4.人生の岐路
それからジェイクは家にいることが多くなった。恐らく本土勤務に移ったのだろう。
16歳になった俺を、初めて教会以外の場所に連れて行ってくれた。
連れて行ってくれたのは家から16マイルも離れた森で、そこでハンティングをした。
あれがジェイクと最初で最後のハンティングだった。ジェイクは森の中を歩きながら俺に尋ねる。
"お前はあの町で生きていく上で、どう生きていくつもりだった? あの事件の後、どうしようと思っていた?"と。
俺はすべての問いかけに「わからない」と答えた。いつだって時間ばかりが流れて、幼い俺を嘲笑うように周りばかりが変わっていたから。
ジェイクはいう。
「男に生まれた以上、お前は強くないとダメだ。だから、お前を強くした」
その後にジェイクは自分の事を語ったよ。
先の言葉は自分の父親の口癖だったらしい。
ジェイクの父親もまた、軍人だった。だが、戦争から帰ってきた父親は家に帰ると酒に溺れ、母親を殴っていたらしい。
そこで幼いジェイクは思った。酒を飲んでいなかった頃の父のような軍人になってやる。
そして、自分の理想としていた父親を、自身が演じて見せる。そうして軍人になった。
そこで俺は言った。
「おじさんはそれで、夢を叶えたの?」と。
ジェイクはかぶりを振った。
「いや、まだまだだ。俺はどうやら、まだ追い付かないようだ」
語るジェイクの横顔を見た時、どこか寂しそうに思えた。
俺達は結局、鹿の一匹も撃てないままハンティングを終えた。
今なら分かる。きっとジェイクの目的はハンティングじゃあなく、俺と話したかったんじゃないかって。
それから家に帰り、ベッドの中でジェイクの言葉を思い出した。
そうだ、強くなろう。もっとこれから強くなろう。
今まで起きた事は、俺に力がないから防げなかったことばかりなんだって、そう信じて疑わなかった。
そして俺はハイスクールに上がった。
ハイスクールに上がってからも、生活は変わらない。
朝起きてランニング。学校に通い終われば、トレーニング。
変わったと言えば、学校が休みの日はタクティカルトレーニングが行われるようになった事だ。
ハンドガンやショットガン、アサルトライフルを持って、走り込んでは撃ち、建物に模した木材の囲いの中に突入する。
この辺りで俺の人生の先は警察か軍隊かどちらかだったと思う。俺もそれを心のどこかで望んでいた。
周りがヒットチャートランキングに浮かれてる中、俺はM16A2ライフルの組み立てを仕込まれていた。
ガールフレンドと初めて一緒に寝てる同年代を尻目に、ショットガンでどこを撃てばドアを簡単に開けられるか教わっていたよ。
そんな日々を過ごして二年が過ぎた。
18歳のある日。
俺はハイスクールで厄介な男に絡まれるようになった。
名前はスティーブ。ベンとはまた違うタイプの悪ガキだ。
ラグビー部でクオーターバックを務めていた男で、腕っぷしも強く、そしてなにより女にモテていた。
スクールカーストで言えば三角形の上の方にあたるジョックだろう。今の日本人ならばリア充だとか、陽キャだとかで表される。
奴からしてみれば、俺なんてナードかギークだろう。こっちは非リア充、陰キャ。三角形の底辺だ。
奴は俺を「ゲイ」呼ばわりし始めた。身体ばかりでかく、無口だからそう言われた。
ラグビーの仲間を集め、周囲を囃し立てるように奴らはお茶らけ、からかいの言葉を浴びせてくる。
そして奴は利口で、殴る蹴るなどの直接手を出さない。その代わりに学校内で騒いだり、ロッカーに落書きしたり、鞄に悪戯するようなことばかりしていた。
その辺りで俺は逆に楽しくなっていた。今こそ、存分に自身の力を測れる相手がいるんだと。
