10.夜の告白
「何が悲しくて男と二人で寝なきゃいけねぇんだよ」
秦がぼそりと呟く。
風呂を上がった後、荷物を解く暇もなく、秦と慶太は互いに川の字に並ぶように眠る事になった。持ってきていた寝袋で寝ているせいで硬いフローリングが背中を痛める。上を見えれば豆電球の明かりがぼんやりと部屋を照らしている。
横を向けば、自分の吐息が慶太に掛かりそうだ。
「静かにしろ。寝れる時に寝ておかないと、すぐに動けないぞ」
「わかってるけど、こんなんじゃあ寝た気分にもなれないぜ」
ましてやお前となんて、という言葉が喉から出そうになったが、そこは堪えた。
「今まで訓練をしただろう?」
「あーあ、しましたよしました。対奇襲訓練ですね。ったく、お前は何かと二の次には『訓練した』だの『任務だから』、だのうるせーよ」
秦が不貞腐れ、ごろりと慶太とは逆向きに身体をねじらせる。慶太は内心ムッとしたが、特に何も言わずに瞼を閉じる。
しばらく静かな時間が流れる。沈黙を破ったのはやはり秦だった。
「なぁ、慶太」
「なんだ?」
「お前、俺より年下なのに偉そうだよな」
慶太は返事しなかった。また沈黙が生まれる。
静寂に耐えられなくなったのか、少ししてまた秦が口を開く。
「シカトかよ」
「そうだ」
「シカトすんなよ」
「いいから寝ろ」
また静寂が包む。やはり、秦が声を掛ける。
「なぁ、慶太」
「なんだ」
さきほどより少し不機嫌そうな声が返ってくる。
「……人を撃ったのは、あの空港の時が初めてか?」
先程は少し重いトーンで話す。慶太の返事がない。無視をしているわけではなく、何か考えているようだ。
「……答えなくてもいいか?」
意外な返事だった。慶太の少し弱気な部分を初めて見たのかもしれない。
「聞いたらダメか?」
少し間が空く。
「正直に言えば、初めてではない。けど、詳しい話はしたくない」
首だけを動かして慶太を一瞥する。目は閉じているが、まだ意識はしっかりしているのが分かる。
「そうか、それならいい」
一瞬だけ、静かな時間が流れる。
すぅっと小さく秦が息を吸う音が響く。
「慶太、俺も初めてじゃない」
慶太の顔だけがこちらに動いたのが背中越しで感じた。
「俺が初めて人を撃ったのは、10歳の時だ。あの日は夏でさ、すっごく暑かった。学校が急遽休みになって昼間っからおじさんの家で一人で留守番をしていた。」
目は積まれた段ボールを見ている。だが、景色はあの10歳の夏が映る。
まだ幼い秦はスクールから戻るとすぐに二階の自室に上がり、イヤホンをしてCDプレイヤーを再生させる。
「おじさんは政府の関係者で色んな仕事をしていた。だからだと思う。誰もいないと思ったんだろう。裏庭とキッチンに繋がる扉のガラスが割れる音が聞こえた。俺はてっきり、近所に住む子供の悪戯かと思ったよ。近くて野球をして、よくボールが飛んできてたからな。二階を降りて、キッチンに向かったら、奴はいた。」
今でも覚えている。
音に反応し、秦はゆっくりと二階の階段を降り、リビングへと歩く。そこには手に持ったバールに目出し帽を被った大柄な男。
「俺が固まっていると、奴はすぐにバールで俺の顔面を殴った。ひどく痛かった。叫んだよ。だが奴は執拗に殴ろうとしてきた。次に頭に重いのを食らった。くらくらしながら思ったんだ。逃げなきゃ、って」
頭や鼻から血を流しながらも、キッチンカウンターの上の物を必死に投げ、近づけさせまいと抗う幼い秦。男はそれを払いのけながらも、着実に前進してくる。
「必死に逃げながら俺は思い出したんだ。おじさんの書斎の机の引き出しに拳銃がある、て」
