彼女がついた嘘
「まず最初に抱いた違和感は、彼女さんの名前です」
さて。という言葉と共にゆっくりと俺たちを見回した桐花は落ち着き払った様子で推理を披露し始めた。
「彼女さんの名前、平睦月という名前、そして先週が誕生日だったという証言を聞いて、あれ? と思いました」
「何で?」
なんで名前と誕生日が繋がるんだ?
「和風月名ってご存じですか? 1月2月という月名を和風に読んだものです。和風月名は1月から順に、睦月、如月、弥生、卯月、皐月」
「1月が、睦月?」
先週末、つまり彼女の誕生日は5月だったはずだ。
「そうです。もし彼女の名付けが和風月名に則ったものならば、名前は皐月でなければおかしいんです。まさか名前を偽っているはずがありません。ということは、彼女の本当の誕生日はーー」
「ーー5月じゃなくて、1月?」
思わず彼氏である弟くんの顔を見る。
「え、いやそんなはず……でも直接聞いたことないし……」
弟くんは自信なさげだが、それも仕方ないだろう。彼女とはいえ、付き合い始めたのはつい最近のはずだ。元々違うクラスの女子生徒の誕生日なんて知らなくてもおかしくはない。現に俺もそれなりの付き合いになる桐花の誕生日を知らない。
「だけどよ桐花。別にその和風月名ってやつから名前を取ったとは限らねえだろ? 両親が睦月って名前になんらかの思い入れがあったら例え5月生まれだろうとそう名づけるんじゃねえか?」
「おっしゃる通りです。名前だけで誕生日が違うと決めつけるのは早急過ぎます。これはあくまで疑ったきっかけに過ぎません」
「ってことは、他に何かあるんだな?」
「はい」
桐花は自信満々に頷く。
「彼氏さんが先ほどおっしゃっていた彼女さんのセリフです。『シャーロックホームズみたいに紳士的な完璧超人が理想的』こんなセリフ、ありえないんですよ」
「ありえない?」
俺も弟くんも首を傾げる。
「彼氏さん。シャーロックホームズを読んだことは?」
「いえ、お恥ずかしながら」
「吉岡さんは……あるはずありませんよね」
「……まあそうだけどよ」
読書とは無縁の人生だったよ。
「シャーロックホームズは確かに優れた探偵です。ずば抜けた推理力、犯罪捜査おいて遺憾なく発揮される科学的知識、武術の腕前も達人級と間違いなく世界最高の探偵でしょう。ですが、その人間性はとても紳士的と言えるものではありません。女性嫌いで、事件がないときは借りているアパートの壁に銃弾を打ち込み、おまけに麻薬常習犯」
「ど変人じゃねえか」
「その通りです。つまり彼女さんのセリフは……この言い方あまり好きじゃないんですが……とんでもないにわか発言なんですよ。少なくともシャーロックホームズを原語版で読んでるような人から出てくるセリフじゃありません」
つまり彼女さんの誕生日は先週じゃなくて、シャーロックホームズの原語版も読んでいない?
「じゃあなんだ? 先週の誕生日プレゼントに関するつぶやき、あれは嘘だったってことか?」
「もっと踏み込んで考えるべきです。誕生日を偽る必要性がありませんし、少なくとも原語版の本が写った写真は本物でしょう。それに古典ミステリー好きならシャーロックホームズが変人であることを知っているはずです」
つまりですね。そう言って深く息を吸う。
「ーーつまり、平睦月さんがポアロさんであること自体が嘘だったんです」
俺も弟くんも唖然とした表情を浮かべる。特に弟くんなんか酷かった、口をあんぐりと開けてショックを受けていた。
「い、いやいやいや! そんなはずは!?」
「それだけじゃないんです。私がポアロさんは彼女さんではないと考える根拠は」
桐花はスマホを掲げ、ポアロさんのつぶやきを見せてくる。
「このつぶやきを見てください『実家の本棚がとうとう埋まった。新しいものを買わなければ』というつぶやきです。これ、ちょっと変だと思いませんか?」
「……すまん、さっぱりわからん」
「この『実家の』という表現ですよ。普通こういう時『家の』って表現をしませんか? 『実家の』という表現だと自分の生まれた家、つまり自分が今住んでいる家とは違う家というニュアンスになるんです」
「お、おう。確かに」
日本語って難しいな。
「それにこの『新しいものを買わなければ』とう書き方も気になります。中学生が本棚を手に入れようと思ったら、親に買ってもらうのが普通じゃないですか? つまりこの書き方からは、ある程度の経済力の持ち主であることが想像できるんです」
