20.野良犬の飼い主
遡ること数時間前。
秦と慶太は皆が静まり返った後、自室をそっと出て、足音を立てぬように一階のリビングに降りた。
周囲を警戒しながらリビングの吐き出し窓を開け、窓のサッシのレールのそばにずっと電源を入れていた妨害電波装置を置き、外障子の立て框の取っ手の下に取り付けられたゴルフボールほどの大きさのゴムを外す。
外したゴムをひっくり返すと中に集音マイクとバッテリーといった小型の機械が埋め込まれている。おそらく外からでも室内の声が聞こえる高性能な盗聴器だろう。
「やはり、睨んだ通りだな」
「慶太も気付いてたか」
「当然だろ。お前もか、秦?」
「あぁ、昨日ここに来てから妙な輩は見た。ここに初めて来た時も、スーパーの買い出しのときも、ランニングの時もな。おまけに昨日と今日で窓に変な物がついてれば当然」
意外そうな顔をする慶太。
「俺も同じく。ホームセンターでも見た」
二人は常に周囲に気を掛けていた。慶太はともかく、秦は散漫なフリをして周囲をよく見ていた。敵は最初警戒していたが、やはり子供だと思って侮ったのだろう。上手くボロを出してくれた。
慶太は盗聴器を見つめ、すぐに秦に向き直る。
「相手の顔は見えたか?」
「いや、はっきりは見えなかった。だが、体格のいい男が一人、それと細身でサングラスをした痩せた男もいた」
「そうか。やはり、俺達がセキュリティを強化する前に襲撃する腹だろう」
秦も全て理解していた。慶太の一連の行動は相手を罠にかける布石だ。
「奴らは間違いなく今夜奇襲をかける。そこを仕留めるぞ」
肩に力を込める慶太に人差し指をたてる秦。
「まあ待て。まず瑠璃ちゃんからのご命令だ」
「なんだ?」
「ここでは殺しはするなってさ」
それは昼食後、瑠璃にお願いされた事。秦の言葉に慶太は今朝の瑠璃との一件を思い出す。
慶太はうんざりとした顔で秦を見遣る。秦はにこりと笑って続ける。
「それで、策はあるのか?」
「それは当然だ」
慶太が自信ありげに答える。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
夜も白み始める頃、さくらえんの寮の前にはパトカーが数台駆け付け、辺りは騒然となった。
周囲では事情を知らない近所の人間たちが目をこすりながら、封鎖している警察官たちの前で野次馬をしている。
近隣住民同様に、何も知らない瑠璃や美咲たちは、リビングで起きた出来事がまだ信じられず、玄関の前で警察官と話す秦と慶太を、目を丸くして見守っていた。
パトカーに手錠の掛けられた三人の男が乗せられ、連行されていく。
秦達は身分を明かし、ドッグ2こと西木野 一六の自供を記録したICレコーダーを渡した。
あらかた話を終えると慶太と秦は警察官から離れ、皆が見守る玄関の前に戻った。
眠そうな目をする秦と相変わらずにキリッとした表情の慶太。秦が瑠璃に小さく手を振る。
「起こしちゃって悪いね、ひとまずおはよう」
「ねぇ、秦くん。なにがあったの?」
瑠璃は秦と後ろのパトカーに交互に目を配らせる。秦は寝ぼけ眼のまま親指で後ろを指差す。
「大したことじゃあないよ。野良犬がちょっと迷い込んだだけ」
最後にふわぁ、と大きなあくびしながら秦は答える。
「それって……つまり……」
瑠璃はそこまでいって口ごもった。この事件がついこの前の襲撃事件と繋がっていると悟ったからだ。
暗い表情になった瑠璃に今度は慶太がいう。
「ご安心してください。後の事は片付きます」
「『片付きます』って、どういうこと?」
美咲が尋ねる。
「野良犬の飼い主が見つかったんだよ」
秦が今度は背筋を伸ばしながら答える。
「とりあえず、俺達は明け方に調書もあるから仮眠するよ。皆は安全だから寝てていいよ」
そう告げるなり、秦と慶太は皆の横を通り抜ける。
状況の読めないままの瑠璃達はそのまま玄関の扉を開けて入って行く二人の背中を見守るしかなかった。
リビングに入ると、秦はそのままソファーに寝転がり、「後は頼んだ」と慶太に告げて目をつむる。
慶太はダイニングの椅子に腰かけ、ポケットから携帯端末を取り出し、メール機能を選択する。