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ボディガード・チルドレン  作者: 兎ワンコ
第五章・グッドバイ・ベビーフェイス
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31.新たな身体

 

 明くる日、俺は病室を移された。


 新たな病室は病院と同じような作りで、真っ白な清潔なシーツに少し柔らかいマットの上に寝かされる。


 そこで初めて頭の包帯を取ってくれた。ベンダーが見たくもないのに少し大きい鏡を持って俺の顔の前に出す。


 包帯したから現れた髪の間から、切開したと思われるであろう縫合痕が見える。俺は指でそっとなぞり、その感触を確かめる。


 ベンダーは頼んでもいないのに説明してくれた。俺が撃たれたあの日から、今日でちょうど五カ月になるそうだ。ズタボロの俺は回収されて緊急手術を行ったが、植物人間状態でそのまま本国の軍病院にずっと入っていたそうだ。それまでずっと意識は戻らなかったらしい。


 それから二か月後の十月、アメリカ政府が極秘裏に開始した秘密実験プロジェクトの対象として俺の名前が挙がったそうだ。そしてその日、俺は死亡した事になったらしい。


 その後、俺はどこで拾ってきたか知らない東洋人の十二歳の少年の脳を取り換え、蘇生処置を行ったらしい。聞いていて、まさに荒唐無稽で漫画やアニメの世界の話としか思えない。


 だが、それが荒唐無稽でないという証拠が、俺自身となる。


 ベンダーはひとしきり説明を終えた後、ガードマン二人に退出するように促す。二人は何の疑いもなく、そのまま病室の外へと出て行く。二人が出て行ったのを確認すると、ベンダーは近くにあった丸い背もたれのないパイプ椅子を引き寄せ、俺のすぐ真横に座る。


「君がなぜその身体になって生き返ったか? 君は誰よりも仲間の為を思って戦っていたからだ。だが、どうだい? アメリカ国民は無関心だ。更に言えば、他国の戦争に付き合うことはないとまで言ってのける。メディアは汚れ仕事を請け負った君たちをまるで殺人鬼のように扱い、何も知らない政治家が票集めの為に好き放題ばかり言っている」


 この間とはまったく違う事を言うベンダーを心の中で笑った。まるで読心術でも持っているようだ。だが、心の底からこいつは信用できないとも思っている。ベンダーは続ける。


「この国を正しく導くには、もっと裏で動く人間を増やすことだ。私はそう思って彼らの為に働いている。だから、君の手術も快く受けた。君にとっては迷惑かもしれない。だが、君は選ばれたのだ」


 感動的な台詞だ。まるで映画のワンシーンのようだ。俺はこの理解ある聖職者の顔に向かって言ってやりたかった。失せろ(ファック・オフ)と。


「君がどう思っているかは知らないが、この国の方向は非常によくない」


 ひとしきり話したベンダーは人差し指を俺の前に立て、持っていたバインダーの中から一枚の新聞記事を取り出す。見出しの大きな文字には『トリチェスタン、泥沼化の兆しか?』と掲げられていた。


「君が意識のなかった四か月間、あそこへの関心は大きく変わってしまった。読み上げるよ」


 んん、と喉を鳴らし、ベンダーは胸ポケットから老眼鏡を取り出し、新聞記事の小さな文字に目を通す。


「“アメリカ政府の発表によれば、これまでの戦闘によってアメリカ軍1400名以上が死傷している。これに対しアムドフェルド国防長官は『彼らに対しては哀悼の意を表明している。これ以上戦闘を長びかせないために、アムルタート・ハフヌスの逮捕に尽力を注ぐ』と声明を上げた。これに対し与党からは痛烈な批判が上がっている”、と。 それから……“世論調査の結果では、国民の79%が『アメリカ軍は撤退すべきだ』と回答した。このままでは大統領への指示も薄まるのでは?という声も上がっている”」


 ベンダーが読み上げるのをやめ、新聞を降ろして俺に目を向ける。


「こんなひどい記事があるか? 半年以上前まで、国民はトリチェスタンに行って悪い奴らをやっつけろと言っていたんだぞ? こんなふざけた話があるか?」


 大げさに両手を上げて見せるベンダー。こいつが俺に何をしたいのかよく分かった。だから敢えて大きく頷いてやった。

 ベンダーは俺の反応に満足したのか、息を巻いて喋り始める。


「そう思うだろう? あそこで何があったのかは、君は一番知ってるはずだ。アフガニスタンでもそうだ。本当に悪い奴らは雲隠れし、自分たちが忘れた頃にまた出てきて、我々を脅かそうとしている。なのに、国民はさも一時的にその場の平和に酔いしれ、液晶テレビから流れ出す映像に道徳心を煽られ、掌を返したように批判ばかりしている。こんな事があっていいわけない」


 ベンダーが興奮しながら早口で捲し立てる。俺は奴の言葉に合わせるように、ゆっくりだがまた頷いてやった。

 取り乱した自分に気付いたのか、もう一度んん、と喉を鳴らして「失礼」と一呼吸置く。


「すまない、つい頭に血が昇ってしまった。つまりだ、そんな無知な国民と阿呆なメディアを律するためには、誰かが正さなければいけない。それはもちろん、手を汚すような仕事になる。だけど、それが出来るのは君だ」