「確かに僕も、こういう時は両親にお願いします」
中学生の小遣いで本棚を買おうってのは結構きつい。
「決定的だったのはこのつぶやきです『ホームズに憧れて彼の悪癖を真似してみたけど、結局推理力は上がらなかった』一般的に知られるホームズの悪癖として有名なものは二つあります。一つはさっき言った麻薬、まあこれを真似したことをSNSに載せるような真似はしないでしょうからこれは除外します」
「じゃあもう一つは?」
「タバコです。ホームズはヘビースモーカーとして有名なんです。つまりこのつぶやきは、彼に習ってタバコを吸ってみた。という意味合いのつぶやきなんですよ」
「そんな、平さんがタバコなんて吸うはず……」
「ええもちろん。彼女さんが未成年喫煙を行なっているとは考えていません」
つぶやきから見る人物像が、中学生の彼女さんからかけ離れていく。
「これまでのつぶやきからポアロさんがどんな人物なのかが見えてきたと思います。私が考えるに、ポアロさんはすでに実家を出て自立した暮らしをしている大人です」
それが意味することはつまりーー
「中学生であり、なおかつシャーロックホームズのことをよく知らない平睦月さんは、ポアロさんである可能性は限りなく低い」
桐花の推理を聞いた弟くんは困惑の表情を浮かべる。
「そんな……なんでそんな嘘を?」
「もちろん、彼氏さんあなたと仲良くなるためのきっかけを作るためです。見たところあなたと彼女さんは随分違いタイプのようです。にもかかわらず出会ってからかなり短い期間でお付き合いするに至った。それはひとえにミステリー付きという共通点があり、SNSで以前から交流があったからです。……もちろんそれは彼女さんがついた嘘だったわけですが」
かなり強引な手段ではあるが、それが結果的に上手くいったわけか。
「ここから先は私の推測になります。……あなたが平さんと出会う以前から、平さんはあなたに懸想していた。しかし元々あなたたちは別のクラス、もっと言えばあなたは平さんのことを認知すらしていなかった。そんな中で平さんはあなたと仲良くなれるきっかけを欲していた。その絶好のきっかけがーー」
「趣味繋がりのSNSってわけか」
「その通りです。共通の趣味なんてきっかけとしては最適、加えて以前から仲良くしていた人物ですとくればすぐに打ち解けることができます」
「にしたって、別の人物であるなんて騙るか?」
「もしかしたら焦っていたのかも知れません。他に彼氏さんのことを好きな女子がいて、その子が猛アプローチをかけていることを知っていたとか? いずれにせよ、ポアロさんと彼氏さんのやりとりは全てSNSで公開されていました。その全てを読み込めば元々SNSでしか繋がりのないポアロさんを騙ることは可能だと思います。いえ、案外ポアロさんは彼女さんの身近な人物の可能性がありますね」
身近な人物?
すると弟くんが、あっ。と声を上げた。
「そういえば、平さん大学生のお兄さんがいるって」
「だとすれば、本物のポアロさんにSNSで適当に話を合わせるようにお願いすることも可能ですね」
妹の彼氏に対して彼女のふりをする必要があるのか。SNSを見る限りお互い付き合っていることを意識したつぶやきや交流をしている様子はなかったが、結構大変だな。
「穴だらけで問題も多い作戦だったと思います。しかしこの作戦はそれなりに上手くいっていました。今日までは」
ここまで話を聞かされれば、俺でも彼女さんがなぜあんな行動に出たのかがわかる。
「彼氏さん、あなたがプレゼントを渡す前に言ったことを覚えていますか? SNSでよく感想を送ってくれていた時からすごく感性の合う人だと思っていた。そんな人から付き合って欲しいと言われてとても嬉しかった。そんなことを言ってたんです。相手がその人物とは別人だとは知らずに」
「そ、そんな……! 僕は!」
「もちろんあなたに非は一切ありません。あなたはどちらかといえば騙されていた被害者なんですから。しかし、タイミングとシチュエーションは彼女さんにとって最悪なものだった。SNSで交流していて共通の趣味がある人と付き合えて嬉しいと言われ、誕生日ではないにもかかわらず一目見るだけで高価だとわかる物を誕生日プレゼントとして渡される……」
どんな気持ちだったのだろうか?
