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ボディガード・チルドレン  作者: 兎ワンコ
第五章番外・日常編
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理髪店店主の悩み・後編

 一方で、皆と離れた秦はトイレには行かず、高等部の校舎と小体育館の間にある外連絡通路で、少し錆びたトタン屋根の下にある自動販売機で、やたら甘い微糖の缶コーヒーを買っていた。

 片手だけでプルタブを人差し指を先端で器用に開けて喉に流し込む。一息をついた後、連絡通路に設けられたアルミ製の衝立に背中を預ける。

 遠くを見ればピンクの桜の花びらはもう散って路上でくすみ、初夏の到来を告げる緑の葉が生い茂っている。だが、秦の瞳には別の光景が映っていた。


「人殺し、かぁ」


 誰にいう訳でもなくぼそりと呟く。

 覚悟はしていた。いつかは()()()()()()()()()()()が来ると。人を殺したのはあの時が初めてじゃない。だが、こうも全てが終わった後でも心のどこかで引き摺るものがあるとは


 レイブンの兵士たちは悪党も居ただろうが、そうでない者も居ただろう。

 自分の中で渦巻く罪悪感が肥大しかけたその時だった。


「よう、秦じゃあねぇか」


 ドスの効いた声に我に返り、秦は声の主に振り返る。そこには細い目を更に細くさせてニコニコしている礼二と、同じクラスメイトで礼二と同じアメフト部のマネージャーを務める春島(はるしま) (なぎさ)が隣にいた。