俺は奴の誘いには乗らなかった。なるべく無視し、奴らが直接手を出すところまで我慢した。大事なのは、確実に暴力を振るっていいという絶対的な条件を引き出すタイミングなのだ。
それから数か月経った頃だ。
ついに奴は人気のない潰れた工場に俺を呼び寄した。これがチャンスだと思った。
奴らの取り巻きに連行されて、俺は奴の前に跪かされた。
目の前にはニヤニヤと笑うスティーブ。その周りには同じように笑う取り巻き四人。
「なあ、ホモ野郎。お前には玉がないのか?」
奴が挑発的な言葉を吐く。だが、笑うばかりで手を出してこない。
だから俺は跪いたまま言ってやった。
「男のくせに直接手も出せないのか? どっちが玉がないのかわからないな?」
奴と周囲の仲間は高笑いする。俺は続ける。
「男なら、本気で来てみろよ? それともお前は王様気取りの隠れオカマ野郎か?」
そこでスティーブの顔つきが変わった。いい兆候だ。俺はトドメの一発を口に乗せる。
「その筋肉は、ゲイだって事を隠すためにつけてるんだろ?」
唇に笑みを乗せていってやった。その瞬間、スティーブのフロントキックが顔面にお見舞いされる。ひどく痛かった。
続いて奴が馬乗りになり、まだツーンとする鼻っ面に向かって何度もパンチを放ってくる。
挑発した俺だったが、危うく本気で失神する所だった。殴られながらも反省した俺は、奴の顎の下に親指をねじ込み、思い切り上にあげる。
奴が苦悶の表情を浮かべ、拳を振るのを止める。
即座にスティーブの首に拳を打ち込み、奴の気道を一時的に塞いで押し倒す。
俺がスティーブを押し倒すと、一気に取り巻きが襲ってきた。
一番先に俺に来たのはサディという男だ。こいつも同じラグビー部で、タックルに自信のある男。
サディは俺に大振りの拳を振り上げてきた。即座に奴の振り出してきた右腕を掴み、足を払ってそのまま床に落とす。続いて顔面に二発のパンチをお見舞いする。
次に来たのはベースボールで鍛えていたジャックだ。こいつはモヒカンでピアスをしたいけ好かない奴だった。
ジャックは走り込んで、俺に飛び蹴りを繰り出す。俺は奴の蹴りを身体で受け止めると、奴の足を掴み、空中から地面に叩き落とした。受け身を取れなかったジャックはひどく頭を痛めたようで、すぐに立ち上がってこなかった。
残ったのはライアンとガービーという取り巻きだったが、奴らは来なかった。一瞬にして三人を倒したのだから、恐らくビビったのだろう。呆気に取られた顔で固まっている。
立ち直ったサディが近くにあった短い鉄パイプを掴み、腹に一発お見舞いしてきた。これもひどく痛かった。あばらが折れたんじゃないかと思ったほどだ。
二発目はギリギリで交わし、三発目をお見舞いする前にサディの股間を蹴り上げる。サディが激痛から苦悶の表情を浮かべると、すぐに鉄パイプを蹴り落とし、そのまま半身を捻って回転蹴りでスニーカーのかかとを奴の顎にお見舞いする。サディはその場で失神してしまう。
痛みから覚醒したスティーブが後ろから俺の首に腕を回し、ヘッドロックをかましてきた。
ギリギリと締め上げていくスティーブに対し、俺は全体重を掛けて屈み、一気に真上に飛び上がった。奴の肩に手を乗せて、カンフー映画よろしく背後に飛ぶと、すかさず脛に蹴りをお見舞いし、奴を跪かせた。
スティーブが跪いた瞬間、俺は奴の右腕を掴み、膝を押し当てて体重をかけてやる。ボグゥ、という鈍い音と同時にスティーブが悲鳴を上げた。右腕が見事に反対側に折れた。
続いて左腕を掴み、膝を押し当てて体重を掛ける。こちらも鈍い音と共にへし折れた。スティーブが泣き叫び、床に蹲る。
最高の気分だった。胸がスカッとする思いで伸びた奴らを見下ろした。
残ったライアンとガービーに目を向けると、奴らは慌てて建物の外に逃げた。
俺も伸びた奴らをそのままに、廃工場を後にした。
