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愛しのアミちゃん

作者: 水綺はく

「突然ですが、みなさんに伝えたいことがあります…」

カシャッカシャッ。

シャッター音が耳の奥まで響く。

大型ショッピングモールの野外ステージの最前列にはカメラを持った無数の男たちが陣取っている。

その先のステージには若い女の子が十人以上ひしめく。みんな色違いの同じ衣装を着ていた。

赤のフリルか黄色いフリルか。ピンクのリボンかオレンジのリボンか。

それらに向かって常に誰かしらがシャッターを切っている。

シャッターを切る音は絶え間なく鳴り響く。

持ち運びが不自由な一眼レフカメラ。

僕のアミちゃんは赤のフリルにピンクのリボン。顔が小さくてメンバー最年長、二十四歳なのに童顔で十代のメンバーと並んでも全く違和感がない。

レンズ越しのアミちゃんは今日も綺麗だ。

今日のアミちゃんは肌のコンディションも抜群。いつも可愛いけれど今日は特に撮る甲斐がある。

「私、長嶺アミは今日のステージを最後に芸能活動を引退します。」

カシャッ

シャッターを切る指が止まる。

レンズ越しのアミちゃんが涙を流す。背中から本当に思っているのか分からないほど用意周到なヲタクたちの、えぇー‼︎‼︎という声が響いた。

僕は構えていたカメラをゆっくりと下ろす。最近はほとんどレンズ越しで眺めていたアミちゃんが視線の先で涙を拭っていた。カメラを離すとアミちゃんとの距離はレンズ越しよりも遠くてコンタクトを忘れた日には何も見えないくらいだ。

「今まで応援してくれて、ありがとう…」

憂いに沈んだ顔のアミちゃんは涙で声が掠れていた。その声がショッピングモール内ではしゃぐ子供たちの笑い声にかき消される。

僕はアミちゃんの顔を見たまま呆然と立ち尽くしていた。

せっかく最期であるアミちゃんのシャッターチャンスを掴むことが出来ずにカメラを握りしめたままアミちゃんを黙って見つめている。僕の隣では僕と同じアミちゃんファンの同担が最期だからとばかりに狂ったようにシャッターを切り続けていた。

「アミちゃんの卒業をみんなで祝おう!さあ、次がラストの曲だよ‼︎」

メンバーがアミちゃんの肩を抱きながら淡々と進行する。沈んだ空気の中にポップでアップテンポな曲が流れ出す。その途端、僕と同じ会場内のファンたちは一変して敏活に腕を振りながらエネルギッシュな掛け声をあげる。

曲が流れればそんなこと忘れて盛り上がろうとでも言うように。僕も今までそうしてきた。このグループの誰が卒業しても気にせずアミちゃんだけを見てシャッターを切っていた。他のメンバーにも多少の愛着はあったけれど他メンバーの卒業は僕にとって他人事に思えた。

それが今、崩れる。僕の前に降りかかる。

アミちゃんがいなくなる。突然。

明日からアミちゃんは消える。

僕はもう二度とアミちゃんを見れない。

涙が乾いてみんなと一緒に踊って飛び跳ねるアミちゃんはいつも通り美しくて、これが最期とは思えなかった。

さっきまでの涙は幻だったのではないかと思うほどいつもと変わらない音楽、踊り、衣装、声援。

最後の挨拶もいつもと変わらず、みんなに手を振って舞台袖に消えるアミちゃんもいつもよりも少し時間が長かっただけで大して変わりなかった。

アイドルたちが消えた客席は淡々としている。さっきまでの情熱的なコールが嘘かのように熱が冷めた空気。各々が荷物を持って迅速にショッピングモール内を抜けていく。その素早さは暇つぶしに足を止めていた通りすがりを圧倒する。

興味の対象が消えた瞬間の切り替えの早さ。他のものには目を向けずに退散する。

僕はその中でいつも通りカメラを仕舞って立ち去ることが出来ずに佇んでいる。

アミちゃんがいなくなるなんて、もう歌って踊らないなんて、二度と衣装を着た姿がカメラに収まらないなんて、そんなの信じられない。

そんなの嘘だ‼︎‼︎


「会社員だってよ。」

「ああ、そんなの知ってるよ。○○だろ?超大手のIT企業じゃねぇか。そんなん敵わねえよ。」

「いや、別に俺らは競ってるわけじゃねえんだよ。アミちゃんと結婚したい訳じゃない。だから良いんだよ。」

「そうだよ、ただアミちゃんの引退が悲しいだけさ。俺たちはアイドルのアミちゃんを愛していたわけだから、これは失恋じゃない。」

二十五歳の男、四人。

カメラやグッズの入ったそこそこ大きな荷物が荷物入れのカゴに押し込められている。希望していたわけでもないのにそれぞれの顔がよく見える丸いテーブルに案内されて座っていた。

