18.決意馳せる夜
秦達とY.C.T.Fと接触する一時間前。
前哨基地と化したレイブンの別荘の指揮官室にレイブンとバッケンはいた。
元はこの洋館の主が客室用に立てた別館の夫婦部屋だが、全ての家具を取っ払い、モニターやスーパーコンピューターなどを設置し、幾何学模様の壁にたくさんの配線が乱雑に並べられていた。
レイブンは書斎から運んできた豪華なエクゼクティブデスクに、これまた豪華なチェアに腰掛け、バッケンはそのデスクの上に尻を乗せていた。
「それで、これからどうするんだ? お前、あの小娘の言われるがままにするってぇのか?」
バッケンは顎に蓄えた髭をいじりながらいう。
「まさか。当然だが、今は猶予を与えてやっているのですよ。ここで間抜けを演じているのは、正しい選択です」
「俺には、あの小娘が600億を知っているようには思えん。さっさと縛り上げて吐かせたらどうだ?」
言い終わると机の上に置かれていたウイスキーボトルを掴み、口元に運ぶ。
「その時はきちんとお願いしますよ、中佐殿」
レイブンが言うなり、バッケンは口元から少し溢れたウイスキーを手で拭う。
「その呼び方はよせ。これからはもうそんな肩書もなくなる。お前が金を手に出来たらな」
バッケンが腹を立てるのには訳がある。
今まで15年間程、彼は『メッサーボルフ』で傭兵稼業をしてきた。
だが、多くの仲間が死に、自らも負傷する場面も多かったが、それでも組織のトップは目先の利益ばかりを気に掛けていた。
傷病手当と死んだ仲間のドッグタグが増えていったバッケンは、遂に戦争犯罪に走った。奪った貴金属、麻薬、女子供。それらを売りさばき、人を集め、武器を集めた。レイブンは独自の軍隊を作り上げようと画作し始めたのだ。
だがバッケンの野望にはまだまだ資金も人も足りない。そこにレイブンが話を持ち掛けてきた。
バッケンの目的は自らの軍隊を作ることだ。最強の傭兵組織を作る。それだけだ。
「ともかく、お前の話に乗ったのは金ありきだからだ。金を手に入れる為だったら、あの小娘をズタズタに切り裂いてもいい」
「バッケン司令官。それはビジネス的な会話ではない。この際だから言うが、私は彼女が別に600億の隠し財産の在り処を知らなくても、問題はないんだ」
レイブンは両肘を机に着き、顔の正面で指を交差させながらいう。
「人質にするつもりか?」
「言い方が悪いですな。トレードマーケティングですよ、ただの」
ニヤリと笑うレイブンにバッケンがへッと鼻で笑い飛ばす。
「よく言うぜ。人の部下を使っておいて拉致しておいて。お前は取り繕っているが、俺達と同じ鬼畜生だ」
フフ、とレイブンは含み笑いを浮かべる。
「そう言われても過言ではありませんなぁ。なぜなら、ビジネスに汚れはつきものですから」
レイブンの嫌味ったらしい笑みにバッケンは反吐が出そうだった。
バッケンはこのような男を好まない。今いる組織のトップと同じ連中の匂いがする。自分の利益の為に、他者を平気で突き落とす男。
こいつ自身は信用できないが、こいつが生み出そうとする金だけ信用できる。
バッケンはこの仕事を終えたら、レイブンと手を切るか殺害するかを考え始めるのであった。
― ― ― ― ―
一方で瑠璃たちは、同じ別館の客室を改装した牢屋に入れられていた。
牢屋と言っても、客室の窓に鉄格子をハメ、扉の鍵のつまみを取られたものだ。それ以外の内装はあまり手を付けられておらず、当時の豪華な作りのままだ。
寝室とドアを繋ぐ通路の途中には洗面所とバスユニットがあり、洗面所の隣にはトイレも完備されている。
だが部屋の明かりは付かず、窓から差し込む月明りだけが頼りだった。
瑠璃と美咲は二人で寝るにはちょうどいいセミダブルベッドに横になり、埃臭い毛布を二人で被って横になった。
