誕生日のお返し
夏休みを目前にして、晴嵐学園全体の浮かれ具合はピークに達しようとしていた。
テストが終わった後の残りの授業なんて消化試合みたいなものだ。夏休みはすでに始まっているようなものだろう。
かくいう俺も、この素晴らしい開放感に浸っていた。苦労して乗り越えた期末テストの結果も上々、これから先の自由な夏休みを考えると空も飛べそうだった。
「なんだこれ。俺は無敵なのか?」
「調子の良いことを……一応宿題があることを忘れないでくださいね」
部室にて。全能感に支配される俺に、冷めた目の桐花が現実を見せてきた。
桐花はすでに夏休みの宿題に着手しており、淡々とプリントに書き込みを行っている。
「もう手を付けてんのか? まだ夏休み始まってないぞ?」
「こういう面倒くさいのはさっさと終わらせるのが私の流儀です」
流石だなとしか言いようがない。俺なんて尻に火でもつかない限り宿題に手を出したりしないだろう。
「なあ、桐花ーー」
「言っておきますが、宿題写させたりなんかしませんからね」
桐花はプリントから顔も上げずにそんなことを言ってくる。
「……まだ何も言ってねえよ」
俺の企みをズバリ言い当てられてビビったが、精一杯取り繕う。
「吉岡さんの考えなんてお見通しです。なんか視線もいやらしかったですし」
「なんだよ、いやらしい視線って」
心外だ。そんな視線をお前に向けたことなんて一度もない。
「それより、吉岡さんも今のうちに宿題を進めたらどうですか」
「バカ言うなよ。やっと期末テストから解放されたんだぞ? 英単語やら数式やら、しばらく見たくもないね」
「……夏休み後半になって慌てる光景が目に浮かぶようです」
そんな頭の悪いやりとりをしているとノックの音が響く。
「はい、どうぞ」
桐花の返事と共に開く扉。そこには遠慮がちに笑う、見覚えのある女子生徒が立っていた。
「えっと桐花ちゃん、吉岡くん、お邪魔します」
テスト期間中にも関わらず相談部へ依頼を持ち込んだ女、北島春香だった。
その顔を見て、俺はすぐさま立ち上がった。
「…………おかえりください」
「ちょ、ちょっと吉岡くん! なんで私を追い出そうとするの!?」
北島を閉め出そうとするが抵抗される。
扉の押し相撲を繰り広げていると、北島のすぐそばに彼女の親友である相川智代がいることに気づいた。
「ああ、やっぱ相川もいたんだな」
「まあね。子守りは私の日課だし」
「吉岡くん私を閉め出そうとしながら何普通に会話してるの!? トモちゃんも手伝ってよ!」
涙目の北島が可哀想なので、仕方なく部室に入れてやる。
「それで、今日はなんの用だ?」
北島が思い人である柔道部の石田に誕生日プレゼントを渡したのがほんの数日前。それまでの苦労やら紆余曲折やらを全ておじゃんにしたこのヘタレ女が今更何をしに来たのだろうか?