「お待たせいたしました、ご主人様♡メイドちゃん特製オムライスです。」

黒髪ボブヘアのメイド服を着た女の子がオムライスにケチャップをかけるための歌を儀式のように唄う。

歌なのか呪文なのか分からないメイドさんの短いフレーズを耳に入れながら、この子はアミちゃんと同じ髪型だなとぼんやり感じていた。

アミちゃんよりも可愛い子は世の中にいっぱいいる。アミちゃんよりも歌が上手い子も踊れる子も目立つ子も他に沢山いるだろう。

でも僕はアミちゃんが一番良かった。

誰がなんと言おうと僕の推しはアミちゃんだった。

「お前、さっきから一言も喋ってないな…そんなに気を落とすなよ。」

憂鬱な顔で仲間が頼んだオムライスを眺めていたら、それを口に運ぶ仲間が心配そうに僕を見ながらオムライスを咀嚼した。ハートのオムライスは一瞬で半分以上を崩されてブロークンオムライスとなった。

「これから…どうする?」

アミちゃんの引退は僕たちにとって高校の進路選択と同じくらいにこの先の生活を変える。

これまでずっとアミちゃんの活動を追うことだけを唯一の趣味で楽しみとして生きてきた。

それが急に消えてしまった。

次をどうすればいいのか僕には分からない。

「俺はとりあえず別グループの子、追うかな。」

「ああ、○○○のマユカちゃんね。俺は明日から溜めていた仕事を片付ける。この先はそれから考えようかな。」

「俺はまたアニメに戻ろうかな。アニメキャラなら引退とかないしさ、ビジュアルもいつまでも変わらないし。」

僕以外のみんなはアミちゃんの引退を冷静に処理して淡々とこの先について考えている。

それなのに僕はこの先についてまだ何も考えられていない。

「応援ありがとうございます♪」

大学一年生の時に初めてアミちゃんと握手した。

アミちゃんは僕の手汗を含んだ掌を嫌な顔一つせず握りしめて笑った。その瞬間、この子に無償の愛を捧げたいと思った。

歌って踊るアミちゃんをカメラに収めてSNSに美しいアミちゃんを彩る。

ライブに足を運んで地道に続けていくうちにフォロワーが増えて、仲間が出来て、アミちゃんにも認識してもらえるようになった。

今まで勉強しかやることがなくて冴えなくてモテない僕の生活がアミちゃんのお陰で一変した。

好きな子を撮っているだけで沢山の人々に崇められて好きな子本人に認知される。

そんな日々を送れるためなら給料のほとんどをアミちゃんに費やすのは痛手ではなかった。

アミちゃんは今まで否定されてきた僕に自信を与えてくれる存在だった。

アミちゃんのおかげでほとんどの承認欲求が満たされた。

僕の生きる希望だったアミちゃん。

今まで沢山、夢を見させてくれた。

「卒業するの?ヲタク活動。」

仲間が僕を見る。

僕は喉が詰まって上手く言葉が出ない。

「わ、分からない。」

詰まりながらようやく言葉を出せた。

仲間が興味なさげに、ふーん。と返す。

それからみんなでメイド喫茶を出ると、いつものように駅前で解散した。

電車に乗って一人暮らししているワンルームのアパートへと帰る。

玄関先で鍵を出すのにもたついていると着信音が鳴った。慌ててポケットからスマホを出して電話に出る。

「あ、もしもし。母さん悪いけどもうちょっと待ってて…今、家に着いたばかりで…」

鞄の底に手を突っ込んで鍵を探す。

その間に母親は容赦なく喋り倒す。

「ああ、野菜…わかった……明日には届くんだ、ありがとう。…え?元気だよ。そのうち顔出すよ。……うん、うん、ごめん。」

母からの電話が終わる頃になってようやく家の鍵が鞄ではなくデニムの後ろポケットから見つかった。

そのまま慣れた手つきで鍵を開けてドアを開くと真っ暗な部屋が見える。

スイッチを押す。

パチンッと音が鳴ると視界が明るくなって見慣れた景色が広がる。

灯をつけた瞬間、いつも僕の目を奪うのは壁に貼ったアミちゃんの特大ポスターだった。

それを見るたびに自信と喜びが湧いた。

だけど今はそれを見ると視界が霞む。

慌てて壁に貼られたアミちゃんから目を離して溜息を漏らした。

お風呂に入らなければならないのにそんな気分になれなかった。

家に着いた僕は脱力してベッドに倒れ込んだ。それから枕に顔を埋めて静かに、ゆっくりと、涙で枕を濡らしてそのまま死んだように眠りに就いた。


 朝を知らせる小鳥の鳴き声が聞こえた。

枕から顔を離して起き上がる。

カーテンを勢いよく開けると朝日がキラキラと僕を照らした。

眩しい。目を細めてカーテンを開け放したままバスルームに入った。昨日の汗と涙をシャワーで洗い流す。

シャワーを終えて歯を磨くと何だか全てがリセットされたような気になった。

一日ぶりにパソコンを開くと仕事の依頼メールが何件か来ていた。

アミちゃんの活動を追うことを最優先にするために選んだフリーの仕事。

アミちゃんが僕の前からいなくなっても僕は仕事をしなければならないし、ご飯を食べて眠って、母からの電話に出て、姉からの旦那の愚痴メールを返さなければならない。

アミちゃんがいなくなっても僕が生きている限り、僕の世界は終わらない。

「いつか、また出来るのかな。僕の生きがい。」

頭を掻きながら眠気覚ましにインスタントコーヒーを淹れた。



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