14.敵は誰だ?
襲撃者が放った弾痕がいくつにもついたガラスを指でなぞり、ふう、とため息を付く慶太。
「防弾ガラスに助けられたな。さすがは大企業だ」
慶太が助手席に映り、フロントガラスを触る。弾丸はガラスを打ち破らなかったものの、ガラスに小さな傷をいくつも付けた。
「この防弾ガラスは?」
「急ごしらえなので簡易的なものと聞いております。それでもライフルの弾は通りませんよ」
指で助手席側に撃ち込まれたガラス弾痕をなぞり終えると、運転席側を見る。運転席側は幸いにも銃弾の痕は残っておらず、撃たれて割られる心配はなさそうだ。
「油断は禁物です。防弾ガラスとは言え、何発も食らえば当然割れます」
かしこまりました、と少し緊張な面持ちで答える志摩。なんだか掴めない男だ。慶太はルームミラーを動かし、後方を確認する。後続車に不審な車は見当たらない。後部座席では初めての銃撃戦にショックを受けている瑠璃を宥める秦が見える。
「瑠璃ちゃん、大丈夫?」
秦が問い掛けるが、瑠璃は俯いたまま答えない。身を乗り出し、顔を覗き込もうとした時、強張って膝の上で震える手に雫が落ちるのが見えた。
「分からないよ……」
「え?」
震える唇が徐々に動く。
「分からないよ……。だって一か月前までは私は施設で育ってて、突然お父さんだって人が、すごく大きな企業の社長で……。それで名字も変わって、急に色んな人が私の周りに来て……。そして今日、いきなり二人が来たと思ったら、鉄砲で撃たれて……。こんなの全然分からないよっ!」
最後の方はがなり立てていた。瑠璃のその目から大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。
「お、お嬢様……落ち着いてください」
涙を流して取り乱す瑠璃を志摩が諭す様に言う。一方で慶太と秦は落ち着き払い、二人の様子をただ見つめていた。そんな二人を瑠璃は交互に見遣る。
「ねぇ、秦君も慶太君も何も知らないのっ⁉」
二人は同時に首を横に振る。
「残念ですが、彼らは何も知らないのです」
志摩が取り付けるように言う。まだ涙を流す瑠璃を尻目に秦が身を乗り出して尋ねる。
「志摩さん、俺達も逆に聞きたい。連中はナニモンだ? 確かに瑠璃ちゃんの親父さんは世界的企業の社長だが、JFK空港でドンパチ決めるような馬鹿な集団が付け狙うなんて」
眉一つ動かす志摩は黙って聞いていた。秦は続ける。
「奴らは素人だった。銃の撃ち方から展開の仕方まで。だが最初の配置はそれとは言えない。恐らく…」
「秦、そこまでにしておけ」
秦の言葉を無理矢理遮った。すぐに怪訝な顔を慶太に向けると志摩が口を開いた。
「実は……以前から英造様を狙う輩は多かったのですが……。最近英造様が進めた『トランジッタメディカルコーポレーション』のM&Aをご存知でしょうか?」
「エムアンドエー?」
「Mergers and Acquisitions。企業の合併や買収だ」
すかさず慶太が呆れた声で言う。頷く志摩。まだ頭の上にクエスチョンマークを浮かべている秦を尻目に、慶太は自ら言葉を紡ぐ。
「ニュースでも見ました。確か、経営不振が続いたトランジッタメディカルがヤダナギコーポレーションに経営再生という事で、買収されたという事で…」
志摩がまた頭を上下に動かす。一方で馬鹿にされた挙句に話に入れない秦は歯切れが悪そうに苛立っている。慶太の話は止まらない。
「だけど、医療事業ならばヤダナギにもグループ会社があるはずですが……」
志摩の表情が変わる。声が少し低くなる。
「そこなのです。私は英造様の会社の事業政策や経営方針などは存じ上げません。ですが、週刊誌の情報では、トランジッタメディカルは確かに赤字だったのですが、大きな赤字ではなく、これから遠隔医療ロボットシステムの開発に試験的に成功したばかりらしく……」
「つまり救済合併ではなく、ノウハウや技術の吸収合併であったと……」
「そう書かれておりました。そして合併後、トランジッタメディカルの幹部は左遷されたり、自主退社にまで追い込まれたそうです…」
「な、なぁ待てっ! 話が全然追い付けねぇっ! つまりどういうことだ?」
二人の会話に付いて来れない秦が遮る。瑠璃も付いていけなかったらしく、秦のように志摩と慶太を交互に見つめる。
「……簡単に言えば、せっかく作った会社の商品を、会社ごと横取りされた挙句に社員は会社から追放されたということだ」
「つまり、その復讐の対象が父親ではなく娘の瑠璃ちゃんに?」
慶太は「その可能性がある」と頷く。
言い切ると誰も返事せず、小さな沈黙が生まれた。妙に重苦しい空気が車内に充満し少しして、同じように小さな溜息を吐いた瑠璃が口を開く。
「ごめんね、急に取り乱しちゃって。私、お姉さんなのにね」
先程とは打って変わった様にぎこちない笑顔を浮かべ、二人に微笑む瑠璃。その場違いのような笑顔を無理矢理作って、皆を安心させようとする瑠璃の心情が垣根見えたのが分かった。そんな瑠璃に秦が微笑み返す。
「大丈夫だよ、絶対に俺達が君を守り抜くから」
慶太は鼻でふーと息を吐き、「それが私達の任務ですから」
「私達は完璧にあなたを守ります。それが、私達に課せられた任務なのですから」
そう言い切る慶太に瑠璃はくすりと笑い、「そうだね。頼りにしてるね」と微笑んだ。
ほーん、と秦は感心したように目を見開いて、少しして身を乗り出して助手席の慶太に顔を近づける。
「相変わらず可愛くねーでやんの」
小声で囁く。慶太はキリッと横目で睨む。
「仕事中だぞ? 遊びじゃないんだ」
「もちろんだ、今だってこう見えて周囲を警戒してる」
「注意散漫という言葉を毎度レポートで書かれた奴が言うセリフか?」
秦が何か言うと、慶太が不機嫌そうに返す。後ろから見る二人の凸凹さに瑠璃はどこか安堵し、二人に見られないに頬を緩ませた。