15.カルチャーショック
時刻は10時を過ぎた頃。
登り出した太陽が桜陽島を包んでいた冷たい空気を温める。朝までの寒さが嘘のようだ。
三人は陽射しが注ぐ住宅街を歩いていく。
「今日もいい天気だね」
瑠璃も今朝の一件から打って変わって晴れやかに笑みを浮かべる。その笑みが半分は作っているのだと、隣を歩く秦は考える。
「そうだね瑠璃ちゃん」
「あ、見て。もう桜が咲きそうだよ」
瑠璃が指さす方には青海学園がある斜面を指差す。そこには緑色の針葉樹の中に紛れて、ピンク色の花びらがぽつぽつと顔を出している。
「桜陽島はね、昔に桜の木をたくさん植えたことからその名前がきているんだって」
「そうなんだ」
説明する瑠璃はどこか楽しそうだ。だが、その向こう側を歩く慶太は一切表情を変えることなく、きびきびとした面立ちで周囲に注意を配っている。
「このころになると東側の通学路の方は綺麗なんだよ。写真を撮る為にだけ観光する人もいるくらいだし。でも、私たちが通るのは桜があんまりない西側なんだけどね」
あはは、と瑠璃が苦笑を誘う。秦もつられて笑みを作る。
「それで、瑠璃ちゃん。ホームセンターって島の中にあるの?」
「ううん。島の中にはないの。ホームセンターは……」
「本島に戻って数キロほど先にあります。下調べはしておきました」
慶太がさらりと告げる。
「じゃあ、島の中央まで行ってバスに乗らないとね」
「こういう時に車があれば楽なんだけどなぁ」
秦がボソリという。
「え、秦くんって免許持ってるの?」
「持ってるよ。車もバイクも」
「えぇ、そうなの!?」
サラッという秦に思わず瑠璃が驚きの声を上げる。秦は不思議そうな顔をして続けた。
「向こうじゃあ16歳からでも取れるよ?」
「ただし、国際免許になるから一年間しか乗れないですが。この日本できちんと運転するにはこちらでちゃんと免許取らないといけません。私も一応、仮免許までは持っています」
慶太が補足を付け加える。それにも瑠璃は目を大きくして驚いた。
「えぇ、慶太くんも持ってるの?」
「仮なので、こちらでは運転できませんが」
瑠璃の驚きは仮免許を持っている事よりも、車を運転が出来るというほうにだったが、慶太と秦は知る由もない。瑠璃はしばらく開けた口を両手で覆ったままだった。
「これがカルチャーショックかぁ」
改めて住んでいた世界が違う事を思い知らされる瑠璃。
三人はそのまま島の中心の商店街まで歩き、通りのバス停で時刻表を確認する。バスは10分後には来る様だ。
ふと秦を見ると財布の中を一生懸命探っている。
「なぁ、慶太。細かいのあるか?」
「安心しろ、秦。アメリカとは違う。ガイドブックにも書いてあったぞ」
「そうか。お前がそういうなら信じる」
二人のやりとりを不思議そうに見つめる瑠璃。
少しして、時間通りにバスが目の前に停車する。意外そうな表情を浮かべる秦。
「時間通りに来るのか。ロサンゼルスみたいでいいな」
その言葉の意味を瑠璃はわからなかった。バスは前部の扉を開き、瑠璃達を招き入れる。先頭に立ったのは秦だ。
「やぁこんにちはっ!」
バスの運転手に気持ちのいい声を掛ける。が、運転手は逆に少し驚き、「おはようございます」と返す。
「それで、いくら払えばいいんだ?」
「はい?」
運転手が怪訝そうに聞き返す。
「あ、秦くん。このバスは整理券を取るのっ!」
すると後ろにいた瑠璃が慌てて声を掛ける。
「整理券?」
「そう、その機械から出ている白い小さな紙っ!」
瑠璃がそういう間にも慶太が出ている整理券を二枚抜き、秦の背中を押す。
「す、すいません。この人たちは海外から来たばかりなので……」
瑠璃が運転手に謝る。運転手は怪訝そうな顔を秦と慶太に向ける。無理もないだろう、元は日本人なのだ。
ガラガラの車内で瑠璃と秦は後ろから二列目のシートに座り、最後尾には慶太が座った。
他の数名の客を乗せ、バスが発進する。するとすぐに秦が瑠璃に尋ねた。
「ねぇ、このバスは無料なの?」
「無料?いや、違うよ」
慶太がはぁ、と小さいため息を吐く。
「この地方のバスは降りる場所によって金額が変わるバスだ。さっき取った整理券があるだろ?あれに番号があるから、それで自分の降りる料金がわかるシステムだ」
慶太がいう。秦はふーんと頷く。
「なるほどなぁ」
「それと運転席の前あたりに両替機があるから、札はそれでコインに変えられる」
わかった、と秦は立ち上がり運転席に向かおうとする秦。
「あと、運転手には別に挨拶しなくてもいいからな。チップもだ」
慶太が付け加える。数人しかいない客は、その二人のやりとりに聞き耳を立てているのが分かった。瑠璃は車内にいるのがどこか恥ずかしくなった。
― ― ― ― ― ― ―
バスは桜陽島を繋ぐ橋を抜け、本島の二つほど漁村を抜けていき、目的のホームセンターがある町まで着いた。
「次のバス停で降りる予定です」
慶太がケータイで調べた地図を見比べながらいう。するとすかさず秦が手を挙げた。
「あ、じゃあこのボタン押してもいいか?」
降車用の押しボタンを秦の目は興味津々な無垢な子供みたいに輝いていた。瑠璃は頷く。
ピンポーンという音とともに『次、停まります』と車内にアナウンスが流れる。
少ししてバス停が見えてくる。さっきまでの目の輝きが嘘のように消えた秦と瑠璃は立ち上がり、車内の通路を歩く。その後ろをついていくように慶太も続く。
バスが停車すると、三人は車内の電光掲示板に表示された金額をきっちりと払い、バスを降りる。
バスを降り、走り去っていったバスを一瞥した秦がボソリという。
「あのボタン、押す前はワクワクしてたけど、実際に押してみると大した事はないな」
どこかがっかりしたような顔で慶太にいう秦の姿を、瑠璃はちょっと可愛らしく思った。