8.夕飯のあとで
夕食の準備が完了すると瑠璃が美咲と健太を呼び、ダイニングテーブルで夕飯にありついた。
二人の義姉弟はどこか現金で、少し前の不貞腐れた態度はどこにいったのか、鍋にがっついた。秦も慶太もありついたが、慶太はある程度食べたら、すぐに席を立ち、自ら使った食器を台所に持って行った。
「あ、慶太君。食器の洗いは当番制だから……」
「じゃあ健太やってよ」
瑠璃が言い切る前に美咲が健太に振る。健太は思わず持っていた茶碗を置く。
「えぇー。昨日俺やったじゃん」
「それは昨日、夕飯私が作ってやったからでしょ?あんたが一番年下なんだから……」
健太が思わず頬を膨らませる。
「美咲姉ちゃん、それはズルいよぉ」
「あーもう、二人ともっ!」
言い争う二人に瑠璃がうんざりする。その三人を「まあまあ」と両手を伸ばして制止する秦。
「ここは仲良くやろうぜ。こういう時は公平にじゃんけんで決めるってのはどうだ」
秦がいうと、皆黙った様に頷く。一方で慶太は三人に一瞥もせずに黙々と食器を洗い始めていた。
「よし、それじゃあこのじゃんけんで負けた奴が食器洗いな」
「あ、それじゃあ次に負けた人がお風呂掃除して沸かす事にしよう」
瑠璃がウキウキと付け足す。全員が真剣な目で頷く。食器を洗い終わった慶太はそのままから拭きで食器の水気を拭き取る。
すぐに皆が片手を突き出す。秦がごほん、と小さく咳払いする。
「最初はグー……じゃんけん、ポンっ!」
一斉に手を出す。秦はグー。皆がパーだった。
「なっ……」
「やったー‼」
美咲が大げさに喜ぶ。秦は屈辱だったのか、グーのまま小刻みに震える。
「はいはい、じゃあ次はお風呂当番ね」
瑠璃達が次のじゃんけんに移る。まだ固まる秦を一瞥する慶太。
「馬鹿」
聞こえるか聞こえないかの瀬戸際で呟き、慶太はそのまま手を拭き、台所を後にした。
― ― ― ― ― ―
その後、夕食の片付けも終わり、じゃんけんに負けた瑠璃が風呂を掃除して風呂を沸かす。
リビングでは美咲と健太がテレビのチャンネルで争いになり、リモコンを取り合う。
ダイニングテーブルには瑠璃と秦がつき、慶太は何を告げる事もなく外に出て行ってしまった。恐らく、家の周囲を確認するためであろう。
美咲と健太の姿を眺めていると、不意に瑠璃が「ねぇ」と声を掛けてきた。
「秦君ってなんでボディガードチルドレンをやろうと思ったの?」
秦は「うーん」と思い出す素振りをする。
「俺の身の上話だけど、小さい頃から両親がいなくってさ。昔っから両親と仲が良かったっていうおじさんの家で暮らしていたよ」
思わずしまったというような顔をする瑠璃。だがそんな心中を察して秦は「気にしないで」という。
「ごめんね」と前置きをいい、瑠璃は思い切って尋ねる。
「お父さんとお母さんはどうしていなかったの?」
「飛行機事故で亡くなったんだよ。俺が物心つく前だから、正直に言えば実感が湧かないんだ。その代わり、おじさんが親代わりだったから、あまり気にしてないけどね」
「そっかぁ」
「中々なおじさんでね。詳しいことは言えないけど、政府関係の仕事をしていてさ。腕っぷしも強くて頭も切れるんだ」
主に悪いほうだけど、と付け加えて笑う。瑠璃も釣られてクスリと笑う。
「小さい頃からおじさんには色々突き合わされたよ。キャンプから格闘術。キャリフォルニアに行けば銃の撃ち方も教わった。中々ハードボイルドなおじさんだよ」
話が脱線しているのは分かっていたが、瑠璃は秦の生きた世界に興味が湧いた。
「なんか、世界が違うね」
瑠璃は想像する。アメリカの筋肉もりもりのハリウッド俳優のような男にしごかれる小さな秦。想像だけでも中々面白い構図だ。
「一番すごかったのはワニを捕まえた事だったなぁ」
「ワニっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げる。
「そう。アメリカって結構ワニが多くってさ。そいつを捕まえたんだ。とは言っても、俺一人じゃなく、おじさんと、その友人とかもいたけどね。それで俺がさぁ、ライフルをこう構えて……」
秦が手にライフルを持った格好をし、水平にゆっくりと動かす。そしてバン、と口で言って身体を震わせる。
「まったく当てらなかった、とさ」
秦がさらりと言い、瑠璃の笑いを誘う。
少し笑った後、瑠璃は急に先の空港での銃撃のシーンが頭に過ぎった。終わり切った笑い声が乾き、表情が沈む。
「ねえ、秦君。気を悪くしないで欲しいんだけど……」
秦は「なあに?」とさっきと同じ調子で聞き返す。
「人を……撃った時って、どんな気分だった……?」
その言葉に秦は笑みを消し、真剣な顔付きになった。その瞬間だけ、リビングでチャンネルの取り合いに勝った美咲と不満を漏らす健太の声がどこか遠くに感じられた。
秦はしばらく考えた後、口を開く。
「最低の気分だった、かな?」
「そう、なんだね……」
神妙な面持ちで部屋の片隅を見つめる秦。その目はどこか遠かった。秦は続ける。
「自分の事を嫌いになるよ。あーすれば、とかこーしておけばとか、色々考えるよ。後悔なんて、いつだって後からついてくるのは分かってる。ましてや、人の命を奪うものを扱ってるしね」
視線を戻し、瑠璃に向き直る。
「それでも、世の中には理不尽な事が多いんだ。それはきっと今の瑠璃ちゃんの状況のように、ね。だから、この仕事を選んだのかもしれない」
言い切ると、また視線を遠くに戻す。そんな秦に思わず瑠璃は見惚れてしまった。
確かに、秦のいう通りなのかもしれない。数日前に、そんな状況に陥ったからこそ、そう思えるのかもしれない。
少しして、瑠璃の視線に気付いた秦が見つめ返す。瑠璃はハッとし、慌てて手を前にして振る。
「あ、ああ。ごめんね。変なこと聞いちゃって、別にそんな大した事じゃないんだ」
そんなとき、お風呂が沸いたことを知らせるタイマーが鳴り響く。
まるでそれが合図かのように慶太がリビングに戻ってきた。
「お風呂が沸いたようですね」
戻ってくるなり、開口一番に告げた言葉だった。