040. 卒業パーティー
三月になって、あの薄紅色の花が咲き誇る頃となった。名無し花とも、死雪花とも、夢見花とも呼ばれる、あの花が。
「おはようございます、ジェームズ先生。ドラコも、おはよう」
「まま、はぁよ!」
「おはよ、オフィーリア」
私が薬草畑を訪れると、ジェームズ先生と、彼に抱えられたドラコがいた。ふたりとも、いつもよりかしこまった服装をしている。
ジェームズ先生がこちらを見て、眩しそうに目を細めた。
「その制服姿を見るのは……初めてだな」
「ええ、そうですね。一度も着ないのはもったいないから、今日くらい着てみようかと思って。みんなびっくりするでしょうね」
「いつものも似合ってたけど、今のも似合ってる」
「ふふふっ、ありがとうございます」
私は笑って、その場でくるりと回ってみせる。制服のスカートが、ふわりとやわらかく揺れた。
今日は、学院の卒業式の日。私はようやく、晴れて学院の四年生を終えることができたのだ。
「あ、先生。そういえば、ご報告です。私……大学院、受かりました!」
「おう、おめでとさん」
「ありがとうございます。薬学の勉強、頑張りますね!」
「あんまり無理はするなよ」
「はいっ!」
私は無事に大学院に合格して、春から通うことになった。大学院は学院と同じ敷地内にあるので、イラリアにも会いにいきやすい。
生活する寮や校舎は変わって、今よりは距離ができてしまうけれど、会おうと思えばいつでも会える環境で、私は学び続けることができるのだ。
「ドラコは、まだ先生のところにいさせてもらえるんですよね?」
「ああ、そうだな。お前もたまには面倒見に来るだろ?」
「はい、もちろん。ドラコ、普段は二日に一回は貴方に会いにいくわ。今度休暇でグラジオラスのお家に帰るときは、貴方も連れていきましょうか」
「あい!」
「いい子ね。可愛い」
ドラコはジェームズ先生と一緒に薬学室で暮らしているので、これから私が彼に会いにいくときは、卒業生が校舎に入るための諸々の手続きが必要になる。ちょっとした手間ではあるが、可愛いドラコのためなら何でもない。
「オフィーリア」
「はい、なんですか。先生」
「……卒業、おめでとう」
「まだ卒業式は終わってないですけどね。ありがとうございます!」
私は笑って彼らと別れて、紅玉クラスの教室へと向かった。バルトロメオは聖夜祭の日に見たきり、一度も姿を見なかった。
彼がいないまま卒業式は進み、そして終わった。
マッダレーナさんは女子向けの制服を着た私を可愛いと言ってくれて、夜にある卒業パーティーは、彼女と一緒に行くことを約束した。
また私に告白してきた女子学生がいたけれど、私はそれを断った。
そして、イラリアは……朝、一緒に目覚めて別れたきり、どこにいるのか、わからなかった。
夜になると、もう三月なのにもかかわらず、外には雪が降っていた。
王城で催される卒業パーティーに、私は騎士服で出席している。こちらの学院ではいつもイケメン騎士様姿で生活していたから、こちらの格好が良い気がして。
イラリアが、私の着たい服を着て良いのだと、前に言ってくれたから。私は自分が着たい、思い出深い服を、積極的に選ぶことができた。
かっこいい自分も、嫌いじゃない。私はいつも通りのフロイドの言葉遣いで、やってきた女の子たちと会話していた。
けれど誰と話していても――国王陛下と王妃殿下とお話ししていた時でさえも――いつも心の中で気にしているのは、イラリアのことだった。
「オフィーリアさん。大丈夫?」
キャーキャーと姦しく話しかけてくる女子グループがはけたあと、私は会場の隅っこへ休みにいっていた。そんな私に、マッダレーナさんがそっと話しかける。私の様子がおかしいことを、彼女は見抜いていたのだろう。四年間の友情は侮れない。
「マッダレーナさん……。あのね、イラリアがいないの。どうしてかしら? 卒業式も在校生として出席するはずだったし、卒業パーティーにも来るって言っていたのに……」
「それは心配ね。先生には言ってみた?」
「さすがにこんなにいないのはおかしいと思って、お伝えしておいたわ。でも……なんだか、嫌な予感がするの」
先程から、妙な胸騒ぎがする。イラリアに何かあったんじゃないだろうか。
マッダレーナさんが、私に水を持ってきてくれた。私はそれを飲み干して、気持ちを落ち着かせようとする。イラリアは大丈夫なのだと、思おうとした。
が。
「きゃあああぁあっ!!」
劈くような悲鳴が、会場に響いた。ひとりではなく、何人もの女の子の悲鳴が重なったものだった。
何があったのかと、会場の真ん中へと駆け、あたりを見回す。入口のそばに見えたものに、私は己の目を疑った。
パーティー会場の入り口を守っていたはずの騎士が、床に倒れていたのだ。
「何……? どうしたの……?」
私を追いかけて隣に来たマッダレーナさんが、不安げに呟く。私は彼女の手をとった。
パーティー会場に、あきらかにドレスコードを守っていない男たちが入ってくる。何人かが持つ武器には、赤いものがついていた。続々とやってくる彼らの姿に、また悲鳴が上がる。
――この身なり、顔立ち……国境付近の民かしら? 遊牧民、いえ、魔獣遣いの……?
