34.おやすみ、マシュー
そう締めくくると慶太は語り終えた。
気が付けば時計の短針は深夜一時を過ぎていた。話の途中で飲んでいたコーヒーも、今ではすっかりカップの底で冷え切ってしまっている。
神妙な面持ちで慶太の話を聞いていた二人も、聞き終えた瞬間に互いに顔を見合わす。瑠璃の顔はどこか気まずそうで、秦も自分たちが作ってしまった沈黙の重さに耐えきれなそうであった。
そんな空気を悟ったのか、慶太はフフっと意味深な鼻息を吹かす。
「つまらない話をしたな」
皮肉を交えた笑みを浮かべる。そんな慶太の反応に瑠璃はさらに困っていた。無理もないだろう、まさか年下の子供だと思っていた相手が、まさか自分の一回りも上も生きていたのだからと秦は思う。
秦は「なるほどなぁ」と切り出し、カップの底に残った冷めたコーヒーを一気に飲み干す。
「こんな話は、本当はしたくなかった。どうも、こういう話をするのは苦手でさ」
言い終えた後にまた無理に空笑いを作る。瑠璃は思わず、「……ごめんなさい」と漏らす。
秦は少し考え、「まーねー」と苦笑いを作る。少し溜めを作り、すぐに切り出す。
「だけど、慶太は慶太だ。俺は慶太がどんな道筋を通って、ここまで来たのか?それがわかって嬉しい限りだ」
秦の言葉に慶太は困ったように視線をテーブルに落とす。秦はそれがまるで照れているかのように思えた。
「そうまでハッキリ言われると、なんだか反応に困るな」
慶太は下唇を軽く噛んで言葉を濁す。そんな様子を見た秦は続ける。
「お前がどんな奴だったか、それはそれでいいんだ。俺が知ってる慶太は、いつも前を向いて先をどうするか?これから何をすべきか、考えてくれる後輩だ。それは変わらねえ。なんせ、俺の方が戸籍上では年上だからな」
言い切るなり、にっかりと笑う秦。
「……呆れるぜ。お前は同年代から見ても、馬鹿丸出しだ」
吐き捨てるように言うと、互いにクスクスと笑いだす。
秦のおかげでどこか重かった空気が晴れたようで、瑠璃は安心して頬を緩ませる。
しばらく笑い合った後、秦は壁に掛かった時計を見て笑みを消していく。
「さ、もうこんな時間だし、そろそろ寝ようか」
秦の視線と言葉につられて、二人も時計を見る。
「あぁ、そろそろ寝よう」
「そうだね、おやすみ」
三人はそのまま連なるようにダイニングを後にしていく。
― ― ― ― ― ― ― ―
その日の夜、慶太はベッドに転がるとすぐに睡魔が襲った。
ここまで気持ちよく睡魔に包まれるのはいつぶりだろうか?先のレイブンの襲撃事件の直後もそうだが、今日はなんとなく違う気がする。
眠りに落ちる寸前、ついさっきの秦の言葉が蘇る。
「慶太は、慶太だ」
些細な言葉だ。でも、なぜだろう?その言葉だけで胸が救われた気がする。
マシュー、伍長、ブギーマン、軍曹、プロト。様々な名前や暗号名で言われて来た人生を歩んできた。けど、今日の秦の言葉で何か変わった気がした。
ふと慶太はあの曲を思い出した。トリチェスタンで皆で歌ったあの曲を。
ケータイ電話を開き、インターネットに繋いで、すぐに検索を掛ける。数十年も前の曲なので、すぐに動画サイトのプロモーションビデオ付きが表示された。ページを開くとケータイ電話に備えられた小さなスピーカーから、イントロのアコースティックギターの音色が流れる。
”ハイウェイを走る 君は横でうなだれたまま”
懐かしいメロディが流れると、ケータイを枕元に置いて目を瞑る。
優しいメロディと少し高い歌声が眠気を誘き寄せてくる。呼び出された睡魔の中に囚われる寸前、慶太は胸の中で呟く。
おやすみ、マシュー・ジェンソン。
“さようならベビーフェイス さようならベビーフェイス”