17.帰国
五月。
俺達は遂にアメリカに帰国した。
飛行機を乗り換え、懐かしい基地に戻ると早速二週間の休暇を言い渡された。
隊の仲間は大いに喜んだ。中には帰国する事を渋っていた隊員も、帰国したらしたで頬を綻ばせている者もいた。
身支度や荷物を整え、基地を出発する直前、宿舎の前に皆が集まった。
「なあ、マシュー。お前はどうするんだ?」とファリン。
俺は首を横に振る。
「わからない。帰っても、やることがない」
「なら、俺の息子を見に来い」とリック。
「やっとパパと言えるようになったらしい」
リックが嬉しそうに微笑む。つい一か月前まで、ターリバンを殺したがっていた男が子供のように微笑む。
「"ダイヤモンド・キラーっ!"」
ファリンが両手を挙げ、リックに向き合う。リックも笑顔を浮かべてファリンと抱擁する。
微笑ましい様子を眺めながら俺はハリスに向き直り、「ハリスはどうする?」と尋ねた。
ハリスは首を傾げて口角を上げる。
「家に帰って、畑の手伝いでもするよ。後は、レンタルビデオ屋にでも行って、映画でも観るかな?」
「それもいいな」
そうこうしていると、リックとファリンが乗るバスが出発する時間となり、二人は慌てて荷物を肩に担ぐ。
「それじゃあまたな、マシューっ!」とファリン。
「マシューっ! 息子に会いたかったら電話しろっ! 俺が作るマカロニピザを食わせてやるっ!」
二人は大笑いし、俺たちに振り返りながらバスへと走っていく。俺は半笑いして見送った。
続いてハリスも荷物を担ぎ始める。
「それじゃあ俺もバスに乗るよ。マシュー、二週間後にここで会おうな」
ハリスが俺の前に拳を突き出す。俺は奴の拳と拳をコツンとぶつけ、「あぁ、またな」と返した。
皆を見送った後、俺はこれからどうすべきか、考えた。
どちらにせよジェイクと住んでいたあの家に戻らなくてはいけない。だが、あの家に戻った後に休暇をどう過ごすかここで決めておかなければ、足を進めたくなかった。そんな気持ちに捕らわれていた。
「マシュー」
呼ばれた声に振り返ると、そこにはスポーツサングラスを掛けたライバン軍曹がいた。ライバン軍曹は「あー」と声を漏らし、歩み寄ってきた。
「時間があるなら、ここに行くといい」
そういうと、一枚の小さなメモ用紙を渡してきた。開いてみるとどこかの住所が書かれており、紙の一番下には『サリュー・ドールキン』と書かれていた。思わず心臓が脈打つ。
「以前に調べておいたんだ。正直、お前に渡すべきかどうかずっと悩んでいた。だが、お前に渡す」
「軍曹……」
俺が少し声を上ずらせて呟く。
「辛いかもしれないが、サリュー軍曹の家族に会って、彼女の話をしてやるのも供養になるかもしれない」
どこかバツが悪そうな、照れくさそうな表情でライバン軍曹はいう。
俺は貰ったメモ用紙を大事にポケットにしまい、ライバン軍曹の前に手を差し出した。すぐに俺の手をギュッと握ってくれた。
「マシュー、二週間後に必ず戻って来いよ」
「ありがとうございます、軍曹」
俺は泣きそうになった。握手を交わしながら俺達はハグし、そのままバスへと歩いて行った。
乗り込んだバスの中で俺は三年間過ごしたアフガニスタンを思い出す。
ひどい場所であったのは間違いないが、なぜか今ではどこか恋しい。失ったものもあったが、得たものも多かった。
色んな不平不満や内面吐露したい部分はあったが、一つ言える事はある。
俺はあそこで、独りではなくなったのだ。
― ― ― ― ― ― ―
六年ぶりに戻った家は、相変わらずのボロさであった。
六年前にあったタクティカルトレーニングフィールドは更に構築され、ペラペラだったベニヤも新品に変えられ、灰色のペンキで塗装されていた。