普段の王都でなら見かけることのない、ここから遠い地で暮らすはずの者たちが、貴族学院の卒業生たちを祝う王城でのパーティーに、なぜかやってきた。半人半馬や人面獅子と一緒に。
クーデター。戦争。嫌な言葉が次々と思いつく。
人数は、そう多くない。大型魔獣の数を合わせても、五十もいない。
彼らの狙いは何かと考え、最後に入ってきた人の姿を見て、私は唐突に理解する。
魔獣遣いの民たちが真ん中を開け、彼を通した。彼こそが、やつらを城の中に侵入させた首謀者なのだ。
――……バルトロメオ、殿下。
彼が着ていたのは、外で降る雪のような、白い礼服だった。
今はまだ真っ白だが、血がつけばひどく目立つことだろう。過去の彼が王城でよく着ていたもののひとつだ。
大剣を、彼は真っ直ぐにこちらに向ける。
「俺も、余計な犠牲は出したくない。待ってやるから、死にたくないなら皆逃げろ。だが、殺すべき三人だけは別だ。国王と王妃……そして、オフィーリア・フロイド・グラジオラス。貴様らが息をできるのは、今日が最後。せいぜい足掻くがいい。その他こちらに歯向かうものがあれば、容赦なく殺していこう」
――ああ、きっとイラリアは生きているわね。
私は確信する。彼がこんなことをする理由は、ひとつしかない。イラリアだ。
どうせ私を殺して、国王陛下と王妃殿下のお命も奪って、すべてを自らの思い通りにしようと企んでいるのだろう。
我先にと逃げようとする者もいるが、ショックのせいか動けない様子の者もいる。
マッダレーナさんも震えて、その場から動けなくなっていた。私は彼女の手をとり、ゆっくりと話しかける。
「マッダレーナさん、聞いたでしょう。貴女はこのまま逃げて。下手なことをしなければ、やつらは貴女には手を出さないわ」
「オフィーリア、さん。でも……」
「私は大丈夫。貴女、ようやく夢が叶うところなんだから。……皇帝陛下に、一番に愛される女になるんでしょう? ひとつの傷だってつけちゃいけないわ。窓からでも何でもいいから、ここから逃げなさい! 他のみんなも、自分の命が大事なら逃げなさいっ!!」
私がそう叫び、何人かがまた会場から出ていく。きっと誰かがこの異常事態を知らせて、別の場所にいる第一・第二騎士団の騎士も、まもなくここに集まってくるだろう。
バルトロメオはそれを想定せずに、こんな愚かな真似をしたのか。それとも、騎士団のことは前もって対策してあるのだろうか。
マッダレーナさんが、青白い顔でこくりと頷く。
「う、ん。わかった。貴女も……どうか、無事でいてね」
「ええ、もちろん」
私と彼女は最後にぎゅっと抱きしめ合って、別れた。
彼女が会場を出ていったところで、私はバルトロメオに話しかける。
「バルトロメオ殿下」
「やあ、オフィーリア。お前の顔が苦痛で歪むのを早く見たいな」
「……そんなにも、彼女が好きですか」
「ああ、この世の誰よりも。何よりも」
「こうするしか、なかったのですか」
「ああ。こうでもしないと、彼女は手に入らない」
悲しいな、と思う。べつに、彼に未練があるわけではないけれど。
ただ、同年代の男の子を見たのが初めてで。一目惚れみたいに、彼に恋しただけだった。彼の作り笑いを見抜けずに、惹かれただけだった。淡い儚い、幼稚な初恋だった。
私は彼に恋したことがある。その事実は変わらない。彼の知らない私でも、私とイラリアしか覚えていない日々だとしても。
「この勝負、受けて立ちましょう。私は生き残り、国王陛下も王妃殿下もお守りいたします」
「俺は王位を奪い取り、貴様の息の根も止めてやろう。イラリアと一緒に幸せになるために」
ぞろぞろと入り口から騎士たちが入ってくる。会場に残っていた警護の騎士や、紅玉クラスの卒業生も、それぞれ武器を持った。
私は細剣を構える。
「ふっ、そんなもので俺に勝てると思っているのか。やはり馬鹿だな」
「バルトロメオ殿下ったら、謹慎生活中に、授業で習ったことをお忘れになってしまわれたのですか? 武器は大きいほど強いわけではありません。私に一番合っているのが、この細剣です」
「そんなことはどうでもいい! 小賢しいやつめ! ――かかれ!」
バルトロメオの指示で、魔獣遣いの民たちが動き出す。王城側の人々も、それを機に動き出した。




