3.新しい父親は軍人
イーサンおじさんの車に乗り、俺は三日間かけてコロラド州の田舎の町に辿り着いた。
辿り着いた車窓からは背の低い薄茶色の草原と砂だけが映った。
そんな風景の中をずっと走り、やがておじさんの車は一件の家に辿り着いた。
古い木造の二階建てにいくつかの古びた納屋がある家だ。敷地の中にはアメリカ星条旗と放置されて錆び付いたピックアップトラック。
木造の家もかなり年季が入って行って、塗られた白いペンキが剥がれそうだった。俺は昔見たホラー映画を思い出したよ。チェーンソーを持って襲ってくる奴だ。
これまた古びたドアをノックする。そのイーサンおじさんの顔はどこか険しい。
中から出てきたのはいかつく、とても子供が好きとは思えない目の細い男だった。
その男こそがジェイク・ダニンガンだ。
ジェイクは鋭い目つきで俺とイーサンおじさんを見ると、イーサンおじさんだけを中に入れた。俺は外で留守番。
俺は二人が中で話し込んでいる間、ジェイクの家の周囲を見て回った。どこを見ても茶色の草。砂。草。あとは微かに、遠くに家がポツンとあるだけ。
続いて古びた納屋へと足を向ける。納屋は頑丈な扉で塞がれており、中を覗こうにも鍵が掛かって開かない。
しばらく俺の興味を引くものがなくなり、退屈になりかけたぐらいの頃に二人がやっと家から出てきた。出てきたイーサンおじさんの顔はひどく暗かった。
おじさんは俺の元に近寄り、「愛してる」と抱き締めた。そして、くたびれた背中を揺らしながら車に乗って走り去っていった。
残された俺はジェイクに促されるまま、家の中に入った。
家の中はひどくこざっぱりしていて、リビングには古ぼけたテレビと皮が傷んだソファ。そして、飾られた色んな勲章。
後に聞いたのだが、当時のジェイクはアメリカ陸軍特殊部隊グリーン・ベレーの大佐だった。
次の朝、まだ太陽が出ていない時間なのに俺はジェイクに叩き起こされた。
何故起こされたかわからないまま、着替えをさせられて外に連れ出されると、いきなり「走れ」と命じられた。
地獄のようなランニングの後、俺は食欲もないのに朝飯を食わされ、ジェイクの車に乗って六キロ先の町にあるジュニアハイスクールに運ばれた。
学校の転入手続きもわけのわからないまま行われ、俺は学校に通った。
疲れた顔で自己紹介し、学校を終えて帰ってくると今度はトレーニングをやらされた。
腹筋、背筋、うさぎ跳び、スクワット。軍隊の基礎トレーニングだ。それが終わってクタクタになると夕飯だ。
そして夕飯を食い終わると、今度は反復横跳びや跳躍をやらされる。さすがにその日は夕飯をその場で戻したよ。
夜21時を過ぎて、やっと就寝だった。それが地獄の日々のスタートだった。
それから毎朝起きる度にジェイクとランニングさせられた。
そして学校に行き、帰ると今度は基礎トレーニングを夕食前まで行い、飯を食い終えるとまたトレーニングだった。毎日のルーチンワークと化した。
最初の二週間は地獄だった。慣れないせいで何度も夕食を吐き、何度涙を流したことか。
それに加えジェイクは妥協も甘えも一切許さない。足が棒のようになり、歩けなくなっても歩けと命じる。嘔吐し、吐しゃ物まみれになっても腕立て伏せは続行される。
泣き喚こうが叫ぼうがお構いなしだ。ひどい時は軍隊格闘技の絞め技で落とされそうになる。
唯一の救いが日曜日だ。日曜日は教会で礼拝と家の掃除をやらされる。それだけが唯一、心と身体が休まる日だった。
だが、まだこれはいい方だったんだ。
ジェイクは職業軍人で、任務があると俺を置いて出て行ってしまう。
その代わりに三キロほど離れた所に住んでいるカートという男が俺の世話係だった。
まともな定職につかず、だらしなく出た腹に禿げ上がった頭。おまけにいつも酒臭く、鼻や頬を赤く染めていた。
この男はとにかく最低だった。
