番外その1『瑠璃の手記』『秦の一言』
番外編です。
ささやかな日常を描いております。
《瑠璃の手記》
『お母さんへ
以前にも書いた通り、私の人生ははちゃめちゃです。
この間書いた、新しく寮に入った秦くんと慶太くんも徐々にですが、打ち解けてきています。
おかげで朝からいつも以上に大変です』
朝の陽ざしが差し込むリビング。テレビからワイドショーが流れ、今日の天気が午後から崩れると伝えている。
ダイニングテーブルの前で美咲が唖然としていた。
「なんっっで朝からハンバーグなんて作ってるの!?」
ダイニングテーブルの上には朝食にして豪快すぎるデミグラスハンバーグが並んでいた。きちんと火が通ったハンバーグからは湯気がのぼり、その大きさは180グラムほどあった。
今日は深雪の朝食の作り置きがない。そこで秦の考えた献立になった。
美咲の怒鳴り声に驚いた健太は思わず舌を火傷しそうになった。
「なんでって、朝はこんぐらい食わないと精がつかねぇだろ?」
朝食を作り終わった秦がケロリと応える。
「朝からこんな脂っこいもの食えないわよっ!」
「なんだとっ!?人様に作って貰っておいて、そんな言い草はないだろっ!?」
キレる美咲に呼応するように秦もがなる。すぐにまた立ち上がって睨み合う。
「そもそも、あんたの献立はめちゃくちゃよ。この前だって、朝からカニが出てくるしっ!」
「俺の金で買ったんだからいいだろっ!?一匹五千円近いベニズワイガニだぞっ!?」
「それは感謝してるけど、なんで朝からなのよっ!?せめて身をほぐしときなさいよっ!何が悲しくて寝起きで殻から身を剥がなきゃいけないのよっ!?おかげで……」
口喧嘩は徐々にヒートアップしていく。
一方で、二人のやりとりを尻目に、慶太は黙々とハンバーグを食べている。その横では居心地悪そうに健太が口論する二人と慶太を交互に見ていた。
「慶太くん……。止めなくていいの?」
「放っておきましょう。つまらないいがみ合いしても、ハンバーグは減ることはないし、冷めてしまいますから」
慶太が吐き捨てる。だが健太は落ち着かない様子で目の前の熱々のハンバーグを見つめているだけだった。一方で秦と美咲の口喧嘩は止まらず、収まる気配はない。
そんな光景に瑠璃は深いため息を吐いた。
『それと学校も始まり、私も高校二年生になりました。
二年生になって変わったことも多いです』
通学路、相変わらず美咲と秦の口喧嘩は収まらず、歩きながらも口論をしている。その後ろを慶太と瑠璃が歩く。健太はサッカーの朝練があるので、先に出て、さくらえんに唯一ある自転車に乗って出て行ってしまった。
すぐに美咲は同じ道を歩く同級生に気付き、そちらに駆け寄る。駆け寄る寸前に秦に振り返り、親指を立ててそれを垂直に降ろす。秦も負けじと腕を十字に組み、立てた右腕で中指を立てる。『ファック・ユー』のポーズだ。
「クソ可愛くない奴め」
ぼそりと吐き捨てる秦。その光景に瑠璃は苦笑し、慶太は呆れ返っている。
やがて学園に向かう林道を歩くと瑠璃と秦の同級生たちがちらほらと現れ、声を掛ける。
「よぉ小泉ー。あ、今は谷田凪だっけか」
そう声を掛けたのは同じクラスの文太だ。
「おはよう。別に小泉でもいいよ」
「そうか。それに秦と、横山君、だっけか?おはよー」
「おう、おはよー」
「おはようございます」
二人は同時に挨拶する。慶太に至ってはきちんと頭を下げた。
「なんだ朝からお姫様登校か。さすがはセレブだな」
文太がハハハと笑い飛ばす。
学校では瑠璃達の噂が広まり、からかいの対象の的となった。そのお陰で女子一人に男子二人が歩いていると『お姫様登校』や『お嬢様下校』なんて言葉が流行りだした。正直、瑠璃も慶太もその言葉に良い気分はしていないが。
『友達は相変わらずです。でも、家族が増えたお陰で見える景色も変わりました。
