり、俺のクラスの担任である彼女は、この学園の教師陣の中でもトップクラスに生徒から人気のある教師だろう。
若くて美人、その風貌はまさしく仕事のできる女という印象でありながら茶目っ気があり、話しかければ生徒相手でも気さくに応じる優しくて話しやすい先生だ。慕われている理由がよくわかる。
そんな密かにファンクラブまで存在すると噂されている清水先生が、なぜ俺たちが占領している部室にいて、あまつさえ生徒に対して結婚できないことを愚痴るなどという暴挙に及んでいるのだろうか?
「結婚相談所に行ってください」
あの桐花ですら引き気味に投げやりなアドバイスをしている。どう考えても生徒にする相談ではない。
そんな桐花の言葉を聞いた先生は、寂しげに笑った。
「冷たいわね。あなた達が作ろうとしている部活は人々の悩みを聞き、解決するものじゃなかったかしら?」
「そういった大人のガチの人生相談はちょっと……」
未成年には荷が重すぎる。
「い、今まで付き合ってきた人とそんな話はなかったんすか?」
やや気まずくなった部室の空気を変えようと、桐花の好物でもある過去の恋愛について思い切って聞いてみた。
「ああ、昔付き合ってた人ね。はいはいなるほど、付き合ってた人。付き合ってた人……」
段々と声が小さくなっていった先生は無言で目を逸らす。
えっ、いねえの?
「ま、まじっすか?」
完全に地雷を踏んだみたいだ。空気がさらに重くなり、桐花に机の下で足を蹴られる。
「仕方ないじゃない! 中学から大学までずっと女子校で、男の人と関わり合う機会なんてこれっぽっちもなかったんだから!!」
やけくそ気味に叫んだ清水先生はそのまま頭を抱える。
「で、でも先生になって学校勤めをされてからそれなりに経ちますよね? その間にアプローチしてきた男性とかいないんですか?」
桐花の言う通り、若き教師とはいえそれなりの社会経験を積んできた女性だ。美人のこの先生が誰にも言い寄られなかったとは考え難い。
「……そうね、そいういうこともあったわね。あれは、私が教師になって1年目の時かしら」
「ほら! やっぱーー」
「50代で、奥様のいらっしゃる先生だったわ」
「…………ごめんなさい」
どこか遠い目をする先生が痛々しくて見ていられない。
またしても先生の地雷を的確に踏み抜いてしまった桐花の足を軽く蹴っておく。
「時々ね、考えるの。女子校じゃなくて普通の共学の学校に通っていたら私の人生どうなっていたのかなって。案外彼氏なんてすぐできてたんじゃないかなって」
「は、はあ」
「もちろん、女子校に通ってたことに不満がある訳じゃないわよ。楽しい思い出もいっぱいあるし、今でも時々遊ぶ友人もいるしね」
「へ、へえ。いいことじゃなーー」
「気がつけば、友人全員結婚してたわ」
「…………」
「すでに子供がいる子もいたわ」
なんでこの人は自分で地雷を踏んで、自分で落ち込んでいるのだろう。
「き、気にすることないですよ! 先生まだお若いんですし! 昨今の女性の平均結婚年齢は29歳ですよ。先生はまだーー」
「言わないで桐花さん!! この年になると時間の進み方が早いの! 1年2年なんてあっという間で、気がつけば行き遅れになってるの!!」
聞きたくないと言わんばかりに耳を塞ぎ、いやいやと首を激しくふる先生。
イメージが、クールで知的な美人教師のイメージが崩れていく。
見てはいけない物を見てしまった気分だ。いくらなんでも生徒相手にぶっちゃけ過ぎじゃないだろうか?
そのことをおそるおそる指摘すれば、先生はどこか諦めたように笑った。
「まあ、桐花さん相手だもの。今更ね」
「へ?」
「ああ、私この前先生がゼ○シィを真剣な顔で立ち読みしてるの見たんですよ」
「ゼ○シィ」
あれって確か結婚情報誌だよな? 結婚相手どころか彼氏の候補になりそうな人物もいない先生がなぜーー、と思ったがそこから先は考えるのをやめた。
「桐花お前、まさかそれを脅迫材料に先生をウチの顧問にしようってんじゃないだろうな?」
「失礼な! 私を誰だと思ってるんですか!?」
それをよくわかってるからこそ信用できねえんだよ。
「ああ気にしないで。私からしても相談部の顧問になるのは都合が良かったの」
「はあ、なんでっすか?」
「私もこの学園ではまだまだ若輩者の下っ端だからね。今他の部活ーー合唱部ね、その顧問を務めてるんだけど、そろそろ他の部活も任されそうな気がしてたのよね」
「ほら、この学園無駄に部活の数多いですから」
無駄に増やそうとしているお前が言うな。
そう思ったが、桐花の言う通りこの学園に存在する部活の数は多すぎて把握しきれないぐらいだ。教師が複数掛け持ちで顧問を務めていると言う話も聞いたことがある。
「聞けば相談部はそんなに顧問の力を必要としない部活みたいじゃない。私も今は合唱部の顧問として力を入れたいところだったから、桐花さんの話は渡に船だったってわけ。あ、もちろん顧問としてやらなきゃいけないことはちゃんとやるわよ」
なるほど、そう言う事情か。
きっちり顧問としての仕事をこなしてくれるのに、こちらに深く干渉せず自由に活動させてもらえる。
桐花と違って俺は流石に本人の前で言わないが、随分と都合のいい存在だ。
スムーズすぎると思えるほど交渉は進み、このまま何事もなく顧問になってくれると思っていたその時、清水先生はやや思い詰めた表情で口を開く。
「……その合唱部なんだけどね。ちょっと、相談させてほしいことがあってね」
どうやら、今回もことは簡単に進まないらしい。
「相談?」
「ええ。合唱部はそれなりに古い歴史を持つ部活でね、でも近年部員数がどんどん少なくなって、去年の部員が引退してからとうとう1人だけになっちゃって廃部寸前だったの。幸いにも今年になって1年生が入ってくれて存続できたんだけど、その1年生がね……」
「1年生が何か問題でも?」
「問題って訳じゃないんだけど、その、入部した時から仲の悪い子が2人いてね。部活は熱心なんだけど、ええと、一言では説明できないというか……」
随分と歯切れの悪い言い方だ。その2人はかなりの問題児のようだ。
「今まで仲が悪いなりにうまくやってきたんだけど、最近になってすごく揉めているらしくてね。先生の私には話しづらい内容らしくて詳しいことは教えてくれないの」
「つまり、その揉め事の理由を聞き出して解決してほしいと?」
「ええ。交換条件というわけではないけど。そうしてくれたらあなた達相談部の顧問になってあげる。どう?」
どう? もなにも。俺たちに選択肢はないようなものだ。
「わかりました。この桐花咲とお供の吉岡さんで先生の悩みを解決してみせます!」
「……誰がお供だ」
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