20.女性レンジャー隊員エル
オーバーウォール作戦から一週間が過ぎた二月三日。俺たちレンジャー連隊は制圧したシャバブーから東に四十キロ進んだ都市エリガブに部隊を置いた。
エリガブには大きな軍事基地があり、つい二日前に制圧したばかりだ。軍事基地はさっそく海兵隊やレンジャー、更にはシールズなどの部隊が拠点として使い始めた。
この一週間でトリチェスタン反政府軍はかなりの大打撃を受けている。西側からはアメリカ・イギリスが上陸し、南部からはイスラエル軍、エジプト軍が、そして北部からドイツ軍・オランダ軍が侵攻しているからだ。
トリチェスタン西部はすでに連合軍によって掌握されており、残すは中央にあり、ここから十五キロほど離れた首都バグラムだ。首都の解放は重大な任務だ。首都を奪い返せばこの戦争はすぐに終わる。後は時間の問題だ。俺はそう思っていた。
基地では誰もがそう確信しており、皆首都への侵攻を今か今かと待ちわびていた。だが、レンジャー内では小さな問題が起きていた。
俺達は基地の滑走路に召集され、再編成が行われる事を伝えられた。アレックス中尉は言葉を濁していたが、どうやら新兵の問題行動が多いとの指摘だった。みんな口に出しては言わないが、大体察しは付いていた。
エル・ミカエラだ。
当時、女性レンジャーはそこまで珍しい存在ではなかった。だがエルは、日系人上がりなので他の隊員と比べて体格も一回り小さく、周囲から見ても子供の様にしか見えなかった。そのせいもあり、周囲の仲間はエルに「ポップ・キャンディー」というあだ名を陰で付けていた。
おまけにレンジャーはバリバリの戦闘部隊だ。サリューのようなCSTとは違い、過酷な訓練を受けたとはいえど、女性レンジャー兵士の合格ラインは男と比べて低い。だから古参の連中はエルを見下していた。
そんな周囲の嘲笑に気付いていたのか、エルはどこかやさぐれていた。
新米兵士によく見られる行動なのだが、古参兵に舐められるのを嫌う者は少なくない。上官や先輩下士官の前では大人しく済ませているが、大概は見えないギリギリの所でふてぶてしい態度を取るのだ。だがエルはその部類には入らなかった。真っ向から対立を決め込んでいた。
エルは同期の人間ともあまり輪に入らず、作戦行動中以外は一人で過ごす事に努めていた。
筋力トレーニングを行っていたり、他の隊と混ざって射撃訓練をしたりした。おまけに禁止とされている宿舎内での銃器のメンテナンスまでしていた。面倒を見ていたジェリー少尉は頭を悩ませていただろう。
おかげでエルは隊内で浮いた存在と化していた。当然、そんな存在が居れば、皆がエルを迷惑な存在としか見なくなる。自分の背中を預ける相手だ。信用できる相手でなければダメだ。
解散の後、俺とエリクソン曹長はジェリー少尉に呼び止められた。ジェリー少尉から、ケネスとエルの配置交換を行うという指示だった。本来ならば、問題行動を起こす部下など誰も付けたくはないが、エリクソン曹長は断らなかった。
次にジェリー少尉は俺に言った。「個人的な話だが、お前に世話を頼みたい」と。
「なぜ、俺なんです?」
正直な質問をぶつけた。アフガニスタンでサリューの件を知っているはずだ。
ジェリー少尉はいう。
「マシュー、お前は他の奴とは違う。俺個人の考えだが、エルはお前にどこか似ている」
その言葉にどこか引っ掛かった。だが、その言葉の意味はサリューに直接会ってからすぐに分かったのだが。
俺は納得しないまま「了解しました」と返事した。
― ― ― ―
その後、大した事のない再編成が行われ、俺たちトーチ3にエルを招き入れた。
基地の格納庫の中でハンヴィーから荷物を降ろしているケネスが残念そうにいう。
「マシュー伍長。また同じチームになれたらいいですね」
ケネスが手を伸ばす。俺は奴の手を強く握り返してやる。
「あぁ。その時はまたな」
ケネスを見送った後、今度はエルが荷物を持ってやってきた。その顔は相変わらず不機嫌そうで、周囲を威圧するように目をギラつかせていた。
「今日からこちらに配属されましたエル・ミカエラです。よろしく」
ぶっきらぼうに言い放つエル。リックもファリンも呆れたように眉間に皺を寄せる。エルはそのまま不躾に通り過ぎ、ハンヴィーに自分の荷物を置き、ライフルだけを持って外に出て行く。
「エル伍長、どこへ行く?」
エリクソン曹長が問い掛けると、エルは背中越しに顔だけを向けながらライフルを持ち上げる。