毛布に包まり、隣で横になっている瑠璃を見つめる美咲。
「お姉ちゃん。私達、これからどうなるのかな?」
今にも泣き出しそうな美咲を見つめ、瑠璃は首を横に振る。
「わからない。でも、今は待とう?」
瑠璃は信じていた。きっと二人は助けに来てくれる。確実な保証はないが、なぜかそう信じ切っていた。
「お姉ちゃん。さっきの話だけど……」
美咲が言い掛けた時、瑠璃は口元に指を当てた。それはどこかに盗聴器があるかもしれないと思ったからだ。
瑠璃は毛布の中に潜り、美咲に促す。美咲も続くように布団の中に潜った。
「さっき言ってたお金の話、ホントなの?」
声を殺し、耳元で囁く。瑠璃はまた首を振って、頷く。
「ごめんね。ホントは何も知らないんだ」
美咲は思わず目を大きく開き、声を荒げそうになるのを堪えた。
「それじゃあ、嘘ついたの?」
瑠璃は黙って頷く。
「不味くない? バレたら、きっと殺されるよ」
埃臭さにむせ返りそうだったが、美咲は堪えていう。
「……きっと、知っていても、教えたら殺されると思う。だから、ここは時間を稼ぐの。きっとあの二人が助けに来てくれるから」
「あの二人って…?」
そう切り出した美咲は、すぐに秦と慶太の顔が思い浮かんだ。それと同時に蘇ってくるのは拉致される前のあの事故だ。
「慶太……無事だったのかな?」
「大丈夫だよ、きっと……」
正直、瑠璃も不安だった。こんな状況だけども、無理をしていなければいいと瑠璃は願う。
内緒話も終わり、瑠璃と美咲は毛布から頭を出し、いくらか新鮮な空気を吸う。
また月明りが差す部屋の天井を見つめだす。
しばらく黙って見つめていると、唐突に美咲が口を開く。
「そういえばさ」
瑠璃は顔だけを美咲に向ける。美咲もそれに気付き、顔を突き合わす。
「こうして、二人で一緒に寝るのは久しぶりだね」
そんな美咲の言葉はどこか可笑しかった。思わずクスリ笑みを浮かべる瑠璃。
「そうだね。いつぶりだろうね」
「多分一昨年ぐらいじゃない?ほら、テレビでやってたあのお化けの映画の……」
「美咲が怖くて、一人でトイレも行けなくなったやつ?」
瑠璃は更にクスクスと笑う。何故だろう? こんな状況なのに、思い出すと笑みが溢れてしまう。
「違うっ! あれは……」
小さく声を荒げる美咲。すぐに頬を赤くし、恥ずかしさに毛布を口元まで隠す。
「『あれは』、なに? なんだったの?」
「なんでもないっ!」
美咲はそっぽを向いて瑠璃とは反対側に寝返りを打つ。しばらく瑠璃はクスクスと笑ったが、やがて笑みは静寂に消えていく。
少しの沈黙の後、また美咲が呟く。
「無事に戻れたら、またみんなで一緒に寝たいな」
美咲の脳裏には数年前の情景が浮かんでいた。
当時、健太がまだ来たばかりの頃で、瑠璃より年上の子は自室で寝ていたが、美咲と健太はどうしても一人で寝るのに抵抗があった。
そこで瑠璃の提案で、三人でリビングで寝ることにした。
布団を並べて敷き、川の字になって横になる。
寝付くまでに皆が思い思いに楽しく話した。内容はとてもくだらないことばかり。でも、それが美咲にとってはすっごく楽しかった。
やがて美咲も思春期に入り、自らの部屋で寝るようにしたいと思い、少し寂しげな健太を言いくるめて自室で寝るようになった。
今まではそれが普通だったのに、なぜか今ではあの日々が恋しい。
「そうだね。帰ったら、そうしよう」
瑠璃が優しく呟く。
美咲の背中を見る。きっと隠れて泣いているのだろう。
後ろからそっと抱きしめる。美咲はさらに身を縮ませ、肩を震わせる。
(帰ろう。絶対)
瑠璃は決意する。帰って、あの日のように皆で仲睦まじく川の字になって寝よう。子供じみた発想だけど、そう思うだけで希望が湧く。
そして、今度は五人で。