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恋に恋せよ恋愛探偵!  作者: ツネ吉
相談部の日常 その2
129/138

桐花の隠れ家

更新が遅くなり申し訳ありません。

1話完結の短編を全10話毎日更新します。楽しんでいただけると幸いです。

「吉岡さんにとって、最も落ち着くことができる場所はどこですか?」


 桐花がゆったりとした言葉でそう切り出した。


「そう聞かれた時、自宅、または自室と答える人が多いでしょう。もちろん私にとってもそうです。誰にも邪魔されない、自身のプライベートが確保された空間は絶対のセーフティエリア。しかしそこは他者の存在しない孤独の檻と同義、あまりに寂しい。だからこそ私は外の世界に繋がりと安らぎを求めるのです」


 桐花はグラスの水を一口飲むと、それほど広くない店内を見渡す。


「そして見つけ出したのがこの喫茶店です。外の喧騒からは遠く、落ち着きとゆとりのある空間。まさに私のオアシスです。光栄に思ってくださいね吉岡さん、私の秘密の隠れ家を教えてあげたんですから」


 得意げに胸を張る。そして俺にメニュー表を渡してきた。


「さて注文しましょうか。マスターが厳選した豆から作るコーヒーは絶品ですよ。ブルーマウンテン、キリマンジャロ、コナなど様々。中でも私のおすすめはーー」

「すんません。ミックスジュースお願いします」

「吉岡さんっ!!」


 静かな店内に、桐花の怒声が響いた。


 期末テスト前日の日曜日。


 ファミレスの一件で中途半端になってしまったテスト勉強の続きを行うべく、桐花の馴染みの店のカウンター席に肩を並べて座っていた。


「コーヒーがおすすめに決まってるじゃないですか! なんで私の言葉をガン無視してミックスジュースなんて頼んでるんですか!?」

「いやでも、メニューに店主のおすすめって書いてあるぜ?」

「だとしても高校生がミックスジュースはないでしょう!」


 うるせえな。コーヒーは苦手なんだよ。


「まあまあ、咲ちゃん」


 と、俺たちのやりとりを見ていたマスターが、カウンターの中から桐花に柔らかく話しかける。


「咲ちゃんだってコーヒーが飲めるようになったのはつい最近じゃないか」

「そ、そんなわけないじゃないですか! 私なんて5歳の頃からブラックをがぶ飲みしてましたよ!」

「嫌なガキだな」


 どんな見栄の張り方だよ。


「それにコーヒーが苦手な人に強要するのは良くないね。確かにここはコーヒー喫茶だけど、コーヒーが飲めない人でもこの店でゆっくりできるようにミックスジュースをおすすめにしてるんだから」


 マスターの言う通り、メニュー表はコーヒー以外の飲み物も充実している。


 マスターの穏やかな話ぶりに毒気を抜かれたのか、桐花はやや不服そうな顔をしながらも振り上げた拳を下ろした。


「確かにそうですね。じゃあ、吉岡さんはミックスジュースでいいんですね?」

「ああ、お前はどうする?」

「そうですね。じゃあ、本日のおすすめで」

「かしこまりました」


 マスターは恭しく一礼すると、裏の厨房に向かった。


「コーヒーねえ。そんなに美味いかね?」

「全く、図体ばかり大きくなっても舌はお子様なままなんですから」


 やれやれとため息をつかれる。


「あの深い香り。ただ苦いだけではない複雑な味わい。豆の種類だけではなく、挽き方、入れ方、はてはその日の気温や湿度まで影響して味が変わる奥深い飲み物なんです。要するに、お子様の吉岡さんには理解できない大人の飲み物ですね」