さすがに一人の男に三人もやられたら、奴らも面子が立たないだろう。この出来事を黙ったままにしておくだろう。そう考えていた。
だが俺の考えは甘かった。
その日の夜、家に保安官の車がやってきて、俺を連行した。
人生で二度目のパトカーだ。ジェイクは何も言わずに保安官に連れていかれる俺を見ていたよ。
保安官の事務所に行くと、そこにはスティーブがいた。
奴らは通報したのだ。まあ、両腕をへし折ったのだから当然だ。奴らは洗いざらい話したそうだ。
俺は正当防衛を主張した。だが、保安官の意見は違う。過剰防衛だと。暴行罪が適応されると。
おかげで俺はその日、留置所にぶち込まれた。二度目の檻の中は、やはり気持ちのいいものではなかった。
明くる日の早朝、俺は保安官に起こされ、簡易取調室みたいな狭い部屋に入れられた。
中にはパイプ椅子と安い粗末なテーブル。そして一人の軍服を着た男がいた。30代後半ぐらいの背筋がピンと伸び、脇にベレー棒を挟んだ将校だ。
男は入ってきた俺に手を差し出す。握手だ。俺は彼のゴツゴツとした硬い手を握る。
「私は陸軍第187歩兵旅団に所属するグリッジ・パターソン大尉だ」
掛けたまえ、といわれて俺はグリッジ大尉の向かいに座る。グリッジ大尉は傷だらけの俺を見つめる。
「君の話は少佐…いや、お義父さんから聞いている。私は君のような男の子が軍に入るのを望んでいる」
ジェイクの事だ。俺は黙ってグリッジ大尉の話を聞いた。
「このままでは君は前科持ちになる。いわば札付きのワルだ。そうなれば、将来にろくな仕事なんてない。私が働きかければ、君の前科はなくなる」
「それは……おじさんからの依頼ですか?」
思わず問い掛ける。グリッジ大尉は頷く。
「そうだ。少佐も私も、君が軍に入るのを望んでいる」
きっぱりとグリッジは言い切った。
その言葉に俺は高揚した。
「俺、軍隊に入れるんですか?」
「そうだ。そこで、君の本心を聞きたい。こんな田舎でホームレスみたいになるか。その持っている力をこの国の為に使ってくれるか……。君がどう思っているのか、だ。」
俺は机の下で握りこぶしを作り、前のめりになっていう。
「グリッジさん……。いや、グリッジ大尉。お願いします。俺を軍隊に入隊させてください」
それは俺の本心だった。
こんな吹き溜まりから抜け出すチャンスは、この瞬間しかないと思ったからだ。
俺の言葉に満足したのか、不敵な笑みを浮かべるグリッジ軍曹。
「そうか。それならば、これからは問題を起こさずにハイスクールを卒業するのだな」
グリッジはベレー帽をかぶり直し、取調室を後にした。
グリッジ大尉が出て行った後、俺の心臓は激しく波打った。
そして俺は不起訴で終わり、前科もなしに釈放された。
恐らくおじさんがコネを使ったんだと思う。スティーブも、その取り巻きも、その親も何も言ってこなかった。
その代わり、俺に近づく人間は誰もいなくなった。噂が広まったのだろう。仕方のないことだ。
俺はそれでよかった。むしろ、そうしてくれて助かる。そうすれば、お前らは俺を見下すのだろう? だが、俺がこれから進む道は立派な人間になる道なのだ。
そう思うだけで、俺は自分が高等な生き物だと勘違いしていた。
今思えば、それはやせ我慢だったのだと思う。他に、信じられるものがなかったから。
ずっと孤独な俺に、軍への入隊は最高の招待チケットだった。
立派になれる。強い人間として生きていける。
そして、もう一度あの町でおじさんとおばさんに会おう。そしてまた褒めて貰おう。ミオにも会って、あの頃の俺とは違う所を見せてやる。友達や町の連中にも自慢してやる。軍隊は俺を立派な存在にしてくれる。そう勝手に信じ込んでいた。子供じみた浅はかな考えだ。
俺の頭の中には、いつだってイーサンおじさんとサリーおばさん、ミオとあの町の連中のことしかなかった。