彼女はある意味で自分を偽って弟くんと付き合っていたわけだ。古典ミステリー好きで弟くんと話の合う別の自分。弟くんが付き合っているのはその別の自分だったのだ。
単純な罪悪感だけではないはずだ。自分なのに自分ではない別の存在に対してやりきれない嫉妬心を抱いていたのかも知れない。
そんなごちゃ混ぜの感情から生まれた言葉がーー
「ーーだから、ごめんなさい。か」
嘘をついていたことは悪いと思う。だけどそれはどこまでもいじらしい恋心が生んだものだ。そう考えると俺には彼女さんを責める気持ちにはなれなかった。
だが、許す許さないを決めるのは俺ではない。
「ぼ、僕は……」
それを決めるのは騙されていた被害者であり、彼女の彼氏である弟くんだ。
弟くんは困惑した様子を見せている。無理もないだろう、初デートだというのに色々なことが起こり過ぎている。部外者の俺ですらやや混乱しているのに、当事者である彼からすれば現実味すらないのかも知れない。
「僕は……どうすれないいんでしょうか?」
「それは……」
そんなこと俺にも分からない。
許してやれと言うだけなら簡単だが、そんなの弟くんの気持ちを考えない無責任なものだ。
かといって絶対に許すな、別れてしまえ。と言うのも違う。
「僕、わかんないんです。平さんが嘘をついていたとか、実はポアロさんとは別人だったとか。そんなの急に言われても……」
苛立つように頭をガシガシとかく。
「自分で自分がわからない。平さんのこと許せないのかどうなのか……今まで知っていた平さんが嘘だったって知って、本当に平さんのことが好きだって言えるのかどうか……」
弟くんになんと声をかけてやればいいのだろう?
俺も桐花もやりきれない表情を浮かべたその時、席の横に人が立つ気配がした。
ふと視線を向けるとそこにはーー
「……実」
憤怒の表情を浮かべた秋野がいた。
「ひっ!」
静かながらも体から発するその怒気に思わず情けない悲鳴をあげてしまった。
「ね、姉さん! なんでここにいるの!?」
「なんでここにいるの? それはこちらのセリフだ!!」
怒声を放つ秋野。その迫力にその場にいる俺たちだけでなく、店内の人間全員が身を縮めた。
「お前はなぜまだここにいるんだ! 桐花さんになぜ彼女が去ったのか、その理由を全て聞いただろう!」
「……あ、スマホまだ通話状態でした」
「ってことはこれまでの全てを秋野は聞いてたってことか?」
それでここに駆けつけたと。
「なのになぜお前はこんなところで頭を抱えている! なぜ彼女を追いかけない! 貴様ぁ、それでも秋野家の男かっ!!」
「で、でも! 彼女は嘘をーー」
「それがどうした!」
迷う弟くんを強い言葉で切り捨てる。
「確かに彼女は嘘をついていた。出会いも、付き合ったきっかけも全て嘘だった。だが、それがなんだと言うのだ!! 平さんがお前のことを好きだという思いに、嘘偽りなど一つとしてなかっただろうが!!」
そう、それは今日一日彼らを見てきたからこそ言える言葉。
彼女さんが弟くんに向けるその視線は本気で弟くんのことが好きだと一目でわかるものだった。
「ぼ、僕は!」
「お前もそうだっただろう! 出会いが嘘だったとしても、今更平さんへの好意は揺るぐようなものではないはずだ!」
「う、うん!」
弟くんは大きく頷く。
「男ならば、女の嘘の一つや二つ受け入れる度量を見せてみろ!!」
滅茶苦茶な言い分だった。
だが、この発破は弟くんにはよく効いたようだった。
「僕、平さんを追いかけてくる!!」
立ち上がり、そのまま駆け出す。
少し大きく見えたその背中を見送り、秋野はふうと息をついた。
「すまなかったな、桐花さん、吉岡くん。不甲斐ない弟で」
穏やかな声。
先ほどまでの迫力とのギャップに俺も桐花も唖然としながらなんとか返事をする。
「あー、いや。俺なんて特になんもしてなかったし」
「わ、私も。結局秋野さんに全部もってかれましたし」
「ふふふ、まあそれはな」
どこか晴れやかな顔で秋野は笑った。
「ウダウダ悩む弟のケツを蹴っ飛ばすなんて、姉の私にしかできないからな」
次回第3章エピローグです。
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