「さっきマスターもお前がコーヒー飲めるようになったのは最近だって言ってたじゃねえか」

「ちーがーいーまーすー! 私は生まれたその瞬間からミルクの代わりにエスプレッソを飲んで育ったんですー!」

「そんなガキいてたまるか」


 赤ん坊にコーヒー飲ませるなんて虐待だろう。


「第一、お前も普段からいちごミルクとか甘いもんばっか飲んでるじゃねえか。コーヒー飲んでるところなんて見たことねえぞ?」

「……缶コーヒーとか、店売りのコーヒーが口に合わないだけです」


 苦い表情を浮かべる。


「そりゃあ普段は甘党なのを否定しませんよ。ですがこの店では甘い子供向けのものは封印。大人の味わいのコーヒー一択です!」

「はいはい」


 こいつがコーヒーにこだわりがあるなんで知らなかったな。まさかここまで熱弁されるとは。


 そんなやりとりをしていると、お盆を片手にのせたマスターが戻ってきた。


「お待たせしました。こちらミックスジュースになります」


 俺の前に大きめのグラスに入ったミックスジュースが置かれる。


 続いてマスターが桐花の前に注文の品を差し出す。


 一眼見て、俺もそっちを頼めばよかったと思った。


「そして、こちらが本日のおすすめになります」


 チョコレートパフェだった。


「マスタァーッ!!」


 再度桐花の怒声が響いた。



「全くもう! 常連を馬鹿にして!」


 桐花はプリプリ怒りながらチョコレートパフェをパクつく。


 そんな桐花にコーヒーを差し出しながらマスターは謝る。


「ごめんごめん咲ちゃん。でもいつもチョコレートパフェ頼んでるじゃないか」

「何がこの店では甘いもの封印だよ。やっぱ普段から甘いもの頼んでんじゃねえか」

「うっさいですね。苦いブラックと甘いパフェの相性は抜群なんですよ」


 そう言って桐花は、コーヒーに砂糖もミルクも入れることなくそのまま口をつける。


「うん。この苦味と酸味。コーヒーはこうでなくちゃですね」

「よくブラックなんて飲めるな?」

「ふっふっふ。ほら、私は大人ですから? ミックスジュースで満足のお子様と違って」


 そのドヤ顔が腹立たしい。


「ははは、咲ちゃんはそう言うけどね、実はそのミックスジュース、咲ちゃんのお気に入りなんだよ」


 すると、マスターが俺に向かってそう言ってくる。


「え?」

「咲ちゃんはちっちゃい頃からご家族でこの店に来てくれたんだけどね、いつも決まって注文するのがそのミックスジュースだったんだ」

「なるほど、コーヒーが飲めるようになるまではこれを飲んでたんだな」


 俺がジト目を向けると、桐花は苦い顔で視線を逸らした。


「そうそう。中学3年生の時だったかな? 急に『私はもう大人ですからコーヒーが飲めます!』って言い出してね。砂糖もミルクも入れればいいのに、ずっとブラックで飲む練習をしてたんだよ。あれはきつかったなあ。せっかく出したコーヒーをあんな顰めっ面で飲まれるのは」

「……そういう病歴、お前にもあったんだな」


 顔を真っ赤にブルブル震える桐花は、やがて限界を迎えたのか勢いよく立ち上がる。


「ほらほら! テスト勉強始めますよ! マスターももう邪魔しないでください!」


 そんな桐花の鶴の一声で勉強会が始まる。


 元々この店にはテスト勉強をするために来たのだ。赤点を取るかどうかの瀬戸際である俺に異存はない。


 心なしか当たりの強い桐花に教わりながら、俺はテスト勉強を進める。


 桐花が用意した大量のプリント。それを解いて桐花の解説を聞くという作業を繰り返した。

 