「えっと、実は……えへへ。2人にお願いがあってーー」
「おかえりください」
「ちょっ! 即座に追い出そうとしないで!」
北島の背中を押して部室の外へ押し出す。
「今度はなんだ? 花火大会で石田に告白したいから協力してくれとでも? 絶対無理だから諦めろ」
「絶対無理って何!?」
仮にだ。
北島が石田との花火大会デートにこぎつけられたとしよう。
打ち上がる花火を2人っきりで眺めるという最高のシチュエーションが用意できたとしよう。
2人の距離はこれ以上ないくらい縮まったとしよう。
……どれだけ考えても北島がヘタれて告白できない未来しか見えない。
そもそも、この女は以前絶好のタイミングを逃しているのだ。俺ですら成功の可能性は高いと思っていた最高のチャンスを。
もう北島の恋愛相談なんか受けてたまるか。不毛の一言に尽きる。
「そ、それに今回相談したいことは花火大会のことじゃないもん!」
「じゃあ一緒に海に行って水着姿で悩殺したいって相談か? あんたにそんな度胸はないから諦めろ」
「私のことなんだと思ってるの!」
助走の勢いはすごいけど、ジャンプの直前で足が止まるダメな幅跳び選手。
「吉岡さん。遊んでないで入れてあげてください」
呆れたようなため息をこぼす桐花に止められ、北島を追い出すのに失敗した。
部室に招かれた北島と相川は俺たちの向かいに座る。
先程のやり取りのせいでゼーゼーと荒い息を繰り返しながら北島は切り出した。
「わ、私が相談したいのは石田くんのことについてなんだけど」
「知ってる」
だからこそ無理だって確信しているのだ。
「さっき吉岡くんが言ってたみたいに、夏休み中に石田くんとデートしたいって相談じゃないんだ……デートはしたいけど」
「その辺りは2人に迷惑をかけないつもりだから安心して。多分全部私が負担することになるから」
うんざりとした表情で相川が吐き捨てた。
本当、心から相川に同情する。
「今回相談したいのは、私の誕生日のことなの」
「誕生日?」
「春香の誕生日、もうすぐなんだよね」
「そうなんですか。おめでとうございます」
「ありがとう桐花ちゃん」
照れたように北島は笑う。
「私この前石田くんに誕生日プレゼントあげたでしょ」
「ああ。確かボールペンだっけ?」
「うん。ちょっと高級なボールペン」
今思うと、このヘタレ女が2人きりの状況でプレゼントを渡せたのは奇跡なんじゃないだろうか。
「それで私の誕生日ももうすぐでしょ」
「らしいな。それで?」
「い、石田くんから誕生日プレゼント欲しいなーって」
「……なるほど」
ようやく北島の相談したいことが読めてきた。
「石田くんとは中学生の頃からの付き合いだけどさ、私の誕生日知らないかもしれないでしょ?」
まあ、多少仲がいい程度の異性の誕生日なんて知らないかもな。
「つまり、私と吉岡さんで北島さんの誕生日が近いことを教えて、それとなくプレゼントを用意するよう石田さんを誘導して欲しいと」
「そう! そうなんだよ桐花ちゃん! お互い誕生日プレゼントを送り合うって、結構進んだ関係だと思うでしょ」
やることは簡単だ。どうやって誘導するかも桐花ならすぐに思いつくだろう。
だがーー
「なんか、えらく図々しい依頼だな」
「うぐっ!」
真っ先に思いついた感想は『図々しい』だった。
「それって『先に誕生日プレゼントを渡したんだから、私にもよこせ』ってことだろ? しかもそのことを石田に伝えるのは俺たちで、あんたは素知らぬ顔してプレゼントを受け取るだけって。自分の手は汚さない黒幕かよ」
「全くもって正論ね。その強引さをほんの少しでも石田くんに向けられればとっくにくっついてたかもしれないのに」
「トモちゃん!?」
相変わらず親友に刺されている。
「い、いいじゃん! 好きな人に誕生日プレゼント貰いたいと思うなんて普通だよ!」
「そのプレゼントをもらう手段が狡いって話をしてるんだが」
「そうだね。アホの子のくせに、なんでそんなとこだけ頭が回るんだろ」
「アホの子じゃないもん!」
相変わらず相川のナイフは切れ味抜群だ。
「べ、別に何言われてもいいもんね! 石田くんとの仲をステップアップさせるためなら手段なんて選ばないんだから!」
「手段を選ばないなら、真っ先にするべきことは『告白』なんだが」
「そういうとこ、微妙にヘタレ根性出てるよね」
北島がいよいよ涙目になってきた。
「今年の誕生日に私は賭けてるんだから! も、もしかしたら石田くんがプレゼントと一緒に告白してくれるかもしれないでしょ!」
「なんでそんな勝率の低い賭けをやろうとするかね」
「あんたがそんな受け身だから今まで何も進展しなかったんでしょーが」
「まあまあ落ち着いてください吉岡さん、トモちゃんさんも」
そしてとうとう桐花が割って入ってきた。
「北島さんは恋する女の子なんですよ? どれだけ図々しくても、何をやっても許されるのが恋する女の子です!」
「……桐花さんの倫理観も、時々やばいよね」
「あいつは恋愛が絡むとバカになるから」
声を落として囁き合う俺と相川を無視して、桐花は北島に胸を張る。
「安心してください北島さん。私が必ずや石田さんのプレゼントをあなたに届けて見せます!」
「き、桐花ちゃん!」
固く手を握り合う2人。
それを見て俺と相川は深くため息をついた。
「さて、それじゃあ石田さんには何を贈ってもらいましょうか」
「プレゼントの内容までこっちで指定すんのか? 石田に任せればいいだろ」
石田なら変なプレゼントを選ばないだろうに。
「何を言ってるんですか。北島さんが初めて受け取るプレゼントなんですよ? 相応の物が必要です!」
「そんなもんか?」
「それに私は、女の子の誕生日を『い⚪︎なりステーキ』で祝おうとする男の人の感性を信じません」
「……そうですね」
ぐうの音も出ない正論だった。
「それで北島さん。どんなプレゼントがいいですか?」
「うーんと、そうだね。実は昔から憧れたプレゼントがあって」
北島は遠慮がちに笑う。
「実は石田くんには……指輪をーー」
スパンっ!
