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031. 晴れる心

 イラリアが転生前に暮らしていた世界のもので言う〝タクシー〟にあたる乗り物――辻馬車に乗って、私たちは町の外へと向かう。

 かたかたと揺れる車体。移りゆく景色。やがてイラリアに手を引かれ、私は馬車を降りた。


 天気は快晴で、まるでイラリアの瞳のように澄んだ色。ちょっと眩しいけれど、気分は悪くない。


 彼女とお喋りしながら、目的地へと歩く。今日の私たちのデート場所は、清らかな川、そして自然あふれる山である。


「ここが私の拠点です!」

「よく来てるってこと?」

「はい、そうです。秘密基地みたいでしょう?」

「そうね。まるで貴女と読んだ小説に出てきたものみたいだわ」


 イラリアは得意げに、私を彼女の拠点へと案内する。そこには、木の枝や石、布きれで作られた広い空間があった。テントや釣りの道具、木箱や竹籠、調理器具などが中に置いてある。

 本当に物語に出てくる秘密基地のようだ。イラリアと一緒にその本を読んだ時に匹敵するくらい――いや、もしかしたらそれ以上に、わくわくと心が躍る。


 この様子を見るに、山には本当によく来ているのだろう。彼女にこんな趣味があったなんて、これまでは知らなかった。


「姉さまがいなくなってから、私ってば暇で暇で仕方がなくて! 心の穴を埋めるために趣味が増えました」

「私がいない方が充実してた?」

「いいえ。姉さまがそばにいる人生の方が何百倍も楽しいです」


 きっぱりと断言されて、どこか嬉しい気持ちになる。私もイラリアのそばにいる方が楽しい。

 彼女と手を繋ぎ、川辺へと向かう。手取り足取り、彼女に教えてもらいながら、魚釣りの始まりだ。


「うきが沈んだら、竿を引いてくださいね。餌はこれを――こうして、針の先に刺しておきます」

「ええ、わかったわ」


 彼女から釣り餌の虫を受け取って、針に刺す。私が虫に触れる姿が面白かったのか、彼女はこちらをしげしげと見つめていた。


「姉さま、虫平気なんですね?」

「畑いじりもするんだから、それなりにね」

「そっか。姉さまも花壇の薔薇とペンペン草、大事にしてましたもんね」

「そうね」


 彼女の真似をして、仕掛けを投げる。

 あとは魚がかかるのを待って、食いついたら水から引き上げるだけだ。まあ、それが難しいのだと思うけれど。


「暇ですねー」

「そうね。普段……というか、私がいないときは、ひとりで釣りをしていたのでしょう? そのときは魚がかかるまでの間、何をしていたの?」

「普通に姉さまのこと考えてましたよ」

「それを普通と言うのかはわからないけれど、そうなのね」

「暇なので喋りましょう」

「いいわよ」


 私が頷くと、彼女は川で釣れる魚の話を始めた。

 あの魚は美味しいとか、あの魚は釣るのが大変なのだとか。私は、美味しい魚が釣れるといいわね。なんてつまらない返事をしたりした。


 そんな他愛ない話をしていると、彼女の横顔が、何かを憂うように曇る。


「イラリア。どうかした?」

「川と言えば、前に嫌な夢……というか、目覚めたときに悲しくなる夢、を見たなぁって思って」

「どんな夢? あ、答えたくないなら大丈夫よ」

「……姉さまの夢」


 彼女は私を見つめて、悲しげに笑う。その表情を見ると、胸が締めつけられるような気がした。


「フィフィ姉さまが川で入水自殺しようとするのを、私が助ける夢を見たんです」

「それが、悲しい夢なの? 助けられたのに?」

「だって……目が覚めたら、姉さまはいないから。私の大好きなフィフィ姉さまが、現実では、もう死んじゃった後だったから」

 

 綺麗な空色の瞳から、はらりと涙が落ちる。彼女の泣き顔に、心臓がドクンと大きく跳ねた。私が死んだ後、彼女はちゃんと悲しんで、泣いてくれたようだ。


 彼女につらい思いをさせたことは、私にとっても好ましくないことのはずなのに、なぜか嬉しさを感じてしまう。

 やはり極悪令嬢の性根の悪さは、まだ直っていないということだろうか。彼女は涙ぐみながら話を続ける。


「なんかね、〝オフィーリア〟みたいな感じだったんですよ。あれは死んじゃうのだから、ちょっと違うけど」

「またオトメゲームの話?」

「そっちじゃなくて、絵画の方です。〝シェイクスピア〟の〝ハムレット〟に出てくるのを描いた」

「知らないわね。貴女の暮らしていたニホンにしかないのかしら」

「ニホンは私が暮らしてた国の名前で、劇作家のシェイクスピアや、オフィーリアを描いた〝ミレイ〟は別の国の人ですよ。でも、私の名前もミレイでした」

「ややこしいわね。頭が痛くなるわ。貴女、異世界ではミレイっていう名前だったのね。初めて聞いたわ」

「『美しく、麗しい子になりますように』って願いを込められた名前です」

「貴女に似合う名前じゃないの。これからはそう呼ぶ?」

「ううん。イラリアのままで良いですよ。〝イラリア〟って名前の方が好きです。『明るく元気な子』って意味でしょう?

