2.レイブンからの電話
2階の自室に上がり、秦は部屋を見回す。
部屋の隅に丸められた寝袋と段ボールに入れた私物。確かに、部屋として殺風景だ。
「明日、買うとして何を買う?」
後ろにいた慶太が顎に親指を当て考える。
「せめてベッドと机だな。机といっても折り畳み式のテーブルみたいなものがいいだろう」
「そうだろうな」
確かに最低限としてはそんな所だろう。本当ならばラックやチェストも欲しい所だが、なにぶん一部屋に二人も生活している。いい加減、物置部屋の片付けをするべきだな、と秦は考える。
そんな事を考えていると秦の胸ポケットのケータイが鳴り出す。
取り出して画面を見ると見知らぬ番号からの着信だった。秦は三コール目で通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『これはこれは。君は波喜名くんだね?』
知らない男の声。アクセントからして日本人ではない。
「そうだけど、電話のマナーは自分から名乗る。違うかい?」
ただならぬ口調に勘づき、慶太もじっと秦を見つめた。秦は慶太に人差し指を唇に当て、通話のマイクをハンズフリーに切り替えた。
『ふふ、これは失礼した。私は……レイブンと名乗っておこう』
「レイブン?」
ワタリガラス?ふざけた名前だ。慶太も眉間に皺を寄せてケータイを見つめる。
『以前に君たちがやっつけたチンピラやモヒカン兄弟の雇い主だよ』
その言葉に秦がピクリと反応した。
「ほう、これこれは……。喧嘩を売ってるのか?」
『いやいや、そんなつもりはないよ。君たちとはきちんと交渉した方がいいと思ってね。いわば、ビジネス交渉といえばいいかな?』
「ビジネス交渉だと?」
暴漢を送ってくる輩がビジネス交渉?戯言にしてはふざけすぎている。
『そうだ。桜陽島から少し南側に離れた岬を知ってるかい?駐車場があって、とても見晴らしがいいんだ。そこから桜陽島がよく見える。明日の10時にそこのベンチで待っているよ。どうだい?』
「いきなりそんな話をして、乗ると思うのか?」
『乗るとも。君だって、理由もわからないままそこのお嬢さんの護衛するのは嫌だろう?私はなぜ護衛を付けられているか知っている。それを知りたくないかい?』
秦は思考する。十中八九、罠だろう。
慶太の顔を見る。目が合うと、慶太は首を横に振った。
数秒ほど考えたあと、秦は口を開く。
「条件がある。あんたも一人、俺も一人だ」
秦の返事に慶太が制止しようと口を開いたが、秦が手を挙げて止める。
『いいでしょう。それじゃあ明日、間違いなく』
そう告げると通話は切れた。スピーカーからツーツーと流れる。
「秦、危険だ。やめておけ」
慶太の言いたい事は分かる。
だが、秦の好奇心は抑えられなかった。
「まあ待て。以前の600億や鍵という言葉も気になる。ここは相手に飛び込む必要があると思うんだ」
「だが、罠だぞ。何が待ち構えているか分からない」
慶太が腕を組んで眉間に皺を寄せている。
「大丈夫だ。俺を信じろ」
秦は不敵な笑みを浮かべる。慶太は少し秦を見つめたあと、呆れた顔を浮かべる。
「どうやら、止めても無駄なようだな。……わかった。だが、危なければすぐに逃げろ」
「あぁ。明日、瑠璃ちゃんの事は頼む。話が終わり次第、すぐに合流するからよ」
「……わかった。しくじるなよ、秦」
秦は頷くとすぐに私物から装備を取り出した。防弾ベスト、ボディガード.380。R8。
それらをフローリングの上に並べていく秦を見つつ、慶太は部屋を後にした。
― ― ― ―
またリビングに戻ると瑠璃がテーブルでファッション雑誌を読んでいた。
入ってきた慶太に気付き、顔を上げる。
「あれ、秦くんは?」
「二階でレポートをやっています。なんでも学校に出すものだとか」
慶太はサラリと嘘をついた。本当は明日の準備に備えて銃器のメンテナンスをしているのだ。
「美咲さんは?」
「美咲なら出掛けちゃったよ」
「そうですか」
慶太はどこか落ち着かず、気を紛らわすように掃き出し窓へ移動し、外に広がる昼の住宅街を見つめた。
どうにも胸騒ぎがするのだ。秦は確かに出来る奴だ。だが、今日のはどこか驕っているのかもしれない。なぜか嫌な予感がする。
そんな思考を巡らせている慶太を見つめていた瑠璃が声を掛ける。
「ねえ、慶太くん」
「はい?」
振り返るとどこか恥ずかしそうな、照れた笑顔を浮かべている瑠璃。慶太と目が合うと、耳を出すように横髪をさらっと指であげる。
「秦くんの前じゃ言えないけど。そろそろ……慶太くんは私のこと、『お姉ちゃん』って呼んで欲しいなって思って……」
瑠璃の頬がどこか赤い。瑠璃が髪をかきあげる時はいつも言いづらい事があるのだと、慶太は悟った。
「私は……そういった家族のように……」
突然の言葉に口ごもる慶太。
『家族』
その言葉は、慶太の中ではとても複雑な言葉だ。だが、今はそんな内面を見せたくはない。
慶太はまだ頬を赤く染め、期待を含んだ瞳をしている瑠璃に一瞬俯き、いつもの事務的な表情を作る。
「いつか、呼ぶ必要がある時に、そう呼ばせていただきます」
「ズルい。じゃあ、いつ呼んでくれるの?」
駄々をこねる子供の表情を浮かべてくる。最近の瑠璃はこんな調子だ。自分に対してやたら構いたがるのだ。
正直に言えば、そんな瑠璃に対してこっ恥ずかしいというか、照れ臭い感情が湧いてくる。
慶太自身も同じ屋根に暮らし始めてから、瑠璃や美咲、健太に対して家族のような感情を覚えている。
一緒に朝食と取り、寮に戻れば風呂の掃除や洗い物の当番で喧嘩したり、時には宿題を教えてあげたり。
そんな時間を一か月も過ごすと彼らを家族と感じる。だが……。
「私は、あくまで護衛者なので。そういう関係ではありません」
瑠璃に背を向け、少し上ずった声でいう。
慶太の胸の中で渦巻くモヤモヤは消えない。そう、家族とは昔に……。
背中で瑠璃がぶつくさと文句をいうのが聞こえるが、聞こえないフリをしてそのまま自室へと戻った。