暇つぶし論理の教育のお話
ちょっと前に論理の話を書きまして、今回は問題設定を含めた論理のお話です。
前回は、=が論理の最も基礎的な部分で、=を学ぶために、近しい簡単な物から、抽象度を上げて=で結びましょうという話をしました。
例えば
木と林、抽象度を上げて両者を=で結びなさい。
という問題です。
最低限の抽象化で、木と林を=で結ぶ時に、外に出て来る要素は「木の数」となります。
木の数を無くせば、木と林は=で結べるようになるのです。
つまり
木-木の数=林-木の数
ですが、元から木という概念に木の数が含まれてませんので
木=林-木の数 となり
木=木
で両者は=で結ばれました。
そして、林の本質、木とは違う要素は、木の数であるという事が解りました。
これで=で結んだ時に、外に出ていく要素が重要なんだよという話は、みなさん解ったでしょうか?
では、森はどうでしょうか?
答えはあえて書きませんので、自分で考えてみて下さい。
論理を身につける時に、まずは、身近な物に置き換えて、抽象度の訓練を重ねてみてはどうか、という話ですね。
では、少し難しくしましょう。
木を、ブナの木に置き換えてみます。
ブナの木は、どんぐりの実る木です。
ブナの木と林を、抽象度を上げて、=で結びなさい。
出来る方は居るでしょうか?
というのも林というのは、ブナの木が無くても、林になりえます。
両者は一見繫がっているようで、離す事も出来るのです。
最低限の抽象化で=を結ぶには、両者から「木の種類」と「木の数」を取っ払います。
ブナの木-木の種類=林-木の数
木=木となり
両者が=で結ばれましたね。
両辺から取っ払った要素、木の種類から、林は木の種類を限定しない、してはならない、という本質が解りました。
さて、このように、=を利用した身近な物との比較を繰り返す事によって、林という定義や知見は固まっていきますが、日常で論理を使用する際には、更にここに足し算と引き算を加えます。
とある林と、とある林を足して2つの林としても問題ないか?
その林を足す目的によっては、問題の出る場合があります。
先ほど外に出した、木の種類や、木の数、といった要素が林の概念の中では、ばらけているのです。
それらを揃えずに、両者を同一の物として、足してもいいのだろうか、といった計算の前にする論理の問題です。
林に足し算を適用する時には、林の要素を深く知ろうとし、このような論理を働かせます。
今回使ったのは、林を小さくした要素である木と、林を構成する要素である木の種類でした。
論理を使えば、普段、目には見えていない物が見えて来るはずです。
次の問題を解いてみて下さい。
お父さんとお母さん。
両者を抽象度を上げて=で結びなさい。
これは設問自体に問題がありますが、=から子供が出て来るようになっています。
その子供があなたの場合、正し設問は、あなたのお父さんとあなたのお母さん、両者を抽象度を上げて=で結びなさい、となります。
設問の中に、元は無かった、あなたが出現しましたね。
お父さんとお母さんという両概念には、あなたは深く関わっていることになります。
人によっては、概念の観察、分析である論理を面白いと思うかもしれません。
一方で、日常よく使う論理というのは、普段するような計算の前に出て来る問題です。
抽象度を上げる事によって、足し算引き算の出来るように、対象の規格を自分自身で決めます。
例えば、目の前にある梨は足せるのか?
仮に足すなら、梨をどのような規格で足すのかといった問題です。
前回私は、地球とミカン(だったっけ?)も足すこと自体は出来ると、後書きに残しました。
それは、論理による共通の規格化自体は、抽象化の仮定において、あらゆる物が可能だからです。
論理によって、抽象化し、それまで計算出来なかった物が計算出来るようになります。
現代は、規格化された商品の多い世界ですから、わざわざ論理を働かせる人は少ないのかもしれません。
ここで問題になるのが、多くの人が計算に対しては、検算の手段を持っているが、論理に対しては、検算方法を知らないという事です。
では、論理の検算方法とは何でしょうか?
それが、今やった等値で結んでみる事と、帰納法と対偶です。
帰納法は並列化による検算で、対偶は、光を照らして実際に影が出来るかという検算方法と言えます。
先ほどの、木と林の問題に照らし合わせると
林から数という概念を抜いても、林であり続けるケースは一つでも存在するか?
林に特定の木の種類を足した場合に、林として扱って良いケースは一つでも存在するか?
これが帰納法となります。
得られた結論を否定する例が、仮に一つでも存在したのなら、その結論は絶対的に偽物である、という論理が帰納法です。
前者は問題ありませんが、後者に引っかかる方は居るように思います。
木の種類を特定にした林もまた林である、故に、得られた命題、林という概念は木の種類を特定してはならないは、偽である、という論理展開が出来ますね。
では、木の種類を特定した林と、林を論理式で=を結んでみましょう。
そのままでは、=で結べずに、やはり抽象化しなければなりません。
両者を=で結ぶ時に出て来る要素は、やはり木の種類となります。
林と、木の種類を特定した林は、論理上は完全に別の物なのです。
ですので、当然違う概念として扱います。
林という概念は、種類を特定しない、純粋な林という定義で、扱い続けなければならないという事になりました。
特定の種類に限定した場合は、林ではなく、特定の種類に限定した林となります。
=で結ぶ技術がなければ、全く違う物を、似ているだけで違う物だという理解は出来ないのだという、好例となりましたね。
では、対偶です。
木と林の問題に照らし合わせると
得られた命題は
林から数の概念を抜けば木となる
ですから、ひっくり返して
木に数の概念を足せば林になる、これが対偶となります。
この対偶は正しいでしょうか?
もう一つが、林という概念からは、木の種類を抜かなければならない。
対偶にするには、ひっくり返して
木の種類を入れたなら、それは林という概念ではない。
この対偶は正しいでしょうか?
これは、後者は合っていますが、前者が、帰納法に引っかかります。
木に数の概念を足すと、林だけでなく、森であるケースが存在するからです。
では、森の概念について、先ほど皆さんは考えましたね?
では、真となる命題がなんになるのか、当てはめて考えてみましょう。
このように、規模を大きくしたり、近しい要素を足してみたりすると、対象とした概念の理解が深まります。
多少難しくすると、国家と街を=で結びなさい、だとか。
国家と、近代国家を=で結びなさい、だとかですね。
この二つの設問は、既存の学問からすれば、両者の違いを述べよ、に留まる問題ですが、抽象度を介すると解析の可能な要素は一気に増え、理解の範囲は遙かに拡がります。
最低限の抽象化を念頭にすれば、全てを網羅し、理解しろ、という設問に置き換わるからです。
この応用がロジックツリーなのです。
昨今ビジネスで使用される論理的思考と名付けられた応用部分だけを運用するのと、=を使いこなすのとには、決定的な違いがあるのに気付けた方は居るでしょうか?
その違いは論理に対して、常に帰納法や等値、対偶という検算を優遇し続けるというルールです。
このような訓練を学問の場で繰り返せば、自ずと論理的思考は身につき、やがて論理的思考の延長となるアナロジーに辿り着くでしょう。
それらは、計算となる数字の前にすべき計算なのです。
もう少しテクニックはあるけれども、初歩はこれでいいんじゃない? といったお話です。