 しかし、いまいち集中できなかった。


 なぜならカウンターの中のマスターがニコニコ笑いながら、じっとこちらを見つめてくるのだ。


「……あの」

「うん?」


 たまりかねて、俺はマスターに声をかけた。


「さっきから見てきてますけど、何か用っすか?」

「ああ、ごめん。まさかあの咲ちゃんが男の子を連れてくるなんて思わなかったから、ついね」


 マスターは申し訳なさそうに謝ってくる。しかしその目には抑えきれない好奇心が宿っていた。


「確か吉岡くん、だっけ? 君はあれかな? 咲ちゃんのボーイフレンドなのかな?」


 そんなマスターの問いかけに答えたのは、渋面を作った桐花だった。


「そんなわけないでしょう。変な邪推はやめてください」

「ふむ、そうかい。ごめんごめん。勉強続けて」


 そう促され、勉強を再開する。


 しかしそれから10分もしないうちに、またしてもマスターがこちらを見つめていることに気づく。


「あの……なんですか?」

「おっと、ごめんね。つい気になっちゃって。あ、おかわりいるかい? サービスするよ」

「ど、どうも」


 厚意に甘え、空になったグラスを差し出す。


「ところで……吉岡くん」

「はい」


 グラスにミックスジュースを注ぎながらマスターが問いかけてくる。


「君、好きな子がいるのかな?」

「はい?」


 唐突な質問に面くらった。


「いやほら、咲ちゃんが恋愛好きなのはこっちも知ってるからね。君が咲ちゃんの恋人じゃないとすると、何かそういう繋がりなのかと思ってね」

「いや、別にそんな浮いた話はないっすけど」

「ちょっとマスター。こっちは勉強中ですよ」


 流石の桐花もたまりかねたのかマスターを諌めた。


「ごめんね。またおかわりが欲しくなったら言ってね」

「……ありがとうございます」


 マスターの態度に少し不気味なものを感じながらも、俺は再び手元の問題集に向き合う。


 集中しなくては。テストはもう明日だ。


 しかし、マスターはやはりこちらを見ている。どうしてもその視線が気になって仕方がなかった。


「あのーー」

「吉岡くん、最近チューした?」

「なんなんだこのおっさん!!」


 俺は悲鳴に近い大声をあげた。


「チュー!? こっちは勉強してんのに、何がチューだよ!」

「いやー。おじさんもね、若い子の恋愛大好きなの。高校生のカップルがチューした話とかでキュンキュンしたいの。だからおじさんと恋バナしない?」

「するかっ!!」


 俺は今日が初対面のおっさんを怒鳴りつけた。


「桐花、よく胸に刻んどけよ? これが外から見たお前の姿だからな」

「いやいや。流石にここまで酷くないでしょう……ここまでじゃないですよね?  ねえ?」



 それから数時間。


 チラチラとこちらを見てくるマスターが目障りではあったが、順調に2人きりの勉強会は進んだ。


 桐花が用意してきたテスト対策用のプリントも大半が終わり『これならまあ大丈夫でしょう』と太鼓判を押された。


「流石に疲れたな」

 

 俺は霞む目元を押さえる。桐花は大きく伸びをした。


「そうですね。頑張ったんじゃないですか」


 喉を潤すためにミックスジュースのグラスに手を伸ばすと、すでに空になっていることに気づいた。


 おかわりを頼もうかと思ったが、すでに何杯ももらっている。これ以上サービスされるのは流石に気が咎めた。


 そんな俺の様子に桐花が気づいた。


「吉岡さん。私のコーヒー飲んでみます?」

「いやでも、それブラックだろ?」


 ただでさえコーヒーなんて飲んだことないのに、いきなり砂糖なしはハードルが高い。


「まあまあ、ものは試しですよ。コーヒーのカフェインは疲労回復に効果的ですしね」


 そう言ってコーヒーのカップをこちらによこしてくる。


 俺は桐花の口元にニヤニヤとした笑みが浮かんでいることに気づいた。


 さては親切心ではなく、コーヒーが飲めない俺をからかうためにコーヒーを勧めてやがるな?


 そう挑発されたんじゃこちらも引き下がることはできない。


「一口だけな」

「どうぞどうぞ」


 カップから漂う濃い匂いに顔を顰めながら、恐る恐る口をつけた。


「……あれ?」


 想定していたよりも抵抗なく飲めることに驚く。


 苦味と酸味がそれほどキツくなく、飲みやすい。


 いや、というかーー


「なんか、甘くねえか?」


 俺のセリフに、桐花が驚いた表情を浮かべる。


「おや、わかりますか吉岡さん。そうなんです、いいコーヒーは砂糖なんか入れなくても豆自体の甘味が出てくるものなんですよ」

「いやいや違う違う! これは豆のほのかな甘味とかじゃなくて、砂糖の甘味だろ!?」


 コーヒーのことなんてこれっぽっちも知らない俺にもわかる。こんなに甘いブラックコーヒーなんてあるわけがない。


「お前これ、砂糖入れてるだろ?」

「はあ? 何言ってるんですか。入れてませんよ」


 桐花は俺からカップを奪い返し、確かめるように飲む。


「うん、美味しい。いつも私が飲んでるブラックコーヒーです。砂糖なんか入ってませんよ、ねえマスター?」


 自信満々に告げる桐花。しかしマスターは桐花の問いかけに、不自然に視線を逸らした。


「マスター?」

「……だって、咲ちゃんがいつまで経ってもブラックコーヒーを美味しく飲んでくれないから」


 ボソリと呟くマスター。それを聞いて、俺はあることに気づいた。


「まさかお前がこの店で今まで飲んでたコーヒーって、全部砂糖入りだったんじゃねえか?」

「は?」

「中3の時にブラックコーヒーを飲む特訓をどれだけしても美味しく飲めないお前を見かねて、マスターが砂糖入りのコーヒーをブラックコーヒーだって嘘ついて出してたんじゃねえか? お前がブラックを飲めるようになったって勘違いしたその日から、今日までずっと」


 そう考えると、他の店のコーヒーや缶コーヒーのブラックを飲めなかった理由も説明がつく。だってこいつ、はなからブラックなんて飲めねえんだから。


「いやいや……いやいやいや! そんなわけないでしょう! だって私はブラックコーヒーを飲める大人の女性ーー」


 言葉の途中で、マスターが桐花を視界に入れないよう、真横を向いていることに気がつく。


「……嘘」


 ショックを受け、固まる桐花。


「つまりだ、お前は砂糖入りのコーヒーをブラックだと思い込んで美味い美味いと飲んでたと」


 この店に来てからコーヒーが飲めないことをからかわれたり、お子様だと馬鹿にされたりしたことの仕返しのつもりで、俺はあえて口にする。


「何が大人の女性だ。馬鹿舌の上、子供舌なのが証明されちまったじゃねえか」

「こ、これは何かの間違いです! マスター! 今すぐ私にブラックコーヒーを淹れてください!」


 その後。


 マスターの淹れた本物のブラックコーヒーを、桐花は口に入れた瞬間思い切り吹き出した。

 

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