18.家長の命令ですっ!
それから2日間ほど、二人の喧嘩は収まらず、互いにギスギスさせながら生活した。
必要最低限の会話だけで、瑠璃との登下校でも一切会話はない。寮の中でも会話はなく、目が合えばフンッと逸らすばかりだ。これには夕飯を作りに来ている深雪ですらも困惑し始めた。
ギスギスした空気に嫌気がさし、美咲と健太は食事と風呂以外は自室に籠るようになった。
喧嘩開始から3日目の朝、ついに見兼ねた瑠璃が登校する前の秦と慶太をリビングに呼び止めた。
「なんだよ瑠璃ちゃん。早く行かないと遅刻するぜ?」
秦が横目で慶太を見る。慶太は一度だけ秦を見たが、それきり目も合わせない。そんな二人の様子を見た瑠璃が両手を胸の前でパンっと叩いた。
「はいっ!これ以上の喧嘩は許しませんっ!このさくらえんの寮長兼家長の私からの命令ですっ!」
「命令?」
怪訝そうに慶太が聞き返す。
「そうっ!あなた達の依頼主は私のお父さん、つまり、間接的にいえば私にもなりますっ!そこで、依頼主からの命令ですっ!あなた達は依頼主の命令に従うのが仕事でしょ?」
これらは3日前に美緒から教わったことだ。二人はどこか困った顔を浮かべている。上々の反応に瑠璃は内心喜ぶ。
「まぁ、そりゃあ……そうだけど…」
「確かにおっしゃる通りですが、これは我々の業務の……」
「はい、口答えはしないっ!ここで質問ですっ!ここに来てご飯を食べてますが、誰のお金でしょうか?」
二人の言葉を遮って思い切っていう。二人は困った顔で静かに瑠璃を見つめる。
「はい、正解はさくらえんへ寄付されたお金ですっ!さくらえんの寄付金は私のおとうさんの会社からですっ!では、おとうさんの会社ということは、つまり私の財産の一部でもありますっ!」
無理矢理なこじつけに二人は内心いろいろと突っ込みたい事が多かったが、瑠璃の勢いに負けてばかりだ。
「っということで、あなた達は私の命令に従わなければいけませんっ!はい、返事は?」
両手を腰に回し、司令官のように言い切る瑠璃。自分で話していてどこかむずがゆい台詞だ。それでも瑠璃は演じ続ける。
秦と慶太はこの時ばかりは互いに顔を見合わし、「はい」と返した。
「よ・ろ・し・い。それでは、家長からの命令ですっ!今日の夜までに互いの仲を深めておきなさいっ!」
「なっ!?」
二人から同時に声が上がる。
互いに苦い顔を向ける。だが、すぐに睨み合いになり、フンとそっぽを向く。
そこで秦がすっと手を挙げる。
「それで、俺達が仲を深めなかったら、どうするの?」
慶太も横で黙ったまま頷く。その言葉を待っていたかのように、瑠璃は急に優しい笑みを作った。
「裕子さんに『突然二人に襲われたっ!』って報告します」
思わぬ言葉に仰天する秦。瑠璃は人差し指を顎に当て、考える素振りを付け加える。
「うーん。あ、二人のあの先生にも言おうかな?」
先生とは、バーンズ教官のことだろうと二人は思う。魔性の笑みを浮かべる瑠璃。これも美緒から教わったやり方だ。
秦も慶太もどこかめんどくさそうな顔を瑠璃に向けて浮かべている。もちろん、瑠璃はそんな二人の反応など無視した。
「さて、ここで話はおしまいです。では学校に行きましょう」
やり遂げたことで瑠璃はどこか上機嫌でリビングを後にした。秦と慶太はそのまま動かず、互いにチラチラと顔を見合わせている。
「あ、もうここで仲良くしてもらってもいいんだよ」
リビングのドアの向こうで瑠璃の声。
秦と慶太はフン、と顔を背けてそのままリビングの外へと歩く。
― ― ― ―
2-3組の教室で、瑠璃はどこか上機嫌だった。瑠璃の周囲には美緒と純が楽しげになにか話している。そんな姿を秦は横目で見ていた。
「どうした秦?そんなに思いつめた顔して?」
声を掛けてきたのは同じクラスの比留川 文太だ。黒縁の眼鏡にいたずらっ気な目をした顔で秦を訝しげに見ている。
「別にー。大したことじゃねーよ」
ぶっきらぼうに答える秦。すると文太の横にいた浅井 浩輔が呆れた顔を浮かべる。
「なんだよ、大したことじゃねーなら言えよ?」
浩輔は第二ボタンまで開けたYシャツをなびかせ、秦の前の空いた席に座り、長く伸ばした前髪をいじりながら向かい合うように秦を見つめる。
秦の視線の先に気付いた浩輔が「あー」と悪戯な声を上げる。
「もしかして、惚れちまったんだなぁ瑠璃に」
「はぁ?」
「照れるなよ。そりゃあ、あんだけ可愛いい顔してる女と一緒に暮らしてんなら、そうなっちゃうよなぁ」
クスクスと笑う浩輔に「マジで?」と漏らして驚く文太。秦はすぐにめんどくさそうな顔で手を振った。
「ちげーよ。実はよー、ちょっと慶太とトラブっててよぉ…」
そう告げて、これまでの経緯を二人に説明した。
二人は「へぇー」とか「なるほどな」という言葉を交えながら、秦の話に耳を傾けた。
「そんなもん、ぶん殴ってわからせればよくね?」
秦の話を聞き終わった浩輔の第一声がそれだった。思わずガックリと肩を落とす秦。
「大体年上なんだから、『黙って年上のいうこと聞けやっ!』で殴れよ」
そう言いながら拳を握り、シャドーボクシングをする浩輔。思わず文太も呆れ返る。
「あのなぁ、そういう事で解決するなら悩んでねぇの」
秦がはぁ、と小さいため息をする。すると今度は文太が口を開く。
「そうだよ、そんな事なら礼二を連れて行けばいいじゃあねえか。見ただけでビビるぞ」
三輪礼二。クラスメイトでアメフト部のキャプテンを務める身長183センチもある大男だ。たくましく太くて日焼けした腕に、短く切りそろえたスポーツ刈り。そして細い目は強面だが、実際は穏やかでどこか天然の入ったいい男だ。礼二は三人の会話など知らず、自分の席で別のクラスメイトと談笑している。
今度は大きいため息を吐く秦。
「だ・か・らっ!そういうことじゃあねーっつのっ!」
秦が声を荒げ、三度目の溜息を吐いて椅子に深くもたれた。