 私、ミレイのときは病弱だったから、今の私の方が好き。もちろん、私を生んで名前をつけてくれたパパとママのことも、大好きだったけど」

「なら結婚する時にでも、ミドルネームに加えてみたら? ミレイって。貴女の名前なら、こちらの世界でもそうしておいても悪くはないと思うわ。手続きは難しくないはずだし」

「え、姉さまが私と結婚してくれるですって?!」

「そんなことは言っておりません。貴女の方、魚がかかっているんではなくって?」

「え? あ、本当だ!!」


 話しているうちに泣き止んだイラリアが、私の指摘を聞いて、慌てて釣り竿を引いている。私はそのさまを笑って眺めた。


 彼女について私が知らないことは、まだまだたくさんあるのだろう。

 彼女がニホンでミレイとして生きていた日々のことは、ほとんど想像もできない。私が死んだ後の彼女のことも、よくわからない。私が彼女と離れていた十年間のことも。


 私にあるのは、私が彼女と過ごした思い出と、今の彼女、そして彼女と生きる未来だけだ。当然と言えば当然のことだけれど、彼女のすべてを私のものにすることはできない。


 私の釣り竿に初めて魚がかかったときは、ひとりではうまくいかなかったのでイラリアに助けてもらった。結局私は六匹、彼女は十三匹の合計十九匹を釣った。

 何匹かは今晩と明日の朝のごはんにして、残りは時間をかけて水分を飛ばして、長持ちする干し魚にするらしい。


 魚を箱の中に川水と一緒にまとめて置いて、私と彼女はまた山の秘密基地へと向かう。寝泊まりするためのテントの部品を持って川辺に戻り、ふたりで立てていく。


 その後は、山に行って山菜を採ることになった。


「貴女は、狩りはしないの?」

「弓も剣もそんなにうまく使えないですからねぇ、しないです。何かあったときのために、道具は持ってますけど」

「なら、私は武術だけは貴女に勝てるってことね。山鳥か野兎でも狩りましょうか?」

「鳥なら食べたいですけど、ウサギはいりません」

「そういえば、貴女はウサギのぬいぐるみがお気に入りだったものね」

「ニホンで病院にいたときに、いつも一緒にいたのが、ウサギのピョンくんだったので」

「貴女のぬいぐるみを駄目にした借りは、いつか返すわね」

「いつの話ですか。べつにもう大丈夫ですけどねー」


 そんな話をしつつ、ふたりで山菜をむしる。私は弓矢で二羽の山鳥を仕留めた。魔物でもない、食料にできるような鳥なんて、容易く射れるものである。

 鳥や魚を焼くために火を起こそうという時、彼女は持ってきていた荷物の中から、数冊の本を取り出した。


「なぜ、本?」

「これ、『貧乏伯爵令嬢』の本なんですよ。腹が立つので燃やします」

「バルトロメオ殿下と貴女をモデルにしたっていう、あれ?」

「そうです。本当に嫌です、あの男」


 イラリアは眉間に皺を寄せて、火打ち石で火をつけた枝の上に、本を置いた。

 表紙の艶のある加工が溶けて、不気味などろりとした様相を呈する。(えん)()色なので、血のように見えなくもない。


「貴女、バルトロメオ殿下のこと、嫌いなの?」

「はい。大嫌いです」

「どうして? あなたたちは、二度も恋に落ちたんじゃなかったの?」

「私は、オトメゲームのハッピーエンドのために……姉さまと一緒に生きられる未来のために、あの男の言いなりになっていたに過ぎません。あの男のことなんて、オトメゲームをしていた時から嫌いでした。

 今回だって聖女の魔法なんてかけたくなかったのに、あいつが自分で壁に頭を打ちつけて血まみれで迫ってきただけですから。人前で助けを求められたら、さすがに無視するわけにはいかなくて」


