12.動き出す者たち
「しかし、みんなひどいぜ。俺だけ除け者にしようなんて。わざわざ飛行機まで用意してるのに、俺にだけ何の話もしなくってさ」
そう秦が不貞腐れると、「いいえ」と裕子が告げる。
「会社側から通告が来ているのは本当です。ですが、私から英造様に取り合い、期限を延ばすようにお願いしました」
裕子の意外な言葉に秦が少し驚いた。てっきり、上の人間に従うロボットのような人間だとばかり思っていた。
思わず慶太を見る。
「慶太はその事を知ってたか?」
「いや、飛行機に乗るまで知らなかった。場合によってはこの機をハイジャックするつもりだったからな」
冗談なのか本気なのか、慶太のいう事はわからない。恐らく後者だろう。裕子も慶太を一瞬だけ一瞥するぐらいだ。裕子が気を取り直して続ける。
「それと今回にあたり、英造様からヤダナギコーポレーションの私設部隊を動かしたと聞いております。彼らにも十分にご注意ください」
「私設部隊って…」
「私達の企業にも民間軍事(PM)部門があります。今回動員されたのは英造様が独自に抱えている特務部隊です。その部隊は一部の幹部と英造様のみに従う部隊なようで、私でも把握はしておりません」
そういえば、以前のヤダナギコーポレーションの資料を読んだ時に記載されていたのを思い出した。
会社が抱える私設軍隊。映画やニュースでは聞いた事あるが、実際はどんなものなのだろう?秦は考えるも、想像が及ばない。
思考を巡らせていると裕子が席を離れ、通路を挟んだ座席の向こうから二つのアタッシュケースを持ってくる。
「こちらをお渡しせねばなりません」
二人の前に差し出す。二人は受け取って中を開く。
中を開けると顔写真付きのパスポートや身分証明書、マレーシアの通貨や紙幣。そして新しい携帯端末。端末は以前に見たことがある衛星電話にそっくりだった。秦はまず自分の顔写真が張られたパスポートを掴みあげ、珍しそうに見遣る。
「はっきりと申し上げます。それは偽造パスポートです。この際ですから、緊急で用意させました」
さすがは大手企業といいたい所だ。偽造パスポートなどテレビでしか見た事がない。パスポートの写真は卒業前に履歴書用に取られたものが使用されている。
「あなた達は二週間ほどの留学生という事になっておりますのであしからず。なお万が一もありますので、お金は多めに用意しておきました」
それと、付け加える。
「こちらは勝手に開けさせて貰いましたが、秦様のお荷物から取り出したものです」
裕子が先ほどのアタッシュケースとは別に、一回り小さいケースを秦に手渡す。
受取って中を開けると、その中にはR8とボディガード.380が入っていた。
数秒程ケースの中を見つめていると、機内のスピーカーがブンと音が鳴らされる。
「もうすぐマレーシア・マーマッド空港に入ります」
裕子が窓の外に目をやる。つられて目をやるが、雲の切れ間から海が広がっているだけであった。だが、この飛行機はすでにマレーシアの領空に入っているようだ。
「私は後の処理があるので同行は出来ません。最後にですが、お嬢様をお願いしてもよろしいでしょうか?」
裕子が二人を交互に見つめる。
秦と慶太は裕子を見つめ、ほぼ同時に力強く頷いた。
― ― ― ― ―
秦と慶太が寮を去る数時間前の事。
アメリカ・オレゴン州 某所
夕暮れに染まる頃、そこはヤダナギコーポレーションが所有する広大な敷地に建てられた訓練施設である。
敷地の中には訓練施設が設けられ、その他にも大きな倉庫や格納庫が存在する。
並ぶ格納庫の中に、常に明かりが灯っている格納庫がある。格納庫の入り口にはキーカードを読み取る機械があり、社員の中でも特定の人間しか持っていないキーカードでしか入れない。
作業用の繋ぎの上半身だけをはだけ、タンクトップから細く引き締まった一人の社員がその倉庫に走る。彼は社員でありながら、いざという時は現場に出る時は迷彩服にコンバットベストに身を包む兵士でもある。
彼は素早く読み取り装置にカードを差し込み、ドアを解錠する。
ドアの向こうでは迷彩服に身を包んだ社員たちが装甲車や銃器のメンテナンスに勤しんでいる。彼はそんな社員たちを縫うように進み、奥にある会議用に設けられたテーブルの島へ向かう。
テーブルには数名の幹部級の社員が話し込んでいる。彼はそれを見つけると、そこへ走り込む。
「隊長、緊急連絡です」
彼がひとりの社員に声を掛ける。まだ若く、会社の作業着ともいえるジャンパーを羽織った女性のその隊長は彼に向き直る。ここは軍隊ではない。気難しい敬礼や挨拶などは省ける。
「どうした?」
「CEOからの伝達です。コード02、特殊案件、マレーシア。こちらが書類です」
彼らにしかわからない単語を告げ、手に持っていた書類の束を渡す。隊長が受け取ると、すぐさま書類をめくる。
しばらく書類に目を通した後、彼に向き直る。
「わかった。すぐに準備しよう。マルコフ社員、すぐにAチームに召集をかけろ」
マルコフと呼ばれた彼はすぐに敬礼をし、「ハッ」と応える。が、すぐに気づき、敬礼した手を下げる。彼が以前にいたロシア軍の習慣のせいだ。
隊長はその事を咎めず、踵を返して先ほど話していた幹部級の社員に話をする。彼らもまた、現場に出れば兵士なのだ。
隊長の指示で彼らもすぐにテーブルを離れ、自分の装備を取りに行く。彼らを見送った後、隊長は簡易テーブルに腰を掛け、再度書類をめくる。
その中の保護対象である瑠璃の写真に目をやる。じっと眺めた後、気を取り直したように書類を綴じ、自らも準備のためにテーブルから降りて、歩き出す。
歩く彼女のジャンパーの背には『Y.C.T.F』と刺繍されている。それは、彼女たちが所属するPM部門の名称である。