 渚は耳が隠れるか隠れないか程のショートヘアに、毛先が少し内巻きになった髪を指先でいじり、勝気な女の子らしい強いキリッとした瞳で秦を見据えている。


「呆れた。ボディガードの癖に一人でこんなところにいて」


 礼二に負けないほど通る声で渚はいう。


「あぁ、ひどい言われようだけど、否定できねえなぁ」と言ってのけると自虐的な笑みを浮かべる。

 そんな秦に礼二は両腕を胸の前に組み、組んだ右手を顎下にくっつける。


「なんだか落ち込んでるな」


「そうか?」


「そうだ。そうやって即答する奴に限って、大体落ち込んでいるんだ」


 礼二の決めつけに笑おうとしたが、どこか納得のいった秦は「あー」と声を漏らす。


「まあ、色々だな。大した悩みじゃねーけど、話して解決するもんでも……ないかな?」


 誤魔化すようなセリフを並べる。さすがの秦も「人を殺しました」なんて、同級生の前で言えるわけがない。


「大した悩みじゃないなら話しちゃえばいいじゃん」


 ぶっきらぼうな態度で渚が秦を突く。言葉の揚げ足を取られた秦は少し困ったが、礼二が渚を諭す。


「渚、そりゃあ男にだって悩む時はあるんだよ。ダチにも言えないような悩みが、よ」


「なにそれ? 男の悩みなんて、どうせ“女にモテたい”だとか、“いいとこ見せたい”とかぐらいじゃないの?」


 渚の言う事はごもっともだと思う秦。ただ、全ての男がそうとは限らないと突っ込みたい気持ちも湧き上がる。


「あのなぁ……。まぁいいや」


 渚の発言に呆れた礼二は秦に向き直る。


「なあ秦。お前だってボディガードだなんて言っても、同じ年の人間なんだ。悩みがあって、困ってるんだったらいつでも言えよな。そん時は力になってやるぜ」


 礼二は鍛えた右腕の二の腕をパンパンと叩き、誇らしい笑みを浮かべる。そんな明るい礼二の顔を見ていた秦も、釣られるように頬を綻ばせる


「あぁ、ありがとよ、礼二」


 秦は拳を突き出し、礼二が答える様に秦の拳に自分の拳をぶつける。男同士の軽くて単純だけど、頼りになる約束の交わし。

 拳を降ろした秦はふと思った事をそのまま口にする。


「ところで、二人ともこんな所で何してんだ。デートか?」


 からかいと皮肉を交える秦。渚は急にキッと睨み、何かを言おうと口を開けるが、それよりも早く礼二が話す方が早かった。


「んーなわけあるか。俺達はこれから隣の小体育館で部活のミーティングだ」


 言い切ると、ガッハッハと高校生らしかぬ高笑いを浮かべる。


「なんだ、そうなのか」


「はいはいっ! もう無駄話はいいから行くよっ! キャプテンが遅刻したら示しつかないでしょっ!」


 わざと残念そうな顔を浮かべるに秦に、渚は力任せに礼二の背中を押してその横を通り過ぎようとする。


「おう、そうだな。悪いな秦。またな」


「おう」


 すれ違い様に礼二が片手をあげ、秦も同じように返してやる。自分より一回りも小さい渚に背中を押される礼二の姿はどこかシュールな絵だ。秦はそのまま二人の背中を見送ってやる。


「早く髪切って来い、バーカ」


 負け惜しみなのか、照れ隠しなのか、渚は肩越しにイーっと舌を出す。礼二には見えてないが、その顔はほんのりとピンクに染まっていた。

 二人が去っていくのを見送った後、秦は少し考えた。

 先程の悩みはまだ消えたわけではないが、少しだけ気分が和らいだ。

 なぜだろうか? 求めていた答えは出たわけじゃないが、なぜか答えに近づけたような安心感を得た気がする。

 秦はもう少しばかり遠くに広がる緑と、暖かくなった陽射しに晒された青空に目をやった。



 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―



 学校が終わり、寮に戻るなり秦はまたあの美容室に向かった。

 夕暮れの中、どこか辛気臭い商店街を抜け、真っ直ぐにあの美容室に向かう。

 美容室のドアには特に休業をするような看板は掲げられていない。秦は躊躇なしにドアを開けた。

 カランカランと鈴の音が鳴り、すぐ目の前にはあの店主がいた。こちらに振り向くなり、店主は驚いた表情を一瞬だけ浮かべ、すぐに穏やかな顔に切り替える。


「や、やあ。いらっしゃい。また来てくれたんだね」


 少しどぎまぎしている店主。


「うん。昨日は切って貰えなかったからね。今日こそはと思ってね」


 秦は昨日と同じ調子で言ってのける。


「あぁ……。そうだね、昨日は悪かったね」


 ぎこちない動きをしながら店主は秦を椅子の方へと誘導する。秦は昨日と同じように椅子に腰掛ける。

 店主はどこか落ち着かない様子でストレッチャーを運んでくる。背後の辺りまで来た時、秦は口を開く。


「おじさん、昔レジスタンスだったんだって?」


 秦の言葉に店主の手が止まる。店主はまたストレッチャーの前で前かがみの状態で微動だにしない。秦は続ける。


「すっごくカッコいいじゃん。この地元の為に戦ったんだって」


 秦は言ってのけるが、店主の指はどこか小刻みに震えていた。

 やがて震えを隠すかのように店主はストレッチャーに手を置く。


「あぁ、そうだね。でもね、いい事ばかりじゃないんだよ」


 店主は達観した様子で天井を仰ぎ見る。


「あの時は、僕も若かった。君よりも少し歳は上だったけどね。僕はこの国を守りたい、地元の皆を守りたい。そんな一心で戦ったんだ。あの時の自分は、すごく誇らしいと思えたんだ」


 店主の目はとても儚げだ。

 秦は思う。もし自分も歳を取れば、彼のようになるのだろうか? そんな秦の思考など知る由もない店主は続ける。


「『あれは戦争だった』 そんな言葉で片付けても、人を殺めてしまった事実は変わりないんだ。相手が悪かどうかなんて、問題じゃない。倫理的な……そう、道徳的な問題なんだ」


 店主のいう事はまさにその通りだ。人を殺めてしまったら、もう後戻りは出来ない。一生罪を背負わなければいけないのだ、“人殺し”と刻まれた十字架を。


「だけど、あの戦いが終わって、もう十数年以上が過ぎた。僕は英雄なんかじゃない。こうして店を始めてみても、誰一人として寄り付きはしない。仕方ないよね、僕はなんにせよ、人を殺してしまったから」