 ベンダーが少し血走った目で俺を見据える。殺気立つとまではいかないが、その力のこもった肩からは、言い知れぬ強迫観念を感じる。


 俺には綺麗事など、どうでも良かった。ただ、こいつらに従わなければまた殺されるのだ。また殺されるのなんて、ごめんだ。


 俺はしばらく思考を巡らせ、「わかりました」とだけ告げた。


 俺の言葉を聞いたベンダーは満足げにニコリと笑みを作り、すうっと立ち上がる。


「ありがとう。やはり、君は正しい選択が出来る人間のようだ」


 そう告げてドアの方へと去っていく。


 正しい選択だと? 馬鹿な事を言う。選択なんて、俺に出来るわけがない。ここにはそれ以外の道は残されてないんだ。

 ドアに手を掛けようとしたベンダーがハッと、何かを思い出したかのように振り返る。


「そうだ、言い忘れてしまいそうだった。明日からリハビリを始めよう」


 反吐が出そうな笑みを浮かべ、ベンダーは去っていった。


 俺は奴が去っていくのを見届けた後、しばらく考えた。恐らく、俺がこれからやらされるのは、誰もが目を背きたくなることだろう。


 暗殺? 破壊工作? 諜報活動? たぶん、思い付くようなこと全てだ。


 そして奴の発言やここの施設を考えて、恐らく俺はNSAなんかの諜報機関かエリア51の地下なのかもしれない。正確な事は俺の乏しい思考では分からない。


 ただ、これから奴らの犬のままでは、間違いなく殺されてしまうのは馬鹿でも分かる事だ。


 ― ― ― ― ― ― ―


 次の日からリハビリは始まった。

 味気のないバランスの取れた朝食を取らされ、歩行訓練から始まった。


 施設の中は広大で、暗証番号とカードキー付きのエレベーターで案内された別の階には、ジムのような施設があった。


 そこでまだ力の入りきらない手足を懸命に動かし、まず健常者と同じように動けるまでリハビリは続いた。

 一か月もすればランニングマシンやサイクリングマシン、そしてベンチなどの訓練が行われた。


 他にも学習部屋のような所に移され、そこで俺は様々な勉強をやらされた。


 尾行術や心理学術、それから対人戦闘の座学。ある程度の事は知識として頭に入れた。だが、元から軍隊でのトレーニングの項目にあったものが多く、正直内容は大したものではなかった。


 それから心療内科のドクターもやってきて、心のケアも受けた。これは非常に感謝した。


 いくら新しい身体だからといったって、心はあの時のままだ。眠れば、自分が死んだときやアフガニスタンやトリチェスタンでの戦闘がフラッシュバックする。


 俺を担当した医師はブライアンという男であったが、俺は彼に全てぶちまけた。


 ブライアンはふくよかな体形で、身体と同じく心も大きかったのか、顔をしかめることなく話を聞いてくれた。彼の言葉と処方される薬で、幾分かの悩みは減った。


 彼のサポートもありながら、俺はトレーニングを継続していった。

 ある程度の筋肉がついたら、今度は実戦に向けたトレーニングに移る。


 施設の中にあるレスリング部屋のような所に移動され、筋肉もりもりで自分より二回りもでかい男と手合わせするが、最初は酷い目に遭わされた。


 いくら過去に訓練していたからと言えど、慣れない身体と体格差で俺は何度もマットに沈められた。気を失う事も多々あり、幾度か気道を潰されそうになったか。

 他にも苦戦したのは射撃訓練であった。


 こちらもまた別の階に移され、周囲を薄暗いグレーのコンクリート壁で覆った射撃場に案内され、そこで各国の銃を撃たされた。


 やはり、体格や筋肉の違いで銃を反動や動作は変わる。


 慣れ親しんだと思っていたM4カービンはひどく重く感じ、俺には扱いにくかった。9ミリ口径のハンドガンも、手の小ささから酷く握りづらく、リコイルショックやライフリングの引っ張りでひどく手の中で暴れた。


 だが、弱音を吐いてはいられない。レスリング部屋も射撃場でも、どの部屋にも大きなマジックミラーがあり、そこで俺の事を見ているどこかの誰かのお眼鏡に叶わなければ、俺は殺される。そんな事は、もうまっぴらだ。


 俺はそれから数カ月間、必死にしがみ付き、足掻いた。

 何度か心がくじけ、苛立ち、トイレの鏡を拳で割ったことがあった。


 自分に腹が立ったんじゃない。鏡の目の前に映る自分が憎かった。知らない誰かをゲームのようにプレイしている気分だったんだ。こいつは俺じゃない、こいつは俺じゃない誰かだ。そう思う度にむかっ腹が立ったんだ。


 ― ― ― ― ― ― ―


 それから半年もすれば、俺は地獄のトレーニングを切り抜けた。


 ベンダーも目を丸くして驚いていたよ。たったの半年ほどで回復し、トレーナーである成人男性を倒し、カービンライフルを扱えるようになれば誰だって驚くだろう。


 俺がカービンライフルを降ろすと、奴は気を取り直すと狂喜乱舞して俺の肩を掴む。


「す、すごいっ! プロト君、君は最高だっ!」


 俺の髪に奴の唾が掛かり、ひどく不快な気持ちだった。それを我慢し、俺は奴に頷く。

 奴は目を血走らせ、マジックミラーに振り返り、満面の笑みで仰ぐように両手を差し出す。


 どうやら俺はテストされていたようだ。見えない試験官にベンダーは訴えかけている。

 その日、俺はまたいつもの様に部屋に戻された。状況が変わったのは次の日からだ。



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