ジェイクから貰った金でリカーショップで酒を買い、その酒を飲みながらファーストフード店で買った食べ物を投げ入れていくような男だ。
ひどい時は一日に一食なんて時もあった。俺が文句を言えば、奴は容赦なくベルトで引っ叩いてきた。
そんな日々の中で唯一の救いはジュニアハイスクールだった。
そこでは奴は襲ってこない。その代わり、よそから来たことと、身体に出来た痣のせいで声を掛けてくる者はいなかった。
後から聞いた話だが、どうやらジェイクもカートも町の人間からしてみれば変人で、そのお陰で俺もその部類の一部だと思われていたそうだ。どうりで俺に声を掛けてくる人間がほとんどいなかったわけだ。
唯一の希望であるジュニアハイスクールが終わり、家に帰ればカートが待っている。
奴がジェイクの家にいる時、奴の機嫌を損ねるとどんな折檻を食らうかわからない。だから奴が居ようが居まいが、俺は学校から一目散に家に向かうしかなかった。
飯を食わせてくれるただ一人の人間である奴に、ただただ従うしかなかった。おかげで俺の自由な時間はほとんどなかった。
奴が来てからの新しいルーチンは朝、奴が寝てる隙に外に出て、俺は六キロ先の学校まで歩く。そして学校に行き、誰とも喋らずに授業を受けて帰り、家でカートの世話をする。くそったれな毎日だった。
ジェイクが戻ってくるのは半年に一度ほど。そして家に滞在するのは一か月あるかないかだ。
当然、戻ってくれば地獄のトレーニングが始まる。俺の精神はおかしくなりかけていた。
十三歳の時、ついにジェイクがまともに世話をしていないカートに気付いた。
俺は思った。やった! 遂にこのくそったれを家から追い出せることが出来る! だが、そんな俺の期待はすぐに裏切られた。
何を思ったのか、ジェイクは払っている金を倍にしたのだ。そして、俺に三色食わせ、トレーニングをつけさせるよう命じた。
俺は落胆したよ。結局何も変わらない。唯一の救いが、奴のご機嫌取りをする為に靴磨きや酒のつまみを作らなくなった事だ。
奴は起きている間は外に出て、まるで名監督かのようにそれらしいことを怒鳴りつけてくるだけになった。気に食わない事がある時に殴りつけてくること以外は。
それと毎週の水曜日にだけエドという男が来た。
エドは元アメリカ軍空挺師団の隊員で、今は軍事アドバイザーをやりながら射撃場のトレーナーをやっているそうだ。
真っ白の白髪に皺が多い男で、50代にしてはひどく老けて見える男だった。そんなエドは俺に射撃訓練を教えた。
ただ銃を撃つだけではなく、射撃において必要な精神的な面や肉体作りの指導をしてきた。
この時ばかりはさすがのカートも何も言ってこなかった。だからエドが来る水曜日がとても大好きだった。
だけど、そんな毎日ばかりじゃあ窮屈過ぎて息詰まるばかりだ。青春の一かけらもない毎日を続けて四年。十五歳の誕生日の時に、俺はある決心をした。
三キロ離れたカートの家に侵入し、奴の懐から金と車を奪おうと思った。
俺には自由に扱える金がない。必要な物はジェイクが買って与えるだけで、娯楽品もないし、友人もいない。ましてや、ジェイクが連れて行ってくれるのは教会だけだ。
カートはジェイクから貰った金で酒を買っては飲んで、週末になれば町に繰り出しては酒場でまた酒を浴びるように飲む輩だ。
唯一、俺の楽しみのエドも射撃トレーニングの他に面白い話をしてくれるが、俺を連れ出してはくれない。
だから家が近くて、金と車を持っているカートから奪おうと思った。なんせ、俺を育てる為の金だ。俺が使ったって罰は当たらないだろうという考えだった。
自分の身体と知識には自信があった。四年間の地獄のトレーニングのお陰だ。場合によってはカートを殺そうとも思っていた。
奴がいつもバーで深酒をし、ベロベロに酔っぱらって飲酒運転で家に帰る土曜日の深夜を狙った。
俺は月明りしかない夜道を徒歩で移動し、奴の家に向かう。
奴の家はボロボロの柵に、これまたオンボロのトレーラーハウスに住んでいた。
