9.秦と友人
お風呂が沸いたことで、瑠璃の指示により美咲が先に風呂に入ることとなった。
テレビを見たがっていた美咲も、さすがに鶴の一声には敵わず、渋々風呂の支度をし始める。
「覗いたりしないでよ」
キッと秦と慶太を睨み付け、美咲はそのままリビングを後にした。
秦と慶太は出ていく背中を固まったまま見つめる。
「お前みたいなガキ、誰が覗くか」
美咲が出て行ったリビングのドアにぼそりと吐き捨てる秦。慶太は何も言わずに秦を一瞥する。幸い、台所で洗い物を片付けていた瑠璃には届いていなかったようだ。
「ま、まあまあ。美咲姉ちゃんはいつもあんな感じだから……」
苦笑しながら健太が宥める。
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美咲が風呂から上がったのは入浴してから40分後だった。
「じゃあ、私もお風呂に行くから…」
「おっと、それでは」
瑠璃が立ち上がると秦も立ち上がった。そのままリビングの扉まで瑠璃の背後にぴったりとくっつくように歩く。背中に感じる強烈な存在感に思わず立ち止まる瑠璃。
「え、えぇっと……秦、君?」
「なんでしょう?」
「なんで……私に付いてくるのかな?」
エホン、とわざとらしい咳払いをする秦。
「それはもちろんボディガードなので。如何なる時も護衛をするように、裕子さんからも依頼されてますから。例え、お風呂といえども」
「え?」
キリッとした笑顔で答える。瑠璃は少し困った顔し、慶太に顔を向ける。
「慶太君、ボディガードっていうのは、そういうものなの?」
「そんなことありません」
即答で答える。
瑠璃は慶太に一瞥を送った後、秦に向き直る。そして安心したような笑顔を作る。秦も思わずつられて頬を綻ばせる。
次の瞬間、瑠璃の腕が振られ、秦の顔が横跳びに吹き飛ぶ。
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「くぅ~なかなかいてぇ……」
秦の頬には紅葉が咲いたように手のひら型の平手打ちの痕が残っている。椅子に腰かけ、まだ痛む頬をさする。
「くっそぉ~。お前もあーいう時は同意するんだよ」
ダイニングテーブルでお茶をすする慶太に悪態を吐く。慶太は無視を決め込んでいる。
「お前だってそうしたいよな? なぁ、健太?」
「え、えぇ~……」
健太に無理矢理振る。健太は戸惑い、困った顔をする。
「馬鹿な事言ってないで、外の警戒にでも行ったらどうだ?」
お茶を飲み終わった慶太がいう。
「まだうすら寒いのになんで俺が……って、そういうことかっ!?」
妙案が思い付いたのかすぐに立ち上がる秦。すぐに慶太が口を開く。
「覗くなよ。そういう意味で言ったわけじゃないからな」
思わずこけそうになる秦。「図星だろ」と付け加える慶太。
「ば、ちげぇよっ! お前の言う通り、あたりを調べに行くだけだっ!」
慌ただしくジャケットホルスターに腕を通し、その上に前開きのパーカーを羽織って外へと出ていく。
外に出ると周囲はほとんど真っ暗だった。家々に灯る明かりと点々と連なる街灯だけが周囲を照らしている。
さらに周囲を見回す。瑠璃が入っている風呂場は家の裏手であり、裏には住宅もあり、さらにその間の狭い敷地には玉砂利が敷いてある。これならばある程度の防犯は大丈夫だろう。
秦は近くの街灯に背中をもたれ、ケータイを取り出し、イヤホンジャックに片耳のイヤホンを差し込む。
連絡先を選び、テレビ電話の項目を押す。4コール目で呼び出しが止まった。
『いよう、秦っ!元気でやってるか!?』
タキオのでかい顔が画面いっぱいに移り出す。思わず秦はギョッとした。
「お、おう。タキオ」
すぐに画面にはかつての五号室の仲間のチャン、良太が交互に顔を出す。
『秦じゃねぇーか!元気か!?』
『おい、ヒロキも呼べっ!』
画面の向こうで好きなように盛り上がっている。相変わらずの仲間達だ。
『おい、秦。横山慶太とはうまくやってんのか?それと、対象のねーちゃんとはどうだ?』
タキオが興味津々で聞いてくる。
「まあまあってとこだな。護衛対象者は極秘事項だ」
秦が言ってのける。ヒュー、と思わずタキオとチャンが口笛を吹く。
『さすがプロは言うことが違うねぇ~』
タキオがそう言うと、満足げな顔をする秦。
「あれ、そういえばタキオ。もう最終試験があるんじゃないのか?」
秦の言葉にタキオとチャンが顔を見合し、すぐにニカッとした笑顔を向ける。
『そうだぞ秦。試験は今日で最終だったんダっ!』
「おぉ!」
『お前抜きで心配だったが、なんとかやり遂げたぜ』
「さすがは無敵の五号室チームだなっ!」
秦も思わず色めき立つ。
そうだ。思えば、自分も瑠璃の護衛がなければ、彼らと一緒に試験だったのだ。
『本当はお前と組みたかったぜっ!』
『いやぁー、やっぱ秦とやりたかったナっ!それだけが残念だゼっ!』
「そうだな」
互いにクスクスと笑う。
「俺も、本当は皆と一緒に受けたかったなぁ」
ぼそりと本音を呟く秦。
『しょうがねぇなあ。けど秦、いつかお前と一緒に任務が……』
画面の向こうで動きがあった。タキオとチャンが固まっている。
「なんだ?どうしたんだ二人とも?」
秦が問い掛けるも二人は微動だにしない。
次の瞬間、画面が動き二人の姿が消えた。代わりにバーンズとその背後で恐縮した良太の姿が映った。秦も思わず表情を強張らせる。
『秦。貴様、警護中ではないのか?』
ドスの効いた声がイヤホン越しに響く。
「あ~今はその、外で警戒中でございまして……」
バーンズの表情がみるみる怒りに満ち、大きく息を吸い込む。
『ばっかもんっっっ!!!!気を抜くなと言っただろっ!!!貴様らも貴様らだっ!!最終試験が終わったからと言えど、浮かれてる場合ではないぞっ!!』
バーンズの怒号がイヤホンを壊すのではないかというほど響いた。画面の向こうで寮生たちも慌ただしく動く。
『じ、秦、それじゃあまたなっ‼』
タキオが大慌てで通話ボタンを切った。
秦もイヤホンジャックを抜き、なぜかどこかでバーンズが見ているんじゃないかと思い、慌ててケータイをしまってさくらえんの寮に戻った。