緊急事態発生
トイレに向かうと言った弟くんを慌てて追いかけた桐花。
その唐突な行動に俺と秋野は呆気に取られていたが、流石に放っとくわけにはいかず俺たちも桐花を追った。
なんで人のトイレが気になるんだこいつは? なんて思っていたのだが、弟くんが向かったのはトイレではなかった。
「ティーンズ向けのアクセサリーショップ? なんで実はこんなところに?」
煌びやかで、男の俺からすれば1人で入るのが躊躇われる空間。そこで弟くんは店員と何やら話し込んでいた。
「やはり、私の勘は間違ってませんでした」
「どう言うことだよ?」
「わからないんですか吉岡さん! 弟さんはここで彼女さんのためにサプライズプレゼントを買うつもりなんですよ!」
「ああ、そういう」
わざわざトイレに行くと嘘をついてまで1人でここにきた理由がわかった。
「しかし、いくら初デートとは言えエライ気合の入り用だな」
その手のことに詳しくない俺ですらあの店のロゴは見たことがある。いわゆるブランド物ってやつだ。ティーンズ向けだとは言えそれなりの値段がするだろう。
「……そうだ思い出した。確か先週が彼女さんの誕生日だった」
何やら考え込んでいた秋野がポツリとつぶやく。
「SNSで呟いていた。誕生日にご両親から原語版のシャーロックホームズ全集をプレゼントされたって」
「中学生で原語版のシャーロックホームズを? 彼女さん、なかなかのミステリーマニアですね」
「ちなみに、なんでそんなこと知ってんだ?」
「それはもちろん、私が彼女さんのSNSをこっそりフォローしてるからだ」
「……嫌だなあ、弟の彼女のSNSをフォローして監視している姉ちゃんって」
あのカップル、今日うまく行ったとして今後大変だろうな。
そんな話をしているうちに弟くんは商品を選び終わったようだ。
購入した商品は包装され、ブランドのロゴが入った袋に入れて弟くんに渡される。弟くんはそれをカバンの中に入れ、足早に戻っていった。
「間違いなく今日お渡しするつもりですね。これは見逃せませんよ!」
鼻息荒く、興奮を隠そうともしない桐花はその後を追った。
弟くんは購入したプレゼントをいつ彼女さんに渡すつもりなのだろうか?
「このタイミングは重要ですよ。最もムードがあり、盛り上がるタイミングでないと」
なんてことを桐花は言っていたが、今日のデートを見る限りどのタイミングで渡そうが失敗することはないと思う。
しかしながら弟くんもそのタイミングを見計らっているようで、その後の彼女とのデートは少し緊張気味だった。
肩下げのカバンの紐をギュッと握り、人とぶつかりそうな時は過剰までに反応していた。側から見ればカバンの中に何か大切な物が入っているのはバレバレだった。
対照的に彼女さんの方はそんな弟くんの緊張を知ってか知らずか、初デートを目一杯楽しんでいるようだった。
そして時刻は午後3時。体力が溢れているであろう中学生の2人にも流石に疲労の色が見えてきた。
2人は休憩をとるために喫茶店に入った。
「私たちも行きましょう」
「賛成だ。流石にお前も疲れたか?」
ちなみに俺は疲労困憊だ。
「まあ疲れてはいますが、休憩したい訳ではありません。おそらくデートも終盤でしょう、タイミング的にはこの喫茶店でプレゼントを渡す可能性は高いです」
「なるほど。だけどよ桐花、流石に同じ店に入るのは危なくねえか? 特に秋野なんか」
俺と桐花はまだ誤魔化せる。だが秋野はそうはいかない。
「はい。ですので秋野さんはお留守番です。どこか他のところで休憩していてください」
「そんな! 弟の一世一代の晴れ舞台をみすみす見逃せと言うのか!?」
「……そんな大袈裟なもんじゃねえよ」
「残念ですが諦めてください。その代わりと言ってはなんですが、カメラ通話を利用して弟さんがプレゼントを渡す様子をリアルタイムでお見せします」
「それって盗撮ーー」
「しかし……ぐぬぬ、そこが妥協点か」
渋々と言った表情で引き下がり、適当な店を探してくると言って俺たちの元を去って行った。
秋野を見送った後、俺たちも喫茶店内に入る。
「いらっしゃいませ。2名様ですね、今席のご案内をーー」
「あそこの席でお願いします」
「え?」
「あそこの席で、お願いします」
「……はい」
席に案内しようとしてくれた店員を制し、桐花は有無を言わせぬ迫力で弟くんと彼女さんをしっかり監視でき、なおかつこちらはあっちの視界に入りにくいベストポジションを確保した。
「さて。あ、もしもし秋野さん聞こえますか?」
『ああ、聞こえている』
「これからは声を出さないようにしてくださいね。流石にバレちゃいますから」
「……マジでバレるなよ」
ストーキングに盗撮。バレたら一切の言い訳ができず社会的に終わる。
桐花はスマホをさりげない位置に置いて弟くんたちの撮影を開始する。その後適当に注文を済ませ、桐花はカップル2人の会話に集中し始めた。
「ふー流石に疲れちゃったね」
「うん、僕も。普段あんまり外を出歩くことないから」
「私も。最近は家で本ばっかり読んでるから」
注文した飲み物を口にしながら今日の疲れを癒す2人。
「ふむ。弟さんは今日のブレンドを注文しましたか……ぷっ。中学生ですらコーヒーなのに吉岡さんはジンジャエールですか?」
「お前だっていちごミルクだろうが」
その後もカップル2人は取り止めのない会話を続ける。
ゆっくり流れる時間。
会話の内容からこの店を最後に今日は帰ることがわかった。
となると当然、プレゼントを渡すタイミングは限られてくる。桐花がさっき言った通り、おそらくこの喫茶店での休憩中がベストだろう。
すると、やはりと言うべきか、弟くんは緊張した面持ちでカバンを手に取った。
「平さん。今日はありがとう」
「どうしたの? そんなに改まって」
クスリと微笑みながら聞き返す。
「今日、僕本当に楽しかったんだ。女の子と2人きりで遊びに出かけるなんて初めてですごく緊張してたんだけど、それでも楽しかった」
「実くん……」
「SNSでさ、よく感想送ってくれたでしょ? その時からこの人とはすごく感性が合うなって思ってたんだ。まさかその人が隣のクラスの女の子だなんて思いもしなかった。あの日、付き合ってくださいって言われてすごく嬉しかった」
「……うん」
「先週誕生日だったんだよね? そのお礼って訳じゃないけど。このプレゼント、受け取ってください」
そう言ってカバンからアクセサリーの入った袋を取り出す。
差し出すその手は緊張で震えていた。
「誕生日おめでとう、平さん」
その緊張が俺たちにも伝わる。彼女が返事をするまでの時間がとても長く感じられて、思わずごくりと唾を飲み込んでしまった。
目を見開いた彼女はやがてーー
「……ごめん、なさい」
「え?」
呆気にとられる。
その隙に彼女は立ち上がり千円札を置き、そのまま足早に喫茶店を出ていった。
「おい、なんで?」
意味がわからなかった。
なんであのタイミングでごめんなさいなんて言葉が出てくるんだ?
「行きましょう。吉岡さん」
動けないでいる俺に対して、桐花は立ち上がってそう言った。
「緊急事態です。今すぐ実さんの元へ行って、事態を解決しなくては」
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