10.二人の転校生
秦達と別れ、一人で中等部の職員室に向かった慶太。
広い校舎とはいえ、案内版が設置されており、慶太は難なく職員室に入れた。
中等部の職員室に入り、名前と転入生だと告げると、一人の長身の男が慶太の前に現れた。
「俺が担任の黒川だ。話は聞いている。」
静かな口調で話す黒川。30代半ばほどだろうか。他の教員とはどこか違う落ち着きさがある。七三分けにした髪の下から覗く目は、鋭いカミソリのようだ。
「聞くが、お前の素性は伏せた方がいいだろう?」
この教師は話がわかる男だ。慶太は頷く。
「わかった。今朝の総合職員室での話を聞いたが、お前はまともなようだ。くれぐれも問題を起こさぬように」
「分かりました。よろしくお願いします」
静かにお辞儀する慶太。
「もうすぐホームルームも始まる。俺と一緒に行くか?」
「えぇ、お願いします」
黒川は机の上の出席簿を取り、そのまま職員室を出ていく。その後ろを慶太は歩く。
黒川の後ろを歩いていると、足早に中等部の生徒たちが走り去っていく。その中でも女子生徒は黒川の顔を見るなり、嬉しそうな顔をして声を掛けていく。
「センセー、おはよー」
「黒川先生、おはようございます」
「クロセン、今日もかっこいいー」
女子生徒たちの黄色い声に、黒川は静かに手を挙げ「おはよう」と抑揚のない声で返していく。慶太はそんな黒川の背中を見ていた時、黒川が足を擦るような足取りで歩いているのに気付いた。
じっと眺めていると、黒川の歩行が身体の中心を崩さないキビキビとした歩き方をしている。慶太はすぐに黒川が武道に長けた人間だと気付く。
その事を尋ねようか悩んだが、尋ねたところで返ってくる答えは大したものではないだろうと考え、やめた。
階段を二つあがり、少し歩いて黒川は立ち止まった。立ち止まった黒川と慶太の前には『3-4』組という表札が出ている。
ドアの向こうからは楽しげ声が聞こえる。黒川は慶太に問い掛けることもなく、そのままドアを開ける。
教室の中ではあちこちで楽しそうに話している生徒たちが会話を止め、こちらに視線を止める。
「席に着け。これからホームルームを始めるぞ」
黒川の声を合図に、皆がクモの子を散らしたように自分の席に行く。
全員が席に着くと、すぐに日直と思わしき生徒が声を上げる。
「きりーつ。きょうつけー、礼」
日直の声に合わせ、全員が立ち上がり、お辞儀する。
向こうに居た時はない習慣だ。礼儀にうるさいとはこういうことを言うのか、と慶太は感心した。
「おはようございます」
「ちゃくせーき」
皆が同時に席に座る。慶太は教壇に立つ黒川の横に立ち、席に座る皆の顔を見回す。
「今日から始業式だが、その前に転校生を紹介する」
黒川の言葉に皆のひそひそ話が聞こえ始める。
「あれが転校生?」
「なんだぁ、男かぁ」
黒川はオホン、と喉を鳴らしてクラスメイト達のひしひし話を黙らせる。
「それじゃあ、横山。黒板に名前を書いて自己紹介しろ」
「わかりました」
慶太はくるりと黒板に向き、チョークを握って自分の名前を書く。書き終わると、またクラスメイト達に向き直っていう。
「横山慶太です。よろしくお願いします」
ペコリとお辞儀する。ざっくりとして無駄のない自己紹介。皆からまばらな拍手が起こる。慶太は満足していた。
「詳しい質問とかしたいだろうが、始業式が終わった後にしろ。横山、奥の席がお前だ」
黒川の指示に従い、慶太はそのまま奥へと進み、ひとつ空いた席に向かう。通る時、皆の好奇な視線が慶太を刺す。
自分の席に辿り着くと、慶太は背負っていたリュックを机横のフックに引っ掛ける。
隣に座る坊主頭の男子生徒がこそこそ声を掛ける。
「よろしく。俺は岡崎遠矢」
遠矢は目が細く、どことなくサル顔だが、雰囲気から人懐っこさが滲み出ている。慶太はペコリと頭を下げ、「よろしくお願いします」と声を掛けた。
「それじゃあ、出席を取る」
黒川が出席簿をめくり、一人ひとりの名前を呼び始めた。
― ― ― ―
一方高等部の2-3の教室のホームルームは騒然としていた。
「えー私が、皆さんを新たに受け持つ、白坂六葉です」
そう言って教壇に立つ六葉だが、あまりの背の低さにクラスの皆からは教卓から頭が生えているようにしか見えない。
「あれ、子供じゃないのか?」
「やだぁ、逆に可愛いんだけど」
クラスメイト達がヒソヒソと盛り上がる。六葉が自らの名前を黒板に書こうとするが、身長のせいか黒板の上に手が届かない。見兼ねた一人の生徒がすかさず自分の椅子を六葉の横に置く。
「あ、ありがとう」
六葉が黒板に丁寧に自らの名前を書く。
「こんな字を書きます。皆さん、よろしくお願いします」
えっへんとした表情をする六葉。六葉はそのまま椅子の上から皆を見回し、秦に視線を落とす。
「それで、今日は転校生もいます。じゃあ、波喜名くん」
「はい」
秦は六葉の書いた名前の横にでかでかと自らの名前を書く。
「アメリカ・カリフォルニア州からこちらに引っ越してきた波喜名秦だ。まだ日本の生活には慣れてないけど、皆とは仲良くしたい。ぜひ、よろしく」
颯爽した笑顔で挨拶をする。
「え、日本人じゃないの?」
「いわゆる帰国子女ってやつ?」
皆の言葉に秦は内心にやけた。掴みは上場だ。
「てかあの髪型なんだよ」
「めっちゃ決めてるじゃん。むしろ怖い」
「アメリカではあーゆーのが普通なんじゃね?」
秦には聞えないヒソヒソ話が聞こえる。皆の陰口を聞いていた瑠璃は内心、複雑な気持ちだった。