そして混乱の渦へ
樹のロッカーに書かれた二つのメッセージ。
『恋すてふ わが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか』
『わが恋は 虹にもまして 美しき いなづまとこそ 似むと願ひむ』
「これらの短歌は、かつての歌人が自らの溢れ出る恋心を歌として残したものなんです! これを樹さんへのメッセージとして残したということは、樹さんへの想いを打ち明けているということなんですよ!」
桐花のテンションは鰻登りだった。
「だからラブレターか」
「その通りです! ああ、なんて素敵な!」
短歌で自分の想いを伝えるという行為が、見事に桐花の琴線に触れたようだ。
「つまり樹さん、あなたのお悩みというのは誰がこのラブレターを樹さんへ送ったのかわからないことなのですね!?」
「そ、そうです。桐花さんにはこれを書いたのが誰なのか調べて欲しくーー」
「もちろん引き受けます! ええ、必ず見つけて見せますとも!!」
樹が言い切るよりも早く、食い気味で依頼を引き受けた。
「他には!? まだありますよね!」
「は、はい」
そう言って樹はスマホを差し出す。
『思へども なほぞあやしき 逢ふことの なかりし昔 いかでへつらむ』
「これが次の火曜日に書かれていました」
またしても綺麗な字で書かれた短歌。
「なあ桐花。どういう意味だ?」
古典の成績なんてお察しの俺には書いてあることの意味がさっぱりだ。
「ーー思へども なほぞあやしき 逢ふことの なかりし昔 いかでへつらむーー村上天皇ですね。意味は、『あなたのことを想っていると、あなたと出会う前はどのような気持ちで過ごしていたのかと不思議に思う』です」
素敵。と口の動きだけで自らの心境を述べる桐花。感動のあまり声もないようだ。
ジーンと感じ入っている桐花に対して、樹は遠慮がちに声をかけた。
「そ、それでですね」
「はい?」
「私この詩をもらった後、へ、返事を書いたんです!」
顔を真っ赤にした樹はためらいながらも言い切った。
「へ、返事ですか!?」
「は、はい! 書いてくれた人に対して。このままリアクション無しじゃ失礼かと思いまして……」
次第に自信がなくなっていったのか、言葉が尻すぼみになっていった樹の手を桐花がぎゅっと握る。
「す、素晴らしいじゃないですか!!」
「そ、そうですか」
「そうですとも! お互いに恋の詩を送り合う。ホワイトボード一枚で交わされる密やかなやりとり。ネット全盛期のこの時代、交流手段なんてはいて捨てるほどあるこのご時世になかなかできることじゃありませんよ!!」
桐花のテンションは最高潮に達していた。
「わ、私短歌なんて全然知らないから、詩ってほど立派なものじゃないんですけど。一応写真を撮ったので、見ますか?」
「ぜひ!」
桐花にベタ褒めされた影響か、やや積極的になった樹はスマホを差し出す。
俺もややドキドキしながらスマホを覗き込んだ。
そこには女の子らしい丸文字でホワイトボードに書かれた文章があった。
『ステキな詩 マヂでぁりがと本トゥに! どちゃくそ胸がドキドキするねッ♡』
「…………」
「…………」
俺も桐花も絶句。
ただただ無言で書いた本人を見つめる。
「そ、そんな目で見ないでください!」
樹も樹で、自分がやらかした自覚があるのか目を逸らされる。
「樹、念のため聞くが、本当にこれを書いたのか?」
「は、はい」
「なんで、ギャル文字?」
「い、今っぽいかなって、思いまして」
色々間違ってる。まず決して今っぽくはないし、そもそもなぜこれで行こうとしたのか。
「…………」
桐花なんか衝撃のあまり口を半開きにしたまま固まっている。立ち直るまでしばらくかかりそうだ。
「で、でもちゃんと5・7・5・7・7ですよ?」
「5・7・5・7・7だからといってこれを短歌とは言わねえよ」
お前、あんなにおしゃれな感じのラブレター貰っててこれか?
「そ、それでもちゃんと返事が来ましたよ?」
「え? これにか?」
なんて律儀な。恋心が冷めて即座に連絡を断たれてもおかしくないのに。
再度差し出されたスマホを覗き込む。
『嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る』
「本当に来たんだな。ほら桐花、いつまでも固まってないで訳してくれ」
「あ、はい」
未だ放心したままの桐花の肩をポンと叩く。
「ーー嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知るーーですか。えーとですね、『悲しみながら、ひとりで夜が明けるまで寝る時間がどれだけ長いものか、あなたはご存知でしょうか?』 つまり、なんで来てくれなかったの? って言ってますね」
「おい、さっきの返事無かったことにされてないか?」
謎の差出人も混乱してんじゃねえか。
「そ、それでですね。また返事を書いたんです」
「大丈夫か? 今のところ不安しかねえんだが」
「大丈夫です! ちゃんと勉強しましたから!」
自信満々にスマホを差し出される。
半信半疑になりながらも丸文字のその文章を読んだ。
『タ``ァれなん? ス〒≠ナ言寺を<レたノノヽ ぁナタカゞ言隹カゝ ぅちレよ矢ロ丶)タレヽ』
「勉強したって、ギャル文字の方かよ!!」
思わず怒鳴りつける。
樹がひっ、と短く悲鳴をあげて身を強張らせるが知ったこっちゃなかった。
「もう読めねえよ! 情熱的でお洒落なラブレターとの温度差で風邪引きそうだわ!!」
「で、でもちゃんとこれも5・7ーー」
「5・7・5・7・7の形式だったら何でもかんでも短歌だとは言わねえんだよ!!」
ふと桐花の方を見れば、動きがぎこちない。壊れたロボットみたいだった。
「ーータ``ァれなん? ス〒≠ナょ言寺を<レたノノヽ ぁナタカゞ言隹カゝ ぅちレよ矢ロ丶)タレヽーーえ、えーと訳しますとね、『誰なのでしょう、私に素敵な詩をくれるのは。あなたが誰なのか私は知りたい』となりますね。ラブレターの差出人が誰なのか知りたいと思っている、乙女の密やかな想いが……アバババ、ばばば」
「見ろ! 桐花がバグっちまったじゃねえか!」
落差がひどすぎる。さっきまで幸せの絶頂にいた桐花が一気に奈落まで突き落とされたようだ。
「こ、これ以降返事がなくてですね」
「だろうな」
当然だ。想い人からようやくもらった返事がこれだなんて悲惨すぎる。
「桐花さん。差出人、探してくれますか?」
遠慮がちな視線を向ける樹。
だが何故だろう? 俺にはこの女がとんでもなく図々しい奴に見えてきた。
「桐花、桐花!」
「……は!」
正気をやや失った桐花の肩をゆする。
「い、いいでしょう! 一度引き受けると言った以上引き下がったりなんかしません!」
そして、桐花はやけくそ気味に宣言する。
「ラブレターの差出人探しなんて、この恋愛探偵、桐花咲にお任せあれです!!」
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