不思議なもので、慣れてくるとこれがまた、面白いものです』
授業も終わり、瑠璃達は下校する。
「じゃあ瑠璃ちゃん、帰ろうぜ」
秦が気さくに声を掛ける。それを遠くで見ていた文太と浩輔がヒューヒューと囃し立てる。
「いいねぇ、お嬢様は素敵な王子様がいて」
秦がニヤリと笑う。
「バーカ。これは仕事だよ。ま、君たち一般ピーポーには馴染みがないだろうがな」
ケラケラと笑う秦に「バーカ」と笑い返す二人。
瑠璃と秦は教室を出て、廊下を歩いていると後ろから声を掛けられた。
「あら、こんにちは」
振り返るとそこには紗香がいた。
「これは紗香先輩。いやぁ、今日も相変わらずお美しい限りでございます」
揉み手をしながら紗香に近づく秦。
「そんなお世辞なんていいのよ波喜名くん。それに谷田凪さんもこんにちは」
目の前の秦を無視するように瑠璃に挨拶する紗香。
秦は徐々に紗香に近づこうとした。その時、何者かが素早く秦と紗香の間に割り込んだ。
「君、馴れ馴れしいぞ」
七三分けの髪の向こうからキリッとした目つきと、プライドの高そうな眼鏡を掛けた青年が秦を睨みつける。
「まったく、恥を知れ。篠埼先輩はこの青海学園の生徒会長という崇高なる任を背負っている方だぞ。無礼千万だ」
眼鏡を人差し指でくいっと上げ、秦の前に立ちはだかる。
突然現れた青年に秦は口を開けてポカーンとした。
「え、誰?」
「ふふ、この2年生で僕の名前を知らないとは……2年、生徒会役員の米長俊だっ!」
誇らしい笑みを誇る俊。それとは対照的に興味もなく、めんどくさそうな顔をする秦。
「ふーん。それはどうも」
「いいかい?篠埼先輩はこの青海学園を担う一枚看板のようなお方だ。君のような無神経な人間が気安く話しかけては困るんだよ」
まるで天女様扱いする俊に、「そんなことないですよ」と宥める紗香。しかし、どこかまんざらでもないような表情だ。
「ほら、米長くん。もうすぐ生徒会会議があるのですから、向かいましょう」
「はいっ!篠埼先輩が仰るならではっ!では君、これで失礼するっ!」
そういって二人に会釈する紗香。そのまま息巻く俊の後ろを歩くをどこか愉快げに歩いて行く。そんな二人の背中を秦と瑠璃は見送る。
秦からしてみればリードに繋がれた犬と散歩するご主人だ。米長犬と貴婦人・紗香令嬢。いい組み合わせだ。
「今日習った『面従腹背』って言葉、知ってるか?」
秦が聞こえない声で呟く。
紗香も俊の隣で微笑んでいるが、その腹の内はどう考えているのやら。
― ― ― ―
『勉強はしっかりやっています。まだ、将来の事とかは具体的に決まってないですけど、
誰かを助けられるような、そんな仕事が出来たらいいなぁと思います。』
寮に戻ると瑠璃はダイニングテーブルで学校の課題であるプリントをしていた。秦はその脇で見慣れない機材をいじっている。
瑠璃の課題は苦手な英語で、空欄を埋めていく問題だ。英単語ほど苦手なものはない。
途中まではなんとか自力でそれらしい答えを導いたが、途中から煮詰まり始めた。頭を回転させてもにっちもさっちもいかなくなった時、ふと秦に声をかけた。
「ねえ秦くん。秦くんって英語わかる?」
「英語?そりゃあ出来るけど……」
見慣れない筒にワイヤー線を括りつけている秦はその手を止め、瑠璃の課題を見る。
「ここなんだけど……この単語って人混みって意味だよね」
「そうだね。えーと“私の友人を人混みで視界を”……?あぁ、この空欄に入るのは“ロスト”だ。これは『人混みで友人を見失った』って文だね」
「そうなんだ。ありがとう」
「それで次の問題が……」
「あ、ちょっと待ってっ!」
思わず制止する瑠璃。
「ごめん、そこだけ分かればいいの。あとは自分で解きたいから」
「え、俺ならすぐに分かるけど……」