「射撃訓練です。新兵には召集が掛かってるんで」
投げ捨てるようなセリフ。エリクソン曹長は首を傾げ、深いため息を吐いて彼女の後を追う。二人の背中を見つめているリックがやれやれと呟く。
「“ポリコレ”に背中を預けなきゃいけないのか」
“ポリコレ”とは“ポップ・キャンディー”の頭文字をとった皮肉だ。アレックス中尉の演説の後では、さすがに堂々と名前を言えなくなったからだ。
「厄介者を預けられるこっちの身にもなって欲しいぜ」
そう吐き捨てるファリン。次に俺に目を向ける。
「なあマシュー、なんで曹長は断らなかったんだ? お前だって、あの噂を聞けばすぐに嫌になるぞ?」
「あの噂?」
聞き覚えがなかった。俺が聞き返すと、今度はリックが答えてくれる。
「あいつはこの間の偵察の時、投降してきた反政府軍の兵士に向けて発砲したんだ。それも裸で両手を上げている奴に向かって」
「本当か?」
「あぁ、本当だとも。バードマンも、ライバン軍曹もその場に居たからな。幸い、弾は当たらなかったが」
その話が本当だとしたら、彼女は確かに厄介者だ。捕虜への暴行や殺害は軍法会議にされる。運が良ければ謹慎や異動になるが、下手すれば軍事刑務所行きだ。
「ジェリー少尉やライバン軍曹のお陰で誤射として処理されたが、誰も止めなかったらあの女は捕虜を撃ち殺していたそうだ」
リックが皮肉な笑みを浮かべる。
俺は少し考えた後、まず彼女が戻ってくるのを待つ事にした。
― ― ― ― ―
数時間して新兵の訓練が終わると、エリクソン曹長と共にエルはやってきた。エリクソン曹長はどことなく疲れた顔を浮かべている。
エルはライフルをハンヴィーに置くなり、そのまま格納庫の外へと歩き出す。チームの皆はその背中を黙って見送っていたが、俺は彼女の背中を追って格納庫を出た。
彼女は格納庫を出るなり、扉のすぐ近くの木箱コンテナに座り、基地の外に広がる平らな砂と点々とする住居に目をやっている。俺は彼女の横まで歩き、そっと立った。
エルは一度こちらに目をやるが、すぐに興味がなさそうに外の風景に目を戻す。
「なぜチームの輪に入らない?」と俺。
「別に。私は絶対に仲間に迷惑を掛けませんよ」
とても素っ気ない返事だ。だが、俺にはわざと取り付く島もないように装っているようにも思えた。
俺は苛立つこともなく諭すようにいう。
「君がどう思ってるかは知らない。だが、俺たちレンジャーはチームで行動する。一人での力なんて、微々たるものだ」
「私は誰にも引けをとりませんよ、伍長殿」
抑揚もなく、こちらを見ずに吐き捨てる。舐めた態度だった。だが、俺は別に腹も立たなかった。
「……勇敢である事はいい事だ。だが、それとこれとは違う」
俺はそっと木箱の横に座る。
「あなたは、アフガニスタンで海兵隊を救った。それはあなたが勇敢だから。…違うのですか?」
エルは俺がブギーマンである事を知っているようだ。だが、そんな事はどうだっていい。
「あの時は必死だった。俺ただ、偶然居合わせただけなんだ。それだけだ」
「なら、なぜ助けにいったんですか? 強い者だからこそ、いざという時に動ける。あなたは強いからこそ、海兵隊を救い、敵に向かってRPGを撃ち込んだ」
エルが怪訝な目で俺を見据える。言い訳のように答える俺にまるで責めるようなもの言いだ。俺はかぶりを振る。
「エル、みんながそう言う。だが、俺は勇敢なんかじゃない。確かに、強くなりたいと思っていた。今でも、その気持ちは変わらない」
「ならば、なぜ?」
「そんな弱気な事を言うのですか?」と続きそうだ。
「俺にも救えない人間がいた。俺は、そいつを救おうとして味方を危険に晒した事がある。君がどんな理想を持っているかは知らないが、勇敢と無謀は違う。それを証明するには、ここでは無理だが、戦場に立てばわかる」
エルは納得しない顔を浮かべ、立ち上がる。
「あなたがそんな事を言うのは意外でした。てっきり、サイコキラーのような男だと思っていましたよ」
失望したような表情を浮かべ、エルは俺の横を通り過ぎていく。エルへの説得は失敗に終わったようだ。無理もない、エルはここに来て日が浅い。最初のオーバーウォール作戦でも、大した戦闘はなかったからだ。
俺はただありありとした自信を持って歩く彼女の背中を見送る事しか出来なかった。
その日の夜、俺達にまた召集が掛かった。それは首都攻略作戦を行うという、待ちに待った待望の大作戦の説明だった。