詠み人知らず。の、ままでは終わらせない。
「私たちの目的は樹さんのロッカーに書かれた詩、ラブレターと取れるその詩の差出人を特定することであった。それは間違いありませんね?」
ホワイトボードの前に立った桐花は、俺たちを見渡してそう言った。
「そりゃそうだけど、何を今更?」
「私がこれから話す推理の内容、それを誤解していただきたくないから言ってるんです」
「誤解? 差出人が誰なのかって話じゃねえのか?」
「もちろんそうです。ですがこの話は差出人を特定して終わりという、簡単な話ではないんです」
桐花の言っていることの意味がわからず、俺と樹は顔を見合わせる。それに構わず桐花は自らの推理を話し出した。
「差出人……そうですね、ここでは甲と称しましょうか」
「差出人甲」
「私が真相に気づいたきっかけは吉岡さん、あなたの発言です」
「俺?」
俺は自分を指さし、それを見た桐花はうなずく。
「吉岡さん。『わが恋は 虹にもまして 美しき いなづまとこそ 似むと願ひむ』を見て、見ていて気恥ずかしいとおっしゃいましたよね?」
「ああ、なんかむず痒いって言うか」
「その感覚は間違っていないと思います。男の人の感性ではこの詩に込められた意味がストレートすぎると感じるかもしれません。なぜなら、この短歌の作者はかの有名な与謝野晶子。女性なのですから」
与謝野晶子? 俺でも名前ぐらいは聞いたことがある。
「で、でもそれがどうしたの?」
「いいですか樹さん。甲が送った短歌は全て、かつての歌人がその時の自らの心情を詠んだものです。その短歌をそのまま引用して送るのに、男性が女性の心情を詠んだ短歌を送るのは違和感があると思いませんか?」
「そ、それって!?」
確か泉先輩の話では、火曜日と水曜日の昼休みの図書当番は男子2人と女子2人。
「つまり、甲は女子ってことか!?」
唖然とする。
てっきり差出人は男だと思い込んでいた。
「じょ、女子!? そ、そんな……心の準備がまだできてません!」
「……え、準備するつもりはあるのか?」
樹もだいぶ動揺しているようだ。
混乱する俺たち2人。しかし桐花はあくまで冷静に推理を続ける。
「いえ、そう簡単な話じゃないんです」
「簡単か、これ?」
「とにかく。続きを聞いてください」
そう言って桐花はペンを手に取り、ホワイトボードに書き込み始める。
「今まで送られてきた詩、それら全てに作者を追加するとこうなります」
火曜日1回目『恋すてふ わが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか』壬生忠見 男性
水曜日1回目『わが恋は 虹にもまして 美しき いなづまとこそ 似むと願ひむ』与謝野晶子 女性
火曜日2回目『思へども なほぞあやしき 逢ふことの なかりし昔 いかでへつらむ』村上天皇 男性
水曜日2回目『嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る』 藤原道綱母 女性
「あれ、男もいるじゃねえか」
さっきの女性の心情云々の話はどうしたんだ。
「よく見てください。気づくことはありませんか?」
桐花の言葉にすぐさま反応したのは樹だった。
「火曜日と水曜日で、男性女性に綺麗に分かれてる?」
「あ、まじだ」
火曜日は男性の詩、水曜日は女性の詩。それはつまりーー
「そうです、差出人は女性の甲だけでなく、男性の乙がいたのです!」
「なっ!?」
衝撃。
「つ、つまりこういうことか?」
桐花の手からペンを取り、ホワイトボードに書き込む。
甲→樹
「い、今までこう思ってたのが実はーー」
甲→樹←乙
「こんな関係性だったってことか!?」
火曜日は男性の乙に、水曜日は女性の甲にラブレターを送られていた。
樹モッテモテじゃねえか!
「わ、私はいつの間にこんなモテ女に!?」
あわあわと震える樹。そんな樹を見て桐花は悲しげに首を横に振る。
「さっきも言ったでしょう。そんなに簡単な話ではないと」
「簡単かこれ!? めちゃくちゃ複雑なことになってるじゃねえか!」
「私が今から話す内容に比べれば至極単純ですよそんなもの!」
まじかよ、まだめんどくさくなるのか?