「ダメ。ほら、こういうのは自分の力で解かないと身につかないっていうし」
瑠璃の言葉に「あぁ」と頷き、
「確かにそうだね。そんじゃあ、分からなくなったら言って。教えるよ」
「ありがとう。それだったら、全部終わった後の答え合わせをお願いしてもいいかな?」
「いいよ」
秦が屈託のない笑顔を見せる。その笑顔を見ると頼もしく思える。
― ― ― ―
「うわぁ……」
一時間後、課題の採点をお願いした秦からその用紙が返ってきた瑠璃は思わず声を漏らす。
「うん、かなり間違ってたね。瑠璃ちゃん、英単語が全然だね」
選択問題と秦に教えてもらった所以外は壊滅的といっていい程バツマークが赤ペンで記載され、丁寧に答えまで書かれていた。
「あぁ……私、どうしても英語だけは……」
しばらく瑠璃は頭を抱えた。
― ― ―
時刻は17時を回った頃、ふと窓の外を見る。
夕暮れの陽射しがいつもよりどんよりしている。見れば、分厚い黒い雲がかかり出している。今日の天気予報を思い出し、瑠璃はハッとした。
「いけないっ!今日は深雪さん来ないんだったっ!夕飯の買い物に行かないとっ!」
瑠璃は素っ頓狂な声を上げ、慌ててテーブルの上の勉強道具をしまい始める。
その姿を見た秦と慶太も窓の外を一瞥し、すぐに準備する。
「私、着替えてくるから待っててっ!」
そう告げた瑠璃が慌てて二階の自室へ駆け込む。
「なんだか、毎日慌ただしいな」
瑠璃の背中を見送った秦がヘラヘラと笑う。その慌ただしさの一因にお前もいるんだよっと言いたげに見返す慶太。
秦と慶太は互いにやれやれと言った顔で玄関の前まで向かう。するとその時だ。
「なにこれっ!?」
瑠璃の荒げた声に、すぐに秦と慶太が反応し、階段を駆け上がって瑠璃の部屋に駆け寄る。
「どうしたのっ?」
秦が部屋のドアを開けると、そこにはいつかのロングスカートを手に持つ瑠璃が佇んでいた。
「なんで破けてるのこれっ!?」
よく見ると裾の部分が破けている。そのスカートが以前に慶太が変装した時に使ったものだと二人は気付き、思わず視線を逸らした。
「……生ある物死あり、形ある物必ず砕けん」
瑠璃に聞こえない声で慶太がボソリと呟いた。
『お母さん。毎日が騒々しいですが、それもなんだか、楽しみの一つになりました』
《秦の一言》
ある日曜日の昼間。
自室で段ボールを机替わりにしてBGCに提出するレポートを解いている慶太の横に秦が座る。
「なあ慶太」
「どうした?」
慶太は秦に見向きもせず返事する。
「正直な話をしていいか?」
「なんだ?」
慶太はちらりと秦を一瞥した。秦はどこか思いつめた顔を浮かべている。
「……瑠璃ちゃんが作るご飯って、正直あんまり美味しくないよな……」
その言葉に慶太はピタリとペンを止める。秦に振り向き、少し思考する。
思い返せば、確かに味が薄いとか濃いとかではなく、妙な味付けなのだ。
「確かに……言葉にはし難い味であるな」
「だろ?よかった、俺だけが思ってることじゃなくて」
そう告げると満足したのか、慶太は立ち上がって部屋を後にした。
慶太はそのまま気を取り直して宿題を続けた。
少しして、料理をしている時の瑠璃の笑顔が思い浮かぶ。とても爽やかで、楽しそうに作っているその表情は愛らしい。
(なんだか、ひどい事を言った気がする)
慶太の中で妙な罪悪感が生まれた。別に本人に言ったわけではないのに、なぜか秦に同意する言葉を言っただけなのに、急に胸の中で込み上げてきた。
少し落ち着かなくなり、立ち上がって部屋の窓を開けようと手を掛けた。
ガラスの反射に自分の顔が映る。先ほどの秦と同様に思いつめた顔をしていた。
なぜ急に、秦が自分にあんなことを言ったのか分かる気がした。
慶太はふぅ、と小さいため息を吐いて、またレポートの続きに戻った。