まず、奴のおんぼろのトラックが無造作に停まっているのを確認すると、静かに移動して車内を確認する。見事に鍵は差しっぱなしだった。
次に奴のトレーラーハウスに潜入する。やはりドアには鍵は掛けておらず、中に入ると汚いベッドの上で奴は熟睡していた。
俺は暗闇に目を鳴らし、音を立てない様に室内を漁った。
奴の枕元から現金五百ドルと、クローゼットに隠してあった水平二連式のショットガン、そして枕元に隠してあったジェニングスJA-380※を手に入れた。
すかさず奴のトラックに乗り込み、エンジンを掛けて見事に盗み出した。エンジンを掛けた時は起き上がって追いかけてくるものだとばかり思っていたが、幸いにも奴は夢の中から覚めずにいた。
とんとん拍子に事が進んだ俺は、ウキウキな気分でまず家に向かった。家にある着替えを持って、町に繰り出す算段だった。
なぜ町に向かうか? それは欲しい物がたくさんあったから。ラジオ、テレビ、ゲーム、コミック雑誌かポルノ雑誌。
握った百ドルで買える物ならなんだっていい。とにかく、戦利品として何か頂戴したいのだ。それに二十四時間営業の店は何件かあるのを知っている。
俺は家に着き、エンジンを掛けたまま急いで部屋に飛び込み、着替えをリュックに詰め込んだ。
気分は大海原に繰り出す冒険家のようだった。荷物を纏めた俺は急いでトラックに向かう。
すると家に一台の車が入り、盗んだトラックの横で停車した。俺は思わずパトカーかと思い、身構えた。
入ってきたのはジェイクの車だった。不運にも今日が帰還日だったらしく、ジェイクはこんな夜更けに家に帰ってきたのだ。
エンジンが掛かったままのカートのトラックと、その荷台に乗っかった水平二連を見るなり、ジェイクは俺を殴りつけた。倒れ込んだ俺を何度も殴ってきた。
散々痛めつけて、抵抗出来なくなるとジェイクが静かに放った言葉はこうだった。
「今すぐ元通りに返して来い」
耳を疑った。俺は頭を横に振った。その瞬間、渾身の右フックをこめかみに食らった。
ジェイクの二発目が来る前に仕方なしに俺は頭を縦に振ったよ。
力任せに起こされて、一人でしぶしぶトラックを運転して、またカートの家に向かう。
そして同じような位置にトラックを戻すと、また薄汚いトレーラーの中に入った。水平二連とあのジェニングスを戻す。
カートの奴は何も知らずに相変わらず熟睡している。持っていた水平二連で頭を拭き飛ばしたくなったが、やめた。ジェイクに同じように頭を吹き飛ばされるかもしれないと思ったから。
俺は言われた通りに金も銃も元の位置に戻すと、徒歩で家に戻った。
家に戻ると、ジェイクが居間で煙草を吹かしている。痣だらけの俺の顔を見るなり、こう言ってきた。
「見つからずに出来たか?」
「うん、言われた通りにしたよ……」
ジェイクは俺の返事を聞くなり、どうやって侵入したのか、どういうところに気を付けたのか、詳しく聞き掘り出してきた。
俺はありのまま説明した。ジェイクは黙って俺の話を聴き入っていた。
全部話し終えると、「そうか」と呟いて煙草を灰皿の底にもみ消した。
「さっさと寝ろ」
その言葉で俺は解放された。
こうして一世一代の俺の革命は見事に失敗した。
だが、その日を境にジェイクはカートを呼ばなくなった。それは俺が生きてきた中で最高の幸せだったよ。
それから一カ月後、ジェイクはエドと一緒に家の敷地にベニヤと木材で何かを作り始めたよ。
最初は新しい家を建てるのかと思ったよ。けど、日にちが増すにつれて俺の読みは外れた。作ったのはタクティカルトレーニングを行うフィールドだったんだ。
そしてジェイクはこう言った。
「お前にもっと最適なトレーニングをしてやる」ってね。
その言葉通り、翌週から新たなトレーニングが始まったんだ。
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