11.目覚めた飛行機の中で
慶太と秦の二人が空港に到着した頃、さくらえんの寮には日下部が尋ねていた。
「ほう。帰国ですか?」
応対に出た健太に告げられた言葉に関心するように頷く。
「それで、彼らはもう戻らないと告げたのですか?」
日下部が鋭い眼光を健太に向ける。健太は少し委縮しながらも首を横に振った。
「わかりません。……ですが、もう戻って来れないのかと、思います」
「そうですか…」
日下部は遠くを見つめるように考え込む。しばらく考え込んだ後、「わかりました」と告げる。
「失礼ですが、君はどうしてここに?」
健太は少し俯いく。しばらく逡巡し、日下部の顔を見る。
「その……。学校には行く気になれなくて……」
日下部は「うーん」と唸る。
「心中察しますが、あまり家に閉じこもっていてもよくありません。あなた一人というのは危険ですから」
「はい……」
「私はこれで失礼しますが、施錠などはしっかりしてください」
そう告げると日下部はそのまま門の前に停車した車へと乗り込む。健太は玄関に入らず、そのまま日下部が去るまでじっと見送る。
エンジンを掛け、日下部は車を出す。さくらえんの寮の前を過ぎてからも、ルームミラー越しに見送る健太を見続ける。
角を曲がって健太の姿が見えなくなると、車を大通りまで走らせる。大通りで桜陽島に唯一あるコンビニに入り、駐車場に車を停めるとケータイを取り出し、慣れた手つきで操作し、電話を掛ける。
ケータイを耳に当てながら、助手席にある自分の鞄を漁る。その中にあるA4サイズのバインダーを掴み、開く。
A4バインダーの中には秦、慶太、裕子、瑠璃のそれぞれの写真が挟まっていた。
日下部は相手が受話するまでの間、三人の写真を見つめていた。
― ― ― ― ―
意識がゆっくりと蘇る。
重い瞼を開き、霞む視界が晴れると白い天井に小さな照明が見える。
どれくらいの時間が経っているのだろう?窓から差し込む太陽の光の強さから、午前中ではないと確信する。
周囲を見回し、すぐ隣にあった窓に目をやる。窓の真下に広がる雲の島々から、自分が飛行機の中にいる事を理解した。どうやら慶太に伸された後、この座席に座らされたようだ。すぐに身体を起こそうとする。
だが、身体が起き上がれない。手元を見ると、自分の手が椅子のひじ掛けと手錠と繋がっている。
寝惚け眼のまま繋がった手をジャラジャラと動かしているとコクピッドから無線のやりとりが聞こえる。
「こちらYC-03。マレーシア管制塔、どうぞ」
働かない頭でもその違和感は掴めた。マレーシア?思わず耳を疑った。
動かす手を止め、コクピッドからの無線機のやりとりに集中する。僅かに聞こえる声に耳を傾けている。やはり、この飛行機はマレーシアに向かっているようだ。
秦が起きた事に気付いたのか、秦の前に裕子と慶太が現れる。
「気が付かれましたか、波喜名様」
現れた裕子に怪訝な顔を向ける秦。
「俺達は、どこへ向かってるんだ?クビになったんじゃないのか?」
裕子はかぶりを振る。
「いいえ、あなた達の雇い主は英造様であり、会社ではありません。会社側がクビになどできません」
なるほどな、と思い頷く。
「しかし、なぜマレーシアなんだ?」
「それは横山様からお願いします」
慶太が手錠の鍵を取り出し、秦の手錠を解放する。そして座席の横に置いてあったA3の資料を自由になった秦の両手の上にポンと置く。
「昨日の夜、俺の知り合いに連絡したんだ。それで洗いざらい調べ、レイブンがマレーシアに向かったことがわかった。その資料を見ろ」
怪訝な表情を浮かべながらもA3の資料をパラパラとめくる。3枚目の所、カラープリントで写された見知った顔がいた。思わず男に指をさす。
「こいつだ。レイブンと名乗っていた男だ」
「そいつの名前はフランク・ホワイト。かつてヤダナギコーポレーションに勤めていた男だ。現在ではフリーの会計士をしているが、裏ではマネーロンダリングの手伝いなんかもやっている」
慶太が手を伸ばし、資料を数枚ほどめくる。そこには顎髭を生やし、ペレー帽を被って迷彩服に身を包んだ初老の男が写しだされている。いかつい顔つきの男で、とても子供にキャンディーを上げるような性格ではないだろうなと秦は思う。
「レイブンが一か月前に一緒にいたのが、このバッケン・フェーラー。民間傭兵部隊『メッサーボルフ』の部隊指揮官だ」
『メッサーボルフ』とはロシア語だろう。ナイフオオカミ?詳しい訳はわからない。資料から目を離し、慶太を見上げる。
「ロシア系か?」
「組織自体はな。だが、このバッケンの引きている部隊は独自の動きをしているようだ。最後に活動が見られたのは去年の春で南スーダンだ。現地住民の証言では民間人への発砲、略奪行為、レイプも報告されている。所謂、戦争犯罪ばかりやっているならず者どもだ。組織の中でも目の上のたんこぶのような部隊だ」
資料に目を落とし、また一枚をめくる。そこにはバッケンとレイブンが野外で立ち話をしている様子を斜め上から盗撮された写真が貼られ、その横には数台のトラックが少し遠くに見えるこじゃれた別荘に向かっていく写真が貼られている。
「バッケンの部隊はおおよそ50~60人ほど。二人が撮影された同時期、このバッケンの部隊がマレーシアにあるレイブンの別荘に入って行くのが目撃されている。現地の人間からの情報だと、どうやら奴の別荘を基地化しているらしく、近隣住民も近寄っていないそうだ」
さらに資料をめくる。そこには望遠レンズを使って盗撮したであろう写真がいくつも張られていた。別荘の周囲に有刺鉄線付きのフェンスを設置したり、木材で作った簡素な物見やぐらなどが映っている。中には傭兵たちに指示を飛ばしてるであろうバッケンの姿もあった。
一通り目を通した秦は再度慶太を見上げる。
「しかし、そんな情報をどうやって?」
「……そこは詮索するな。あくまで、知り合いに調べて貰っただけだ」
ふーん、と秦は背もたれに身を預け、少し天井に視線を移す。しばらく思考を巡らせた後、また慶太に目を向ける。
「そこまで調べておいて、今になるまで俺には何の情報もくれなかったのかい」
「そこはすまないと思っている。どこで誰が見ているか分からなかったからな」
秦は何も告げられなかった事に心外なようで、両足を大きく広げってふんぞり返った。
「それで、俺は馬鹿みたいに一人で突っ走って、絞め落とされたわけね」
拗ねたように文句をいう。
「だから黙ってたんだ。それに、お前が素直に飛行機に乗ってくれれば、絞め落とす必要もなかった」
少し呆れたような顔で慶太がいった。
秦はやれやれといった顔を浮かべ、わざと首すじを撫で回す。当然だが、特に大した傷はない。