命題:恋は人を幸せにするのか?
『君が好きだ』
その言葉を送るために作り出されたオカルトブーム。
百目鬼先輩がこれまで秘密裏に進めてきた計画の全てを、桐花は解き明かした。
「この謎は解いちゃいけなかった。だってこの謎を解き明かし、ラブレターを受け取るべき相手は神楽坂先輩だったのだから。あまつさえ、謎を解いてしまったことを悟られるなんて……」
「だから、三浦が黒幕だなんて咄嗟の嘘を」
「はい」
悔しそうにそう呟く。
「私の行為は、拾った手紙がラブレターだとは知らずに読んでしまったことと同じ。当然悪意はありませんが、送った相手からすればたまったものじゃありません。ラブレターが思い人の手に渡らず勝手に読まれてしまったのですから」
懺悔するかのように言葉を吐き出す。
そして、キッと三浦を睨みつける。
「ですがあなたはもっとひどい。あなたの行為は、神楽坂先輩に送られた手紙がラブレターだと気づいて捨てたことと同義なのだから。しかも、それを私が拾って読み上げるように誘導するなんて」
「……」
三浦はまだ無言。
桐花の責めるような視線を向けられてもなお、表情に変化はなかった。
「なんで?」
そんな疑問が口からついて出る。
「なんで百目鬼先輩にそんなことを?」
これだけ手の込んだ告白だ。百目鬼先輩がどれだけ苦労してきたか俺でもわかる。
三浦と百目鬼先輩は仲が良い先輩後輩に見えた。
なのにどうして?
やっと開いた三浦の口から出てきた言葉は、意外なものだった。
「百目鬼先輩のため」
「……は?」
思わず固まってしまう。
「こ、告白を邪魔することが、なんで百目鬼先輩のためになるんだよ?」
「逆に聞くけど、この告白成功すると思う?」
「それは……」
答えに一瞬詰まる。
いや、即答できなかったことがそのまま俺の答えだった。
「アイディアは面白いと思う。オカルトブームの謎を解き明かせば自然とその言葉に辿り着くという発想は先輩にしかできない。でもそれがそのまま告白の成功に繋がるとは思えない」
三浦の口調はどこまでも冷静。
「むしろ怒ると思う。マスメディア部として必死に怪談を調査してオカルトブームの黒幕を探していたのに、その正体が一緒にいた先輩だなんて、マッチポンプだと思われても仕方がない」
否定できなかった。
三浦の言い分が正しいと思えてしまった。
「先輩は昔からちょっと夢見がち。ロマンチストと言えば聞こえがいいけど、神楽坂先輩がそれを受け入れてくれるような人物だとは思えない。あの二人、相性は最悪」
人を見る目には自信がある。
そう豪語した恋愛マイスターの言葉には説得力があった。
しかし、その言葉をバッサリ切り捨てる人物がいた。
「嘘です」
桐花だ。
「嘘? 一体何をーー」
「何が百目鬼先輩のためですか、そんなの嘘っぱちです。あなたが百目鬼先輩の告白を邪魔した理由なんて、そんなのーー」
桐花はどこか泣きそうな表情で告げる。
「あなた自身が、百目鬼先輩を好きだからに決まってるじゃないですか」
桐花の言葉に、初めて明確に三浦の表情が歪んだ。
「私が先輩を好き? 何をどう考えたそんな結論になるの?」
心なしか引き攣った声でそんなことを言う。
「根拠はあります。あなたはこのオカルトブームが百目鬼先輩の告白だとかなり早い段階で気づいていた。なら私は必要ありません。あなたが探偵として謎を解き明かし、告白を台無しにすればよかった。でもそんなことできませんよね? 好きな人が自分以外の人にラブレターを送った事実を暴くなんて屈辱ですよね?」
三浦の反論を待たず、桐花は攻め立てる。
「もしあなたが純粋に百目鬼先輩のためを思っているのなら、直接『この告白はうまくいかない』と教えてあげればいいだけです。お得意の恋愛相談でも受けてあげればいいじゃないですか。でもしなかった」
いつもの推理とは全く違った
血を吐くように辛そうな表情で、桐花は言葉を続ける。
「それに、それに……ああもう! 見ていればわかりますよ!」
苛立つように髪をぐしゃぐしゃにして、桐花は叫んだ。
「だってあなた……ずっと百目鬼先輩のことしか見ていなかった!!」
桐花の言葉に三浦の顔が紅潮する。
