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ボディガード・チルドレン  作者: 兎ワンコ
第五章・グッドバイ・ベビーフェイス
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2.サヨナラも言えない旅立ち

 ダイニングテーブルに水の入ったグラスを置き、慶太が語り出す。

 最初の台詞は「俺の本当の名前はマシュー・ジェンソンだった」という言葉から始まった。


 ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 生まれたのはアメリカ西部の田舎町。


 とは言っても牧場が広がり、広大な荒野が……。というような所ではない。いつかの景気がいい時はベッドタウンが売りで、マイホームを購入させるために不動産屋が必死に駆け回って、中流家庭が住むアパートやマンションを駆けまわったらしい。


 おかげで街の半分は中流家庭や上流家庭が休みの日に高級なSUVを町で転がし、スーパーマーケットで一週間分の食料品を買い込んでいく。


 街の半分は日雇い仕事や物乞いで今日の食事のために地べたを這いつくばるように生きる人間の街になっていた。



 俺が物心付いた時から両親はおらず、変わりに養親に育てられた。


 イーサンおじさんとサリーおばさん。本当の両親のように育ててくれた。今ではもうどうしているのかも分からない。


 イーサンおじさんは元大手の自動車整備工に努めていたが、その大手会社が不景気の為に工場を撤退した。おじさんは小さな修理工場に再就職し、そこでサリーおばさんと俺の飯