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020. 笑顔の理由、そして今度は妹と


「フィフィ姉さま?」

「なぁに、イラリア」


 屋敷に帰った私が、日常生活のやるべきことの諸々を終え、部屋でのんびりしていた頃。


 私の座っていたソファの隣に、イラリアがやってきた。


 ふたりとも子どもなので体は小さいとは言え、ひとりがけのソファにふたりで座るとやや窮屈だ。


 肩や太ももが触れ合って、彼女の生きている熱を感じる。空色の瞳が、私の曇った瞳を見上げた。


「なんか……なんか。姉さま、何かありました?」

「べつに、何もないわ」


 自分で思っていた以上に、冷たい声が出る。彼女がぴくりと小さく身を震わせた。あの図太いイラリアが、いまさら私に怯えたとでも言うのだろうか。


「目が、変ですよ」

「なによ、それ。失礼ね。私が変態だとでも言いたいの?」

「そうじゃなくて……私が一回目の最後に見た姉さまと、似てる目をしてる」

「……そう」


 彼女のその言葉に、うまい言葉を返せなかった。今の私は、かつて彼女を殺した私と、似た目をしているらしい。

 この言葉に、彼女には私に殺された時の記憶があるのだということを、あらためて思い知らされる。


 私が彼女を殺したことを忘れられないように、彼女の脳にも、あの血塗られた日のことが永遠にこびりついているのだろう。


「フィフィ姉さま。……大丈夫?」

「べつに、大丈夫だけれど」


 イラリアの小さな手が、私の手を温かく包み込む。かつて彼女を殺した手を、そしてまた人を殺さんとしている手を。


「姉さまが、自分の手を汚す必要はないんですよ」

「貴女に、何がわかるっていうの。貴女に人を殺したいと思ったことがあるかしら。人に何かを奪われ、殺したいほどに憎んだことが、貴女にはある?」

 

 愛していた母を亡くした。死んだ母の代わりに来た女に虐げられ、綺麗な肌を奪われた。その娘である女に、家での居場所を完全に奪われた。

 周りに愛される美しく優秀な彼女に、矜持をズタズタにされた。誠心誠意尽くしてきたつもりだった婚約者を、彼女に奪われた。

 気づいたときには、私には良いことなんて、なんにも残っていなかった。



 継母からの虐待で、ドレスに隠された部分は傷だらけの体。

 幼い頃から病弱で、婚約を破棄されてから、さらにやつれて痩せ細った貧相な体。


 大衆の面前で婚約を破棄された、性根の腐った極悪令嬢という不名誉な評判。

 義妹に嫉妬して犯罪まがいのいじめをした、言い逃れのできない罪と醜聞。


 堅苦しい勉強ばかりで、自由を知らず、狂気に侵され崩れた脳。

 目の前には、血を流す義妹。手の中には銀色の短剣。私が、やった。


 絹のようになめらかだった彼女の肌に傷をつけ、人からも神からも愛されし尊き体を刺した。


 剣の身が肉にめり込む感触。血の匂い。彼女の、笑顔。



「なぜ……貴女は、笑ったの?」

「――へえっ?」


 何か考え事をしていたのか黙っていた義妹に問いかけると、彼女は驚いたような声を出した。


 彼女を殺した時のことを、何度思い出してもわからない。


 なぜ、彼女は死の間際に笑ったのか。


「……一回目の貴女の最期の笑顔を、私はずっと忘れられない」

「あ、あのときのことですかぁ。あれはですね――」


 義妹はにこにこと話す。私の最悪の思い出を、さも何でもないことかのように。


 私が彼女を殺したことなど、気にしていないとでも言うように。


「――馬鹿だなぁって思って」

「……え?」


 どういうことかわからず、私は固まる。


 彼女は最期に、私のことを馬鹿だと思って死んだということだろうか。実際、義妹を殺した私は大馬鹿なのだけれど、彼女がそう思っていたとは考えてもみなかった。


「あ、姉さまのことじゃないですよー。私が、馬鹿だったって意味です」

「貴女は、いつでも賢い子だったじゃない」

「そうじゃなくて。……ちゃんと、素直になっていれば良かったなと思ったんです。私が、あの時からちゃんと想いを伝えていれば、姉さまは私を殺さなかったかもしれないのに。姉さまが、あんなふうに寂しそうな目をして、罪を抱えることもなかったのに。って」