「それが、僕の過ちなんだ」 最後に店主はそう締めくくる。その言葉に秦は少し前のレイブンの一件を思い出す。

 なるべく人を殺さないように心掛けていたが、あの時ばかりは仕方なかった。そして、いつかはこうなるだろうという予想と覚悟はしていた。それでも、心のどこかで引き摺るものがある。

 しばしの沈黙が続く。やがて秦は伏目がちの暗い顔をした店主に向けていう。


「……おじさん。俺、失敗した時にいつも思う事があるんだよ」


 店主がゆっくりと顔を上げる。


「“あの時、もっとこうしていれば”とか“自分にはあれ以外の選択肢はなかったのか?”とかさ……。でも、大事なのはきっと、それが“間違いだった”、って決めつけないことだと思う。だから、他人が失敗だと言ってきても、俺は決めつけない事にしたんだ」


 店主は秦の言葉にどこか戸惑った表情を浮かべる。


「そうかい……。でも、それだけだとちょっと……寂しいと思わないかな?」


 店主がそう告げると、秦は間髪入れずにうん、と強く頷いた。


「そうだね。今のおじさんを見ていたら、俺もそう思ってきたよ。だからさ、俺がおじさんを許すよ」


「許す?」


 飄々と話す秦は最後にニヤリと笑って見せる。店主は照れ臭そうな、恥ずかしそうな笑みを浮かべ返す。

 秦は脳裏で慶太の事を思い出す。あの日、過去の話をした慶太を。


 慶太の生い立ちを聞いていて思ったのは、あいつはきっと後悔ばかり続けてきたんだと感じた。それでも、あいつが足を止めずに前に進むのは、自分の中でまだそれを許せないからだと思う。むしろ、そんな審判を下すのは今ではないのだと感じたからだ。

 それから秦も考えた。ずっと悔やむよりは、まず先に進むのだ。この先に何度失敗があろうとも。

 そして、それが出来るのは、誰かが自分の存在を“許して”くれるからなのだとも考えたのだ。


「おじさんはさ、きっと過去の自分を許せずにいるんだよ。きっと一人だと、自分なんて許せるはずないんだ。だからさ、自分を許してくれる人が一人でもいたらいいじゃん。それ、俺じゃダメかな?」


 ニッカリと笑って見せる秦。


「そうか……。それも、いいかもね」


「でしょ? だからさ、気に病むことなんかねーよ」


「んじゃあ、お願いするね」と秦は深く背もたれに腰掛け、正面の鏡を見つめる。

 店主は気を取り直して散髪用のケープを取り出し、秦の身体に掛ける。


「それじゃあ、まずは洗髪するから」


 秦の乗った椅子を回転させ、シンクに倒す。秦の頭を丁度良い位置に固定するその店主の指に、もう震えも迷いもなかった。



 ― ― ― ― ―



 散髪を終えた帰り道、夕暮れの中で吹きすさぶ潮風が、軽くなった髪の毛をサラサラと(なび)かせて過ぎ去っていく。


「“真の失敗は、剣を振るわずに立ち竦む者”、か」


 誰に言う訳でもないひとり言を風に乗せる。

 そのひとり言は風と共に住宅街を通り過ぎ、見えない日本海のどこかに飛んで行った。


 秦は思う。自分がこれから進む道の中で、突然立ち止まってしまい、振り返ってしまう日が来るのだろうか?もしそうなった時に、俺はまた元通りに歩き出せるのだろうか?


 歩きながら、色んな事を考える。

 ただ、髪を切り終わった後に見せた、どこか吹っ切れたような店主の穏やかな顔を思い出す。あの穏やかな顔を思い出すだけで、まだ迷いなく歩き出せる気がする。


 頭と足が軽くなった秦は、少し歩幅を早めて寮へと向かう。

 沈みかけた夕日が真正面に自分を移す。

 まだ、自分の歩く先には光がある。それが、あのさくらえんの中にあるのだと。今はそう信じよう。




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