20.それは二つの影
明くる日の夜。その日は金曜日だった。
さくらえんの寮では秦と慶太の言い争う声が響いた。すぐに瑠璃の怒声がそれを止ませる。やがて不機嫌な足取りが玄関まで響き、玄関のドアが勢いよく聞こえる。
「瑠璃ちゃん、どこ行くの?」
「知らないっ!」
秦の制止を振り切り、瑠璃は買い物袋を片手に外に出る。長いマフラーを口元まで隠すように巻き、ロングスカートなびかせて門をスタスタと抜けていく。
瑠璃はそのまま勇み足で、長い髪をまだ少し寒い春風になびかせて歩いて行く。
その背後には、いつか健太が見た白いバンが止まっていた。バンの助手席がゆっくりと開き、音を立てないようにゆっくりとドアを閉める。
瑠璃はそのまま暗くなったさくらえんを横切り、人っ子一人いない住宅街を進む。その背後を音も立てない足取りで男は追う。
人気のない住宅街を歩く瑠璃に男が速度を上げる。
瑠璃の背後に男が迫る。もう腕を伸ばせば捕まえられそうだ。
一瞬、瑠璃が気配に気付き、立ち止まって振り返ろうとする。そうはさせまいと男が一歩踏み込み、背後から口を塞ごうと手を伸ばした。
その瞬間、瑠璃が身を低くして背後の男のみぞおちに肘鉄を食らわす。
ぐふぅ、と息を漏らし、そのまま後ろに数歩下がって苦しむ。男は思わず瑠璃を見た。
「残念だったな」
その声は瑠璃ではなかった。長い黒髪の下から覗くのは男の子の顔。
そう、慶太だった。
慶太は被っていた女物のカツラを取り、地面に落とす。
「中々しっぽを出さないからちょっと不安だったよ。でも、こうして来てくれたのには感謝する」
苦しむ男を見つめる。180cmはありそうな高い身長に黒いTシャツの下からでもわかるほどの筋肉がついた赤いモヒカンはゲホゲホと咳をして、慶太を睨み付ける。
息を整え終わると、赤いモヒカンは靴下に手を伸ばして、靴下の中に忍ばせていたバタフライナイフを見せつけるように取り出し、スナップを利かせて刃を見せる。
「そんなもん。脅しにもならない」
すると慶太の背後から気配を感じ、肩越しに後ろを見遣る。同じようなモヒカンを青に染めた男だ。
すぐに青いモヒカンの男、“ブルー”がサバイバルナイフを取り出し、慶太に襲い掛かる。
慶太は背後を振り返ることなく、堂々と正面の赤いモヒカン、“レッド”を見据えたままだ。
サバイバルナイフを逆手に持ち替えて振り上げた瞬間、横から秦が飛び込んできた。
すぐに身を屈め、ブルーの足にスライディングして足を引っかける。ブルーが転倒したのを合図に「今だっ!」と大きな声を出した。
その瞬間、周囲の物陰や家の駐車場に隠れていた数名の私服の警官が飛び出し、倒れてこんだブルーを取り押さえ、レッドを囲う。
突然のことに動揺したレッドは周囲の警官たちを見回し、ナイフの刃を突き出すように見せつけて威嚇する。
数秒間の睨み合いの末、動いたのは私服警官の中に混ざっていたあきだった。
背後を取り、そのままナイフを持った右手を捻り上げると、レッドの両足の間に自分の足をねじ込み、そのまま払って地面に投げ落とす。
その瞬間、周囲を囲っていた警官たちがレッドの身体の上に伸し掛かる。落ちたナイフは国原がすかさず蹴飛ばし、レッドから遠ざけた。レッドは苦痛で呻いた。
一方でブルーが何か喚いている。日本語でも、英語でもない。ポルトガル語だろうか?何をしゃべっているのかは分からなかったが、悪態を付いているのは確かだ。
「お手柄ね」
「小手先の作戦だったが、まさか成功するとはなぁ……」
秦がやれやれといった手ぶりをする。
― ― ― ―
あの日、真剣な眼差しをした慶太の口から驚きの言葉が出た。それは襲撃してくる計画を察知したというものだ。
不穏な気配に気付いていたが、まさかそこまで調べがついているとは思わなかった。
「相手は二人だ。恐らく前回の事もあるだろうから、こちらの中に入ってくるとは思えない」
「……じゃあ外で一人になった時に狙うのが筋だな」
慶太が頷く。
「だが、どうする?そんな状況じゃあ、当然瑠璃ちゃんを外に出す事は出来ないし、通報したぐらいじゃあ奴らは捕まえられないだろうし」
「そこでだ……」
慶太が話した作戦に秦は驚き、その後終始笑い転げた。
その後、一芝居打って慶太と口論した。ま、もしかするとだが、慶太は本当に怒っていたのかもしれないと思う秦。お陰で瑠璃の本気の怒声を録音する事ができた。
― ― ―
今日実行したのは、寮に誰もいないからだ。全員が篠埼家に出掛けるというので、秦と慶太は用事があるので少し遅れると告げ、作戦を実行した。
皆に黙って実行したのは危険を伴うし、瑠璃の部屋に侵入して、瑠璃の私服を拝借しなければならないからだ。こんなことに使うと知ったら瑠璃は当然怒るだろう。
それからついこの間までいがみ合っていたあきと国原に電話を掛けた。事情を話すと彼らは最初渋い顔をしていたが、長いこと話して、『危険な事はしない。犯人にも怪我をさせない』という事を条件に、動いてくれた。
慶太が瑠璃に変装したのは、慶太が一番瑠璃に背格好が近いからで、それは慶太からの発案だった。その発案者である慶太は、どこかこっ恥ずかしそうにしている。
「しかし、こいつらは何者なの?」
あきが取り押さえられている二人を見る。秦も慶太を見合わせるが、慶太はさぁ?といった手ぶりをする。
「さあな。どこの人間なんだか。そこからはあきさんの仕事だぜ」
秦がにやりと笑みを浮かべた。あきは「調子がいいんだから」と呆れた声で返す。