「私は……寂しそうな目を、していたの?」

「はい。今も、あの時も」


 寂しそうな目をしていた、とは初めて言われた気がする。殺気でも憎悪でもなく、後悔でもなく、私が瞳に宿していたのは、寂しさだったのか。


 私は彼女を殺した時、寂しかったのだろうか。父を殺したいと思っている今も、寂しさを感じているのだろうか。


「私は、ニホンでオトメゲームをしていた時から〝オフィーリア〟のことが好きだったんです。だから、その気持ちに従って動いていれば良かった。ゲームのハッピーエンドを最優先にして、この世界が今の私の現実だってことが、わかってなかったんです。だから、二回も……姉さまのこと、死なせちゃった」

「主人公が男と恋をする物語を読みながら〝オフィーリア〟を好きになるなんて、貴女は変わり者ね」

「姉さまが人を殺すの、私はもう見たくないです」

「……そう」


 イラリアがそう言うなら、今日は殺さないでおこうかな。と思った。


 それに――私には、もうひとつ、やりたかったことがある。計画していたことがある。せめて、そちらを先に済ませてからでないと。ようやく()()を手に入れる目処が立ったところなのだから。


 私は彼女と他愛もない話をして、夜にはいつも通りにひとりで眠って、綺麗な手のままで朝を迎えた。




 彼女と当たり前のように会話ができたこの時に、しっかり尋ねておけば良かったと思うことが、ひとつある。


 ――貴女が好きなのは物語の〝オフィーリア〟で、私ではなかったのではないの? と。


 この世界で生きる私と出会う前から、彼女は〝オフィーリア〟が好きだった。


 彼女が私に向けていたと思っていた愛は、実は虚構の女に向けられたものだったかもしれない。


 そういう可能性があることに、彼女との距離ができてから気づいてしまった。


 ――貴女は、本当に私が好き?


 そんな面倒くさい恋人のようなことを手紙に書きそうになって、慌てて頭を振って思いとどまる。


 書いても彼女から返事は来ない。そう、わかっている。


「イラリア……」


 ことりとペンを置く。薔薇の香水を手首にひと吹きして匂いを嗅いで、彼女の名を呼ぶ。心は満たされない。


「イラリア。貴女に、会いたいわ」


 胸がモヤモヤして、手紙の続きを書ける気がしない。


 この下書き用の紙を、私はきっとまた何枚も消費するのだろう。


 彼女に伝えたくても伝えられない想いを、ぐちゃぐちゃに書き殴るのだろう。


 彼女とこんなにも会えなくなる日が来るなんて、思ってもみなかった。


 彼女が隣にいないまま、何度も季節を越えることになるなんて。


 イラリアに会いたい。手を繋いで、抱きしめ合って、それで――……


 目を瞑って、自分の唇に指先で触れる。


 指が触れたのは、ただの手慰みだ。目を瞑ったのは、窓から見える晴れ渡った空の青色が、いやに眩しかったから。


 ……ただ、それだけ。






 妃教育のためでもなく、バルトロメオに呼び出されたわけでもなく、私はとある計画のために王宮内の研究所にやってきた。父も昔、お世話になったという研究者がここにいる。

 どちらの前でも私は気づかないふりをしているけれど、母の死に関わる魔毒を作ったのがこの研究者。彼に依頼したのが父だった。

 こういう事情もあって、父は彼に従わざるを得ないらしい。それぞれの今の地位や罪の重さ、思想のことを考えれば、母を殺した罪が明るみになったとき、失うものが多いのは国王陛下の側近である父の方だ。研究者は死に興味津々で、処刑されるなら喜んで! という変わった生き方をしている。それゆえに成りたつ歪な力関係。


 幼女趣味でも有名なこの研究者が私を気に入ったことにして、私が研究所に行くための外出をできるよう、彼には父へ圧力をかけてもらっている。おかげさまで、今日も私はここに来られていた。


 私は手駒づくりの過程で、この研究者にも気に入られるように努めた。私が話したことは絶対に口外しないように、そして私に手を出さないようにという条件をつけて、彼の研究に助言した。一度目や二度目で見てきた、彼が未来に成功させる研究への近道となるようなことだ。


 時間移動をすると〝時間の逆説(タイムパラドックス)〟の問題が生じることがある。未来の研究に関することを過去の人に教えるという、私のとった言動は危険性を孕んだものだったが、それでも研究者に近づきたい理由があった。