幼い秦は階段を駆け上がる。あともう少しで二階の床板を踏む所で追い付いた男が秦の右足を掴み、引きずり降ろそうとする。男の顔面に蹴りを入れ、男を階段の中ほどから階下へ転げさせる。階段下に置かれてあった花瓶にぶつかり、花瓶は粉々に割れた。
「書斎に辿り着いて、机の引き出しを開けた。上から二番目で、重要な書類の下に忍びこませていた。9mmのオートマチックだ。いつでも撃てるように、って弾は入ってあった」
秦はすぐに安全装置を外し、スライドを前後させる。そして書斎を飛び出し、また階段を昇っている男に構えた。
「奴に向かって引金を引いたよ。俺は覚えてないけど、5回も引いていたらしい。弾は4発当たって、ほぼ致命傷だったって」
弾丸を食らい、階段を転げ落ちる男。階段下まで転がり落ちると、酔いつぶれたサラリーマンのように壁に背中をもたれ、項垂れるように男は絶命した。
「俺は震える手を必死で抑えながら奴に近づいた。怖かった。また、動くんじゃないかって。でも奴はもうピクリとも動かなかった。その時、俺は奴が来ている服に身覚えるがある事に気付いた」
ゆっくりと近づき、目出し帽をはぎ取る。
「奴はおじさんの同僚で、よく遊びにきていた男だった。名前はダン。バスケがうまくて、よく応援してるバスケチームの試合に連れて行って貰っていたんだ」
思わず銃を落とす秦。そして何かを思い出したように、秦はまた書斎に駆け出し、机の上に散らばった書類を漁り始めた。
「ダンは会社の金を横領していた。それもかなりの額だった。ダンはその金でヤクを買い、その金はギャングやマフィアに回っていた。後でおじさんに聞いたが、その金で銃を買ったギャングが銃撃事件を起こし、その流れ弾で高校生が死んだって」
書類には捕まったギャングの供述から武器を売った男の供述、そして数々の可能性の線が全てダンに繋がるという事が記載されていた。
「ダンは死んで当然の人間だったかもしれない。だが、ダンには奥さんがいた。病弱であまり外出できないらしく、そのせいで子供も作れなかったそうだ」
一度だけ行ったダンの家で会ったダンの妻。華奢な身体付き、処方されたたくさんの薬を食事が終わる度に飲んでいた。そして秦は時折見せるダンの苦悩に気付いていた。
「仕事も上手くいっていなかったらしい。ダンがヤクに溺れたのはそんな環境のせいなのかもしれない。けど、俺はダンを許すことは出来ない。ダンは間接的に誰かの命を奪ったからな。それでも、ダンは死んじゃいけない。けど、俺が殺してしまった」
近所の通報により、警察に保護される秦。ダンの死体は警官たちによって運ばれ、黒い死体袋に包まれてストレッチャーの上に乗せられていく。秦は涙を頬に伝いながら見守ってた。
「俺はそれからずっと悩んだよ。自分がこれからどうするべきか?どう償うべきか?俺は確実に地獄に落ちるんだろうって泣いた日もあった。色々と悩み、俺はこの道を選ぶことにした」
「……だから、人を殺さないように撃ってるのか?」
やっと慶太が口を開いた。
「……そうだ」
慶太はしばらく考えた。
「そうか。お前の考えが分かった気がする。けど……」
「けど?」
秦が問い直した時、秦の隣の壁からドン、重い物をぶつける音が聞こえて「ボソボソうるさいっ!」という美咲の怒鳴り声が壁越しに伝わった。
「しゃあない、寝るか」
白けてしまった秦がそう言い、身体を仰向けに戻すと瞼を閉じた。慶太もそれからは何も言わずに寝る事に集中した。
そんな二人の部屋のドアの向こうでは、聞き耳を立てていた瑠璃が立ち竦んでいた。
本当は盗み聞きするつもりではなかったが、気が付けば秦の話を静かに聞いていた。