19.犬も夜はおやすみ
それから数時間後。健太も美咲も帰宅し、すぐに夕食の支度が始まった。
夕食はじゃんけんで負けた美咲と秦が作ることとなったが、秦の不器用さに美咲がほとんど一人で作った。
その後、慶太は昨日と変わらず無言のまま食べ終わり、自らの食器だけを洗い始める。
瑠璃は輪に入らない慶太に少し不服に思ったが、まだ仕方ないと諦める。
夕飯を食べ終えたリビングは団らんとした空気になり、秦と慶太を抜いた皆が思い思いにくつろいでいる。
ダイニングテーブルで煙草の箱程の小さな機械をいじりながら慶太はいう。
「明日は朝早めに出来る限りのセキュリティ作りをやろう。だから、早めに寝るぞ」
「おうよ」
秦は人差し指を上にクルリと回し、立ち上がる。
「じゃあ先に風呂はいろうかな」
するとテレビを見ていた美咲が慌てて、立ち上がる。
「やだっ! あんたらの後に風呂とか絶対やだっ!」
そそくさと自室に戻って入浴の準備に取り掛かる美咲。
結局、秦と慶太は最後に風呂に入り、そそくさと自室に戻った。
― ― ― ― ―
闇夜の静寂の中。周囲の住宅の明かりも消え、街灯だけが誰もいない通りを照らし出している午前三時。
三名の黒服に身を包んだ男は、音を立てないようにゆっくりとさくらえんの門壁を乗り越える。
音もなく地面に降りると、頭に乗せていた暗視ゴーグルを目元に降ろし、三人はバラバラに移動した。
そのうちの一人はリビングの吐き出し窓まで移動し、黒い手袋をした指でそっと窓に触れる。
まじまじと観察し、鍵やサッシなどを見る。下見をしていた通り、やはり外のセキュリティに関しては現段階で皆無のようだ。
カーテンの向こうの真っ暗な室内には動く気配もない。どうやら全員就寝したようだ。
『こちらドッグ2。位置についた。始める』
インカムに向かって小声で話し、窓冊子の隙間からピッキング用の工具を滑り込ませ、鍵を開ける。鍵はなんなく開き、ドッグ2はゆっくりと窓を開ける。
リビングの中はもうすっかり冷え切っており、就寝してからだいぶ時間が経っているのがわかった。ドッグ2という暗号名を持った男はそのまま靴でリビングに上がり、カーテンをゆっくりめくる。
案の定、そこには人の気配はない。
リビングをゆっくり進み、ダイニングと台所の横を通り抜ける。目の前に玄関と廊下を繋ぐドアの前に立つとインカムを口元に寄せる。
『ドッグ1、睡眠ガスの準備をしろ』
家の裏手から先に潜入しているはずのドッグ1からの連絡がない。もう一度連絡を入れる。
『ドッグ1、応答を。ドッグ3、そちらは?』
「ドッグ? 可愛い名前だな」
突然の声に跳ねるように驚いて振り返ると、同時にリビングの明かりが灯った。暗視ゴーグルの視界がホワイトアウトし、暗視ゴーグルを慌てて外した。
「ドッグ1も3も居眠り中だ。こんな時間だしな」
そこに居たのは秦だった。手にはドッグ1と3が身に着けていたはずの小型無線とインカムが握られている。
ドッグ2はたじろく。
「いきなりの来客だから、お茶は用意してなくて悪いな」
秦が手に持っていたスタンロッドを器用にくるくると宙に回す。すぐに背後から気配がし、肩越しに一瞥すると別のボディガードチルドレンが居た。慶太だ。
「もうお前の仲間はいない。観念しろ」
慶太の手には特殊ワイヤーが握られている。間に挟まれた男は正面と背後に警戒しながら壁を背にするように、ゆっくりと移動する。
「大変だったぜ、お前らの監視から抜け出して逆に罠にかけるのは。おかげでこんな夜更かししちまうしな」
言い切ると、秦はあくびをしながらスタンロッドを構える。
ドッグ2はすぐにベルトに差しておいた特殊警棒を引き抜き、手首のスナップを利かせて先端を伸ばす。先端は丸みを帯びていて、一撃をもらえば確実に骨は折れるだろう。
二人はすぐに戦闘態勢に入り、挟み撃つように間合いを詰める。
ドッグ2は秦に狙いを定め、自分の間合いに入るのを伺う。
じりじりと間に挟まれる。秦がわざと身体を素早く屈ませた。
それに反応したドッグ2は秦に警棒を振りかざす。秦は身を反らして最初の一撃をかわす。
その瞬間、ドッグ2は自ら相手の間合いに入ってしまった事を後悔した。それに気付いた時には慶太が握るワイヤーが首に絡まっていたのだ。
ギリギリと音を立ててワイヤーが首に食い込む。一気に気道が塞がれ、息も細々となっていく。持っていた警棒を捨て、必死にワイヤーを取り除こうと指をワイヤーに掛けてもがく。
秦が足元に落ちた警棒を足で蹴飛ばす。
「雇った相手の名前を言え」
ワイヤーが更に皮膚にめり込む。とても子供とは思えないほどの力だ。爪をたてようにも手袋をしているためにワイヤーが指に食らいつかない。自らの首を虚しくかきむしる。
秦が更に覗き込むようにドッグ2を見る。
「知ってるだろうけど、BGCの証言は警察で有利になるぞ。例え、お前をここで絞殺してもだ」
鋭い目つきで睨む秦。この二日間で観察していた子供の目付きではなかった。
「喧嘩を売った相手が悪かったな」
もう意識が遠くなりかける時、ドッグ2は観念して首にかけていた指を目の前の秦に振った。白旗という意味だ。
「慶太、もういいぞ。離してやれ」
ワイヤーが緩み、ドッグ2は解放された。フローリングに膝を付いて倒れ、目出し帽を自ら剥いで、望んでいた酸素を目一杯吸う。すぐにゲホゲホと咳をしながら汚らしい唾を床に吐く。
ぜえぜえと肩で息をするドッグ2の前に秦の足が映り込む。見上げれば先ほどの警棒を拾った秦がこちらを見据えている。
「きちんと話すんだろうな?」
首のワイヤーはまだかかったままだ。
ドッグ2は頭を小刻みに振って頷く。