「では――先日、お約束いただいた通りに。例の薬草を一房、いただけますか」

「ああ。ああ。もちろん。約束は反故にしないよ。ハイエレクタムのお嬢さん。貴女さまのおかげで、わしの研究は進んでいるからねぇ」


 けたけたと笑う研究者から、国内では王宮にしか生えない()()()な薬草を受け取る。私は薬草に問題がないことを確認し、清潔な布に包んで箱に入れると、淑女の礼をした。


「ありがとうございます。博士。これで、私の研究も前進するでしょう」

「いいってことよ。いいってことよ。まったく。お嬢さんの聡明さを公爵に伝えるな、だなんて酷な話だよ」

「そういう条件のもと、成立した取り引きですから。契約は守っていただきます。成人しましたら、ちゃんと発表しますから。この研究のことも」

「はっはっはっはっ、それまでに、他の研究者に先を越されないといいねぇ」

「そうですね。うふふふふふ」


 ――と、いつも通りに研究の話をして。帰り際には「博士におつかいを頼まれた」ということにしてもらい、今度は馬車で学院に向かった。移動している間に、鞄の中から薬液の小瓶とローブを取り出す。


 この小瓶は他の研究者から譲り受けたもので、一昔前に王立研究所で開発された、目の色を変えることができる目薬だ。レシピを完成させるまでの過程では、実験に参加した何人もの罪人たちの視力を奪ってきたという。この国において人体実験は、罪人に罪を償わせる手段のひとつだ。


 普段とかけ離れた色になるように選んだ、目の色を紅くする薬を目にさす。ちょっぴり痛かったが、これまで味わってきた数々の苦痛を思えば何でもない。色が変化していることを手鏡で確認し、ローブについたフードを頭に被る。こうして私は、迫害されていた時代の女の魔法使い、魔女のような姿になった。


 裏門付近で降ろしてもらい、久しぶりに学院へと足を踏み入れる。博士に書いてもらった書状を見せれば、警備の門もあっさり越えられた。


 ――先生は……大学院二年生の、ジェームズ・スターチス……先輩、は。どこにいるのかしら。


 この時から、先生は王立研究所と交流があったという。妹君を治したい一心で励み続けた彼は、もう立派な研究者だった。

 ハイエレクタム家やスターチス家と良くも悪くも関係のない、多少の会話をしても問題がなさそうな令嬢に私は声を掛けていき、彼の居場所を教えてもらった。


 先生は、見慣れた温室の中にいた。


 ――ああ。ジェームズ先生。……若いわ。


 当たり前の感想を抱いてしまい、くすりと笑う。今の彼は、二十歳になったばかりの頃。彼の妹君は、まだ生きている。


 ――うまくいくか、わからないけれど。ギリギリになってしまったけれど。〝時間の逆説(タイムパラドックス)〟の問題が起きるかもしれないけれど……。


 意を決して、私は若かりし頃の先生に声を掛けた。呼び方は――


「ジェームズ・スターチスくん!」

「はっ、はい! ……はい? だ、誰だ、誰ですか。あなたは」


 声に振り向き、ちょっとあたりを見回した後、先生は背の低い私の方に目を向けてくれた。学院内にこんな小娘がいるとは、思ってもいなかっただろう。


「私は、王立研究所からの遣いです。貴方に、折り入って話があります」

「王立研究所から? こんなに小さな女の子が……? ――ああ、あの幼女趣味爺さんのところのか。きみも大変だね。大丈夫? つらかったら、お兄さんが逃がしてあげよっか?」

「いえ、まあ。あの、大丈夫です」


 ――何かを誤解されている気がするけれど。〝きみ〟って呼び方は新鮮ね、なんて場合でもなくて……。


「どこか、ふたりきりになれる場所はありますか?」

「…………変な意味じゃないよな? あの爺さんが俺を陥れようとして、とかじゃないよな?」

「ですから! そもそも私と博士は変な関係でもないですし!! というか、そんなことはどうでもいいんです。――第三魔毒血症に関する話なんです」


 私が小声で付け足すと、先生の顔色が変わった。「ちょっと待ってね」とこれまた新鮮な語尾で言い、しばし考え込む仕草をして「……あの倉庫でもいい?」と。とある建物を指差した。