 彼女の衝撃的な告白に、私はしばらく言葉を失った。

 彼と彼女が仲良くなったことに、私はあんなにも心を痛めたのに、彼女は彼を愛していなかったなんて。


「なら、なら……貴女は、私のせいで。私が死なないために、嫌いな男とキスをしたり……その、していたと言うの?」

「ゲームでは、病に倒れたオフィーリアを助けるために、イラリアは大聖女に覚醒しないといけなかったんです。大聖女に覚醒するための条件が、『愛する人と契ること』でした。

 それで、ゲームの通りにしたんですけど、覚醒できなくて。私がバルトロメオ殿下を愛していないってこと、神様はわかってたんですね。

 一回目は『どうせバルトロメオと結ばれなきゃいけない世界なら、愛するオフィーリアとは関わらないようにする!』――ってしてたら、たぶん姉さまからの好感度が低かったせいでバッドエンドでしたし。

 でも、ゲームのシナリオの時期が終わった今なら、私は私らしく生きられます。――あれ? 姉さま? なんで泣いてるんですか?!」

「うぅ……イラリアぁ……」


 泣きはじめた私を見て、彼女はぎょっとした顔になる。私は彼女に抱き寄せられ、彼女のたわわな胸の上で涙を流し続けた。


「ちょっと本当にどうしたんです? よしよし? 大丈夫?」

「すごく、すごくモヤモヤする……!」

「うん?」


 今日はお酒など飲んでいないのに、彼女とのデートではしゃいだせいか、いつもより感情的になってしまっていた。

 普段なら、こんな些細なことで、彼女の前で泣いてしまうことなどないはずなのに。


「イラリアが、他のオフィーリアの話をするの、嫌なの」

「オトメゲームとか、絵画の話とか?」

「イラリアが好きなのは、私じゃなくて、他のオフィーリアなんじゃないかしらって。疑ってしまうの。オトメゲームの頃から好きだった。って、それは私じゃないじゃない! 貴女が好きなのは、どのオフィー……――いいえ。聞かなかったことにして頂戴」


 このままでは、イラリアに好かれているか否かを私がものすごく気にしていたということが、彼女にバレてしまう。私は慌てて口を(つぐ)んだ。 


「……フィフィ姉さま。それって嫉妬?」

「はあ!? 私が嫉妬なんて――するけど、これはそうじゃないわ! 断じて違うわ!」

「じゃあ、そういうことにしておいてあげます。……私はね、姉さま。

 フィフィ姉さまのことが、好きなんですよ。たしかにオフィーリアを知ったのはオトメゲームからですけど、私が好きなのはフィフィ姉さまです。

 最初はゲームの推しに会えたっていう目で見てたとは思いますけど、姉さまの妹としてこの世界で暮らして、この世界で生きているフィフィ姉さまのことを知って、それもひっくるめて好きになりました。

 悩ませてごめんなさい。私が愛しているのは、今、私が抱きしめているフィフィ姉さまだから。安心してね。大丈夫。私はフィフィ姉さまのことが大好きだよ」

「……う、ん。わかった」


 純度の高い、もう同じ疑いはかけられないような愛の言葉を聞いて、私はただ頷くことしかできなかった。イラリアが本当に私を好きでいてくれたことに、ひどく安心している。


 下手に喋ってその安堵を悟られるのが、嫌だった。彼女に愛されていると知って、ほっとしている私のことに、気づかれたくなかった。


 彼女の純粋な愛の言葉を心から受け入れられた後で、私は再び口を開く。


「あと、ね」

「うん。なんですか?」

「私を助けるためだとしても、貴女がしたくないことは、もうしないでちょうだい。貴女は、貴女のために幸せになっていいのだから……私のために自分を犠牲にするのは、やめて」

「私の身体を差し出す程度で姉さまのことが助けられるなら、私は本当に、それで良かったんですよ。……でも、姉さまのおっしゃりたいこともわかります。もうしません。

 私の唇も私の純潔も、今はフィフィ姉さまに捧げるものです」

「べつに、貴女が他の人を好きになったら、他の人にあげていいのよ」

「はい、わかってます。でも、今の私が好きなのはフィフィ姉さまだから」

「ええ。私も、わかってるわ」


 彼女からのキスを受け入れ、私は笑う。


 ふたりで隣り合って座って、焼き上がった鳥と魚をいただいた。素朴だけれど、とても美味しいものだった。


 狭いテントの中で、彼女と手を繋いで眠る。温かく、とても安らかに眠ることができた。

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[一言] フィフィ様かわいいいいいいいいいい!!!!!! それとイラリア...愛するフィフィ様のために好きでもない、嫌いな男と... 泣きます
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