その頬の赤さの意味は俺でも流石にわかった。
「告白が上手くいかない? 相性が最悪? そんなのわからないじゃないですか!」
叫ぶような桐花の言葉。
「百目鬼先輩が時間をかけて下準備してきた告白に心動かされるかもしれない。一つのブームを作り上げた事実を尊敬し、それが好意に変わるかもしれない。そもそも最初から百目鬼先輩のことが好きだったかもしれない! あなただってそう思ったから、こんな回りくどい方法で告白を邪魔したんでしょう?」
「…………」
三浦は俯き、無言のまま否定しなかった。
「百目鬼先輩は勇気を出したんです。回りくどい告白だったかもしれない、伝わらない思いだったかもしれない! でも今の関係性を変えようと一歩踏み出したんです!」
俺はやっとわかった。
この推理を披露している間、桐花の表情がずっと苦しそうだった理由が。
桐花は怒っていたのだ。
百目鬼先輩の告白を妨害した三浦に。そのことに加担してしまった自分自身に。
その怒りを必死に押し留めていたからこそ、苦しそうに見えたのだ。
「あなたは卑怯です! 百目鬼先輩に告白する勇気も、他の人に奪われる覚悟もないくせに! 自分が傷つくのが怖いからって、誰かの思いを踏みにじるような真似していいわけがない!!」
多分ここが桐花の絶対に超えちゃいけない一線。
その一線を踏んだ三浦に怒りをぶつける。
だが、その怒りをぶつけられた三浦が退くことはなかった。
「……何も知らないくせに」
俯き気味だった三浦が顔を上げる。
「勝手なことばかり、偉そうに」
ゆらりとした足取りで、一歩こちらに近づく。
そしてゆっくりと指先を桐花に向けた。
「あなたの言った言葉覚えてる。『恋は人を幸せにする』って。そんなの嘘」
三浦の目には憎悪が宿っていた。
「誰かを好きになるって痛いの。知らないでしょう? 届かない思い。伝えられない言葉。焦り。嫉妬。自分の中に醜い物があるんだって嫌でも突きつけられる。それを知っていたら、とても幸せだなんて思えない。だからそんな綺麗事が言える」
視線が桐花を射抜く。
「あなた、恋人はいたことある? 初恋の経験は? ないでしょうね」
そこにいたのは他者の心の奥底を見抜く、オカルト研の三浦だった。
「だってあなたは恐れている。人を好きになることを。恋をすることを。それで幸せになれるかわからないから」
桐花を指差しながら、三浦は続ける。
「あなたは知らない。何もわからない。恋はあなたにとっての未知、あなたにとっての恐怖。だからこそ強く惹かれ、知りたいと思っているんでしょう?」
そして、嘲笑する。
「恋は人を幸せにする? そんなこと、これっぽっちも信じてないくせに」
三浦の言っている言葉は、全く見当違いなものに思えた。
恋は人を幸せにする。
それは桐花の信念で、何があっても揺るぎないもののはずだ。
しかし俺は、桐花の顔を見て言葉を失った。
「桐花……?」
その表情は、色が落ちてしまったのではないかと錯覚するほど何もなかったのだ。
「…………」
桐花は何も言わなかった。
それどころか、三浦の言葉に一切の反応を示さない。
『いいですか吉岡さん。ああいう表情が乏しい人は自分のやましい部分が表に出ることを恐れて無表情を貫いてるんですからね』
俺はなぜか、桐花のそんな言葉を思い出していた。
「…………」
「…………」
桐花も三浦も無言。俺もなんと声をかければいいのかわからなかった。
痛いほどの沈黙が永遠に続くかと思われたその時、部室の扉が開かれた。
「み、三浦」
百目鬼先輩だった。
「せ、先輩……なんで?」
三浦の顔が一気に青ざめる。
「ご、ごめん。三浦がなんであんな嘘をついたのか気になって、は、話を聞いてたんだ」
「まさか……全部?」
「う、うん」
三浦の表情は絶望的なものだった。
怯えたように両手を胸の前に持っていき、体を縮める。
その姿は恋愛マイスターなんかじゃなく、恋に不器用で臆病な少女のものだった。
三浦をまっすぐ見つめる百目鬼先輩は優しい口調でこう言った。
「み、三浦。二人で話をしよう。中学の時ずっとそうしてたみたいに、ちゃんと」
次回、第7章エピローグです。




