7.見えぬ不安
「いやー、しかし君たちには悪いことをしたねー」
運転席で国原という刑事が笑いを交えながらいう。
助手席に乗った秦が「いえいえ、こちらこそ送ってくれて助かりますよ」と軽い口調で返す。後部座席には瑠璃と慶太が座って二人の会話を黙って聞いていた。
あの後、駐車場にもう一台の覆面パトカーが付き、運転していた国原というこの刑事が現れた。
ブルゾンの作業着にワークパンツの出で立ちの男は秦達の前で丁寧な挨拶をする。
国原の指示により、あきの運転する車両には篠埼姉妹が乗り、国原の車両が乗ることになった。瑠璃は篠埼姉妹に「また明日学校で」と挨拶し、パトカーに乗った。
紗香も「今日はありがとう。それでは」と丁寧な挨拶をしてあきのパトカーに乗り込んだ。
国原の運転するパトカーが走り出すと、国原は先ほどからこんな調子で楽し気に話しているのだ。
「いやあ、あいつはまだ若いからね。そうちょっと熱くなっちゃうんだよ」
「いえ、おまわりさんなら仕方ないですよ」
助手席に乗った秦が調子を合わせる。
瑠璃と慶太は後部座席に乗り、そんな二人の背中を見ていた。
「それにしても君たち、確かボディガードチルドレンって言ったっけ?いやあ、まさかこんな所でお目に掛かれるとは思わなかったよ」
「そうですか」
国原の背中で慶太がぼそりと呟く。
「若いのに大変だねー。俺なんかじゃあ出来ないよ。あ、ここを左でいいんだよね?」
秦が頷くと、国原はメイン通りの交差点を左折して住宅街へと進む。
「そっかそっか。ま、君たちも若いだろうしさ。何があるのかは知らないけど、困ったことがあったら警察を頼ってくれよ」
「いやーありがとうございます。その時はよろしくお願いします」
調子のいい言葉を並べる秦。
車はそのまま住宅街を進み、さくらえんの前で停車した。
「それじゃあ明日署でね。この間と違って、多分短い聴取で終わると思うから」
「わざわざ送って頂き、ありがとうございます」
瑠璃がペコリと頭を下げる。ルームミラー越しに瑠璃を見た国原が目を細めて笑う。
「いいんだよ気にしなくて。それじゃあ、おやすみなさい。戸締りを忘れずに」
三人はドアを開け、車を降りる。
三人に見送られながら、国原はパトカーを走り出す。
ルームミラーから三人が遠くなっていくのを見つめる国原。
「ボディガードチルドレン、か」
国原がぼそりと呟く。
先の車中、秦という青年は楽しげに自分と話を合わせていたが、その左手がジャケットの胸ポケットに常に入れられていたのを見逃さなかった。恐らく、その胸ポケットには何か獲物を忍ばせていたのだろう。
どうやらすぐには信頼されていないようだ。
― ― ― ― ―
寮に戻った頃には秦の腕時計の針が22時を回っていた。全員の表情には少し疲れが浮かんでいる。
「明日から学校だっていうのに怠いなぁ」
玄関で靴を脱ぎ、秦が大きなあくびをしながらリビングに入る。
「あ、やっと帰って来たっ!もう遅いんだから」
ダイニングテーブルで美咲が文句を垂れる。美咲の前には空になった皿が並んでいる。
「ごめんね、美咲。ちょっとトラブルがあってね…」
「ふーん。トラブルってもしかしてこの間の……みたいな?」
美咲が神妙な顔で尋ねる。
瑠璃は思わず困惑し、口ごもる。前回の事と言い、自分に何か関連があるのだと心の中で思っていたからだろう。そんな瑠璃を察したのか、すかさず慶太が小さく手を挙げた。
「ご心配なさらずに。大したことではありません。解決しておりますので」
「教えてくれないの?」
少し不貞腐れた顔を浮かべる美咲。そんな美咲を追い払うかのように秦がシッシッと手を払う素振りを見せる。
「子供は黙って、飯食って寝ろ」
「うわぁ、自分と3歳ぐらいしか変わらないくせに…。それに、ご飯はもう冷凍食品で食べちゃいましたー。健太なんて、もうお風呂入って部屋に居るもん」
ぶーぶーと頬を膨らませ、秦に不快感を示す。秦は「んなら早く寝ろ」と告げて、リビングのソファに腰掛けた。
「いいもーん。仲間外れにしたこと、後悔させるから」
秦と慶太にあかんべーをし、リビングをそそくさと出ていく美咲。思わず「ケッ」と吐き捨てる秦。
美咲が去って行ったのを見送った瑠璃は思い惑った顔を見せる。
「ねぇ、今日の出来事って、やっぱり……?」
その言葉に秦も思わず戸惑った。あの男のいう言葉は、恐らく瑠璃に関係している言葉だろう。だが、それを言っていいものなのか判断に困った。
秦が返答に悩んでいると慶太が口を開いた。
「今の段階でははっきりと申し上げることはできません」
「そっか……」
「ですが、心配はいりません。その為に私達がいますので」
「そう……それならいいんだけど…」
そう返す瑠璃だが、不安の色は隠しきれておらず、どこか憂鬱な感じなのが見て取れた。
瑠璃は気を取り直して夕飯の支度をしているが、秦もそのひた隠しにしながら振舞う瑠璃に、少し罪悪感を覚えた。
一方で慶太はすぐに端末で裕子に報告を入れた。例の「鍵と600億」という言葉も含めて。
― ― ― ― ―
その日の夜、二人はいつも通り部屋で川の字に寝袋に包まった。
部屋の天井で僅かな光を灯す豆電球を見据えながら秦は口を開く。
「なぁ、慶太。あの言葉、どういう意味だと思う?」
「キーと600億、か?」
慶太もやはり気になっていたらしく、すぐに返事をした。
「ヤダナギコーポレーションの売上高は58兆円だ。誘拐し、身代金にはいい金額だ」
「けどよ、そうなると……」
「鍵の意味だな」
秦は思考を巡らせる。鍵とは?誘拐への扉を開ける鍵?いや、そんな単調なものではないだろう。ならば、瑠璃が何かを持っているのか?色々と考えるが、推測の域を越えない。ヒントがなさすぎるクイズのようだ。
「ダメだ、なんも思いつかねぇ」
「秦、変に深く考えるな。情報が少なすぎる。考えても無駄だ」
そういう慶太も寝袋から腕を組んで寝ている。おそらく、慶太も自分なりに思考したのだろう。
「そうだな。明日から学校も始まる。今は寝るか」
秦は目をつむる。それでも、今日の一件が頭から消えることは一切なかった。