もちろんだが、家にジェイクはいなかった。今でもあちこち回っているのだろう。
俺は家に入って埃の積もった部屋に戻るなり、すぐに身支度を始めた。これから長い旅に出る為に。
昔来ていた服はどれもサイズが小さくて入らなかったから、服は途中で買う事を決めた。おかげで俺の旅路の支度はボストンバッグ一個に収まった。
ボストンバッグを背負い、一階のリビングに降りるとテーブルの上に小さなメモが置かれていた。
『マシューへ。納屋。認識番号』
短い文だったが、すぐに理解出来た。
納屋へ向かい、鉄の扉に掛かっているダイヤルロック式の番号を俺のドッグタグに刻まれた下四桁で回す。
ロックはいとも容易く外れ、ダイヤルロックとそれを繋いでいたチェーンを外して扉を開けた。
そこにはピカピカなボディのフォードアのピックアップトラックが置かれていた。真っ黒なボディのV型8気筒のターボディーゼルの奴だ。思わず目を瞠った。
周囲を見回し、倉庫の壁際に置かれた作業台のラックに掛かっている新品の鍵を見つけると、そいつを指先でひっつかむと運転席を開けた。
運転席を開けるとすぐに新車独特のいい匂いが鼻をついた。デジタルオーディオもついていて、俺にもう十分なほどハイテクな高級車だった。
俺は高揚し、運転席に座って早速キーを差し込んで、エンジンをスタートさせる。キュルキュルという音の後に身体全体に響くエンジンの鼓動が俺の胸を熱くさせる。
ふと、助手席にハンドガンケースが置かれているのが目についた。俺はハンドガンケースを手繰り寄せ、膝元に置いて開く。
中には一枚のメモと新品のM1911コルト・ガバメントが収まっていた。
メモには『好きなように使え』とジェイクの字で書きなぐられていた。これは全て、ジェイクの帰還祝いなのだろうか? 相変わらず言葉が少ない義父だが、この時ばかりは涙が出そうになるくらい嬉しかった。
ガバメントを取り出して弄り回す。スライドは恐ろしいほど滑らかに動き、コッキングハンマーはリングが入った強化ハンマーがつけられており、トリガーも3ホールの穴が空いたカスタムもされている。グリップも親指を乗せやすいようにヤスリを入れられていて、とても手に馴染んだ。
舞い上がりそうになりながらもガバメントを箱にしまうと、サイドブレーキを解除してギアを入れた。
ゾクゾクするような唸り声を上げて、ピックアップトラックは納屋から飛び出した。
俺はトラックを家の横に付けると、納屋の扉を元通りに締め、リビングに戻ってメモ用紙に『ありがとうおじさん。恩に着るよ』と書きなぐってバッグを持って家を出た。
― ― ― ― ―
トラックで町に出て、俺はすぐにATMに向かった。
ATMの残高には、今まで見た事のない金額が溜まっていた。それもその筈だ。6年間、給料はほぼ手付かずのままだったから。俺は金を降ろすと、すぐに古着屋に入って適当に服を買い漁り、駐車場で人の目も気にせず着替えた。
その後は銃砲店に行き、さっそく貰ったばかりのガバメントに会うホルスターと予備のマガジンと.45ACP弾を買った。
ホルスターを選ぶ際に丸い眼鏡を掛けて、白いひげを生やしたふくよかな体躯の店主に「銃を見せてくれ」と頼まれ、俺は自慢げに見せてやった。
ガバメントを見るなり、店主は丸い眼鏡の向こうで目を細めてにやける。
「いい銃だな」
「あぁ。今日貰ったばかりなんだ」と俺。
すると店主は何か納得したような顔を浮かべ、「じゃあ、お前がマシューだな?」と言ってのけた。
怪訝な顔を浮かべ、「確かに俺はマシューです」と返す。
「だろうと思ったよ。その銃は、俺がジェイクに言われて仕入れてカスタムしたんだからな。ジェイクによろしくと言っといてくれ」
またニヤリと笑い、サービスでガバメントのメンテナンス用の器具を付けてくれた。俺はサービス精神旺盛な店主ににこやかに礼を言い、店を後にした。
