5.レイブンの罠
秦とレイブンが接触している一方、瑠璃と美咲と慶太は裕子の車に乗って桜陽島を出て、沿岸部沿いに進んで街へ向かっている最中だった。
途中でコンビニによって、お菓子や飲み物を買って美咲と瑠璃は少し上機嫌だった。そんな様子を慶太は助手席からルームミラーで眺めている。
しばらくすると慶太の胸ポケットの中のケータイが鳴り出した。取り出してみると秦からだ。失礼しますと告げ、ケータイの通話ボタンを押す。
「秦か。どうだった?」
『あぁ、色々とわかったぜ。それより、お前らはどこだ?』
カーステレオから流れるラジオで少し秦の声が聞き取りづらかったが、こちらの会話を聞き取られないように慶太は続けた。
「まだ島を出てそこまで経ってない。奴はなんて?」
聞き返している間に、目の前に交差点で信号に捕まった。信仰の先には『工事中につき迂回』と右折を促す看板が出ている。自然と裕子は右ウインカーを上げる。
『奴は俺を買収しようとした。やはり、狙いは瑠璃ちゃんだ』
裕子たちの車は人も対向車も少ない旧道を走る。鬱蒼とした雑木林が左右に続いている。
慶太の中で理由もなく嫌な予感が生まれ、動悸が少し早まる。
後ろの瑠璃や美咲はそんなこと知らず、ラジオから流れるJ-POPの話に盛り上がっている。
「今どこだ?」
『まだ奴と話した展望台がある岬だ。これからそっちに向かう』
「待て、奴は?」
『タクシーに乗って帰って行った』
秦の電話の向こうでカモメの鳴き声が聞こえる。
車は信号のある交差点に差し掛かる。周囲に家などはなく、相変わらず雑木林ばかりで左右の見通しはひどく悪かった。
(何か、重大な事を見落としているのではないか?)
自問する慶太の動悸がさらに早まる。何故かはわからないが、慶太はすぐに危険が迫ると直感した。
「秦、俺達は嵌められたぞっ!すぐに――」
慶太が耐え切れずに叫んだ瞬間、突如右側から来る強い衝撃で身体が真横に吹っ飛びそうになる。
信号を無視した車が、猛スピードで助手席側に突っ込んできたのだ。電話に夢中で慶太は気付くのに遅れたのだ。
そのまま車はコントロールを失い、激しく横転した。
車内では瑠璃と美咲の悲鳴が響き、車内の物が回転する洗濯機の中のように飛び回る。ケータイ、さっきコンビニで買ったお茶の缶。鞄の中の小物。
車は横に二回転半し、道路の真ん中で逆さまになって停止した。
衝撃から覚醒すると、慶太は周囲を見回す。隣にいる裕子は気を失い、シートベルトのせいで身体が上下逆のままになっていた。パーマの掛かった髪を真下にだらりと垂らしている。
宙吊りになった慶太は全身に走る痛みになんとか堪え、シートベルトを外す。身体がシートから離れ、天井へ身体を落とす。
後部座席を見ると、美咲も裕子同様に気を失っている。瑠璃だけが辛うじて意識があるようだ。
「大丈夫ですか!?」
「……私は大丈夫。それよりも皆は?」
慶太が問い掛けると瑠璃は頭を押さえながら叫んだ。
「気を失っているだけです!待っててください!」
クソ、もっと早く気付くべきだった。慶太は後悔する。
秦への不審な電話。不審な道路工事。
潰れた助手席の窓から外に目をやると、先ほどぶつかってきた車から、降りてくる男物の靴が四人分見えた。靴は足早に近づいてくる。
敵だ。すぐにジャケットからボディガードピストルを抜こうとした時だった。
瑠璃が小さな悲鳴を上げるのと同時に、別の方から気配がするのに気付いた。すぐにそちらに目をやる。
割れたフロントガラスの向こう。サングラスを掛け、まるでおもちゃ屋で売っているレーザー光線のような黄色い銃をこちらに向けた男が見えた。すぐにそれがテーザーガンだと気付いた時には遅かった。
鋭い針が慶太の首に刺さり、電流が流れる。筋肉が痙攣し、身体が動かない。必死に抗おうとするが、意思に反して、身体は思うように動かない。
「やめてっ!お願い、やめてっ!」
瑠璃が叫ぶ。テーザーガンの電気が止む頃には慶太の意識は酷く混濁していた。
鈍くて重い、微かな意識の中で瑠璃を見る。何かを叫びながらこちらに手を伸ばしている。瑠璃の頬から涙が落ちるのが見える。
次の瞬間、後部座席のドアが開き、ごつい男の手が瑠璃を無理矢理引き摺り出そうとする。反対側のドアも開き、気を失っていた美咲も抵抗もないまま引き摺りだされる。
テーザーガンを持った男の姿がないのに気付いた慶太は必死に身体を動かす。
やっとの思いで腕を伸ばし、身体を引っ張る。なんとかひしゃげた助手席のドア窓から半身を出す。
目の前に二つのスニーカーが揃う。見上げるとバンダナで顔を隠した男がこちらを見下ろしていた。
手には高電流のスタンロッドが握られ、先端からバチバチと耳障りな音とともに青白い電流が見える。その後ろでは屈強な男に無理矢理引っ張られる瑠璃と、肩に担がれた美咲が見える。
バンダナ男はなんの躊躇いもなしに慶太の首すじにスタンロッドの先端を押し当てた。無様に身体が震え、何の抵抗も出来ずに身体が痙攣する。
数秒程押し当てた後、先端を離す。もう意識を保つのすら精一杯だ。
僅かに残った力で顔をゆっくりと上げた次の瞬間、バンダナ男のサッカーキックが慶太のこめかみにヒットする。鋭い痛みが広がり、視界がひどくぼやける。
消えゆく僅かな意識の中、一瞬だが瑠璃の悲鳴が聞こえた気がする。
なすすべもなく、そのまま慶太は気を失った。