「差出人は甲と乙の2人いる。その可能性に気づいた時ふと疑問に思ったのです。なぜ同じアプローチを甲と乙は樹さんに行なっているのだろうと。これは偶然の一致だと思いますか?」
「こんな偶然そうそうねえだろう。お互い樹に短歌を送っていることに気づいて、対抗心でも燃やしてたんじゃねえのか?」
「そうですね、甲と乙がお互いの存在に気づいていたことには同意します。ですが対抗心を燃やしていたのは違うと思います」
「違う?」
同じ相手にアプローチしてんだぞ? 対抗心なんてあって当然だろうに。
「いいですか吉岡さん。アプローチというものは相手に自分のことを意識して欲しいからするものです。対抗心があるのであれば自分と全く同じアプローチをしている人物がいる状況下では、その人物と自分とでは違うということをアピールすると思いませんか? 例えば、偽名であっても名前を書くとか」
「まあ、確かに」
実際にさっき桐花の推理を聞くまでは差出人が1人だと思っていた。甲と乙からすれば、樹に対して別の人物と混同されることは避けたい状況のはずだ。
「じゃあなんで甲と乙はお互いの区別がつくようなことをしなかったんだ? お前の言う通り名前の一つでも書けば済む話だろうに」
「する必要がなかったんだと思います。相手は自分のことをわかってくれる、その確信があったからこそ無記名で短歌を送っていたのです」
「確信があったって、あんなのお前でもなきゃわかんねえだろ。何も言わずに樹に気づいてもらおうなんて無理があるっての」
「一つだけ、無理がない状況を説明できる推理があります」
そう言った桐花はツカツカと樹のロッカーまで歩いていくと、そのロッカーをバン! と叩く。
「見てくださいこのロッカーを。樹さんは青の5番のロッカーを使うように言われたそうですが、これって青色でしょうか?」
図書準備室の壁の一面に並べられたロッカーには、カラフルな色分けをされたマグネットシールでできた数字が貼り付けられている。
樹のロッカーにも、かなり濃い色合いだが青色で5と書かれている。
「どちらかと言えば群青とか藍色っぽいけど、青っちゃ青だろ?」
「そうですね。他に青色のロッカーがない以上、これが青の5番でしょう。ですが、他に青色があったとしたら?」
「は?」
そのまま桐花は横のロッカーの方へと歩いていき、緑のロッカーの前で立ち止まる。
「これも、青色です」
「は? それは緑ーー」
「ああーー!!」
緑色だろ。と言おうとした俺を遮って樹が大声をあげる。
「青色です! これ青色ですよ!」
「いやいや、だからこれは緑ーー」
「青色なんですよ吉岡さん。青信号、青リンゴ、青汁。日本人は古来より緑色のことを、青色と表現していたんですよ」
「あ……ああ、そういうことか」
確か樹に青の5番を使うように言ったのは泉先輩だったはず。
「つまり泉先輩は本当は、この緑の5番のロッカーを使うように言っていたってことか?」
「そうです。現にこのロッカーは空っぽで、ダイアルロックの設定もされておらず0000のままです」
樹はそのことに気づかず、間違った青色のロッカーを使ってて、そのロッカーに甲と乙の2人から詩が送られていた?
「つ、つまりどういうことだ?」
そう言いながらも、俺はこの一連の事件の真相になんとなく気づきつつあった。
だがその真相は、あまりにもあんまりなものだったから自分の口から言うのをはばかられた。
「……甲も乙も、樹さんがロッカーを間違って使っていると知らなかったんだと思います」
桐花もどこか気の毒そうな視線を樹に送り、それでも決心したかのように俺の手からペンを取りホワイトボードに書き込む。
甲→樹←乙
「私も最初はこんな関係なんだと思っていました。ですが、このロッカーの仕組みに気づいた後わかったんです。この関係は間違っていると。いえ、そもそも最初から思い違いをしていたんだと」
本当の関係はーー
樹 甲←→乙
「あ、ああぁぁーー」
俺の口から出てきたそれは感嘆か、溜息か。それがなんなのかはわからなかったが、とんでもなく残念でがっかりした気持ちになった。
「これが真相です。あの詩は樹さんに送られたものではなく、甲が乙に、乙が甲にそれぞれ送ったものだったんです」
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