相川の平手打ちが北島の頭を襲う。
「痛い! 何するのトモちゃん!」
「お前調子乗んなよ。ボールペンのお返しが指輪なんて図々しい。そもそもあんたと石田くんの関係は?」
「えっと、一応友達?」
「頭に一応がつくレベルの友達関係で、普通は指輪なんて送らないから」
本当、相川がいると助かるな。言いたいこと全部言ってくれる。
「じゃあ、プレゼント何ならいいの?」
「無難に文房具でいいでしょ」
「うう、文房具なんてドキドキ感が足りないよ」
「文句言うな」
そもそもお前が渡したプレゼントも文房具だっただろうが。
「桐花ちゃんだったら誕生日プレゼント、何をもらったら嬉しい?」
「私ですか?」
唐突な質問に桐花は目を丸くする。
「私だったらそうですね。本が好きですからブックカバーとか、ちょっとおしゃれな栞とか」
「ふむふむ」
「あ、ちなみに私の誕生日は10月です。吉岡さん、10月ですからね」
「催促すんなよ」
こいつもこいつで図々しい。
「吉岡さんの誕生日はいつですか?」
「あー、俺の誕生日はな……」
そういえば桐花とこの手の話したことなかったな。
「まあ、俺の誕生日はいいだろ」
「なんで言い渋るんですか。せっかくお祝いしてあげようと思ったのに」
「もしかして吉岡くんの誕生日過ぎちゃった?」
「いや、まだきてないが」
「なら教えてくださいよ」
桐花に促され、俺は渋々答えた。
「……2月だよ。俺の誕生日は2月だ」
「2月? 2月生まれ!? 吉岡さんその図体で早生まれなんですか!」
「うるせえな」
何が楽しいのか、桐花は目を輝かせて詰め寄ってきた。
「まさか吉岡さんが私より年下だったなんて。あ、これからは敬語使ってくださいね」
「ふざけんな。たかだか数ヶ月の差じゃねえか」
「私のこと……お姉ちゃんって呼んでもいいですよ?」
「呼ぶか!」
調子に乗ってニヤニヤし始めた桐花を怒鳴りつける。
だからこいつに誕生日教えるの嫌だったんだ。
「俺の誕生日はいいだろ。北島、文房具が嫌なら他は何がいいんだ?」
「え、えーっとね……」
少しだけ考え込んだ後、北島は口を開いた。
「い、石田くんと2人きりのディナーとか?」
「調子に乗んな」
「ヘタレのあんたが石田くんと2人きりでディナーにいけるわけないでしょ」
結局のところ。
石田は北島の誕生日をちゃんと認識していたらしく、俺たちが何か言う前にプレゼントの準備は済んでいた。(ちなみに、無難に文房具だった)
北島の誕生日当日、プレゼントは渡された。
そして当然と言うか、やはりと言うべきか。
誕生日プレゼントを渡すという絶好のイベントにも関わらず、2人の間には特に何もなかった。