 あれは……あの倉庫は、見覚えがある。

 一度目の私が雇いの暴漢に義妹を襲わせようとした建物であり、二度目の私が王太子に差し向けられた男に襲われそうになった建物である。


「…………ジェームズくん。変なことしませんよね?」

「しねえよ」


 今の言い方は、とても、私の知る先生らしくって。私は思わず顔をほころばせた。

 彼は怪訝そうな顔をしながらも「行くよ。お嬢様」と私の手をとり、まるでエスコートをするかのように、あのおんぼろ倉庫へと向かう。


 私は倉庫に入ると、他の人が入ってこないように内側から鍵をかけた。先生はそわそわそわそわと、落ち着かない様子である。無理もない。早速、私は本題に入った。


「単刀直入に言いますと、私は未来を知っていて。未来の貴方が確立させる、第三魔毒血症の治療法を知っています」

「…………は?」


 先生は、ぽかん、という顔をして。「冗談はよせ」と片頬で笑って「嘘つくなよ」と泣きそうになって「ふざけないでくれ」と私を睨んだ。


「冗談でも、嘘でも、悪ふざけでもありません。本気です。私は、貴方の今の研究状況もわかっています。未来の書物で読んだから。諳んじてみせましょうか?」


 彼の答えを聞くより先に、私は彼の研究について語りはじめた。二度目の人生で知ったことを、そのまま、本を音読するように。


「――という段階で。ジェームズくんは、妹君を助けたくて焦っているでしょう。この先の話もしますと、貴方は来年の春頃に研究を大きく前進させますが……。ともかく私は、貴方とご家族の未来を変えるために、ここに来ました」

「そう……か。いや、まあ、きみが言った内容より、今の俺の研究は進んでいるが。でもまだ外に出していないはずの情報まで知っているってことは……まあ、未来の書物で読んだと言われた方が、納得できるな。ここまでの研究内容なんて、わざわざ俺から盗むようなもんでもねぇし」

「では、信じてくださるのですか?」

「ああ」


 思っていたよりもあっさりと受け入れられ、拍子抜けした。まだ若いから、先生の考え方も未来より柔軟なのかしら。もっと説明が必要だと踏んで準備してきていたので、ちょっぴり調子が狂う。


「そ、それで……えっと、私が来た目的ですね。今から書くので、絶対に失くさないように、そして他の人に見つからないように、気をつけてください。約束ですよ」


 私は鞄から筆記用具と紙を取り出し、前の人生で学んだ第三魔毒血症の治療法を書いていった。薬のレシピと、その使い方、注意点などを。

 完成した紙を渡すと、先生は目をまんまるにした。


「これは……」

「貴方が未来で確立させる治療法です。ここには、実際の治療に必要な研究結果だけをまとめています。そして、こちらが例の薬草。交渉の後、博士から頂いてきました。貴方に渡すことは伝えていないので、どうかご内密に」

「えっ。ああ、そう」

「これは、未来の貴方の成果ですから。信じてください。さっさと治療薬だけ作って、妹君を救ってください。その後で、様々な実験を重ねて、この治療薬を再び確立させてください。よろしいですね?」

「――ああ。わかった、よ」

「それでは、私はこれにて失礼いたします」


 王宮から持ってきた薬草も渡し、伝えるべきことを伝え終えると、私は淑女の礼をした。


「人目につきたくないので、帰りのエスコートは必要ありません。では、また、どこかで」

「……あのっ! きみは、あなたは。その……っ、誰か、は名乗れないんだよな。でも、なんで俺に……いや、なんでもない。――心より感謝します。お嬢様」


 いきなり現れた、こんな変な小娘を相手に。先生は忠誠を誓う騎士のような礼をした。

 二度目の世界では私を真面目だ真面目だと言っていた彼自身も、また真面目なひとなのだ。


 ――これくらいなら、言ってもいいかしら。まだこの世界では、あのあだ名は生まれていないから。バレないかしら。


「――〝ナズナ〟姫と呼ばれています」

「へ?」

「私のあだ名を異国語で言うと、こんな音の言葉なのだそうです。〝ナズナ〟って。妹から教えてもらいました」

「きみにも、妹がいるのか」

「ええ。可愛い妹が。かつて――そう、私が見た未来では、貴方は私に『妹と仲良く』と言ってくれて。そのうえ私を助けようとしてくれました。だから、私も貴方と、その妹を救いたかったのです。――では、本当に、これで」


 鍵を外し、扉を開けた。ビュオオと風が吹き、被っていたフードが脱がされる。朽葉色の髪が揺らめいた。

 ああ、せっかく変装していたのに……。まあ、瞳の色は違うから、いいか。


 私は最後に振り返って、


「お互い、今度は妹と一緒に生きられるように。頑張りましょう」


 そう言い残し、学院を後にした。


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[気になる点] 王太子のキモさと過去改編がどう繋がってくるのか…… というかあの恐ろしい「システム・ラーリィ」がなんなのか……
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