最低だと思っていたこの町も、少しだけ好きになれた。
― ― ― ― ―
その後、俺は三日かけて州を二つ跨ぎ、サリューの家に向かった。
サリューの家は閑静な住宅街で、真っ白な外壁をした家々が立ち並んでいる。中流家庭の人々が暮らす住宅街なのだろう。俺はその中から周囲と全く同じ作りをした彼女の家を見つけ、車を停めた。
チャイムを鳴らして出てきた両親に、俺は突然訪ねてきたことを詫び、身分を伝えて彼女と同じ部隊と行動していた事を伝えた。サリューの両親に悪いが、サリューの最後を見たという嘘も加えて。
サリューの両親はすぐに俺を家に上げてくれた。リビングへ通されると、壁際の書棚に軍服を着たサリューと、サリューにどことなく似ている軍服を着た青年の写真があった。前に話で聞いた戦死したサリューの兄だろう。
俺は二人に向かい合う様にソファーに座らされた。
サリューの両親は遠くから来た俺に労いの言葉を掛け、少しずつ俺に尋ねてきた。「娘はどんな様子で過ごしていたのか」とか「友人はいたのか」とか、だ。
俺は極力返せるものには返した。それに加え、彼女がどんな信念で軍隊に入隊したのかも話した。そして、自分にだけ家族の思い出話をしてくれた事も打ち明けた。
二人は目頭を熱くさせていた。母親の方は時折、ハンカチで何度か目を拭っていた。そして、父親からこう言われた。
「サリューは最後、どんな風に亡くなったのか」
訊かれる事は予想していたが、やはり質問されると胸が締め付けられる。
俺は少し声が上ずったが全て話した。もちろんだがマーカス軍曹から聞いたものを、さも自分が見ていたかの様にだが。
二人の両親は俺の話に目に涙を溜めて聞いてくれた。俺自身も泣きそうになった。
嘘をついている罪悪感と、サリューを失った悲しみが同時に込み上げてきた。それでもこの話はしなくてはいけない。なぜなら、サリューがどう生きてきたかを家族に伝えなければいけないからだ。
俺は涙声で話終わるとサリューの両親はソファーから立ち上がって、両側から抱きしめてくれた。思わずその場で震え出し、俺はしくしくと泣き始めた。しばらくして泣き止んだ俺は言った。
「彼女はアフガニスタンで勇敢だった。誰にもできない事をしようとしていた。彼女は、とても立派な人だった」
それ以上の事は言えなかった。二人の子供を失った親に、俺が一体、何を言える?「頑張ってください」とか「死んだ娘さんを誇りに思ってください」とか、そんな事を言えるわけがない。そんなもの、慰めの一つにもならない。
俺の話が終わった後、しばらくは二人の両親からサリューやその兄の思い出話を聞かせて貰い、陽が傾き始める頃には俺は二人に別れを告げた。
再度礼をいい、玄関を出る時にサリューの母親に言われる。
「ありがとう、マシュー伍長。あなただけが、サリューの事をよく見ていてくれたのね。いい友人に巡り合えてよかったわ」
その言葉に、俺は複雑な気持ちになりながらも、「こちらこそ、ありがとうございます。どうかお気を強くもってください」と返して後にした。
帰りの運転の中、適当なモーテルを捜しながら今日の事を考える。俺が今日したことは間違った事だったのか? 正しい行動だったのか? 答えの出ない自問自答を繰り返す。
当然だけど、納得のいく答えなど皆目見当もつかない。だが、俺にはまだやるべき事がある。今日までの自分が正しいかなんて、それはすべてが終わってから考えよう。
俺はロサンゼルスの方角へ向かいながら、モーテルを探す。なぜロサンゼルスか? それは、死んだ戦友が叶えたい夢を、俺が叶えてやろうと思ったからだ。
俺はいつかの、黒人ではないと豪語した黒人の為に、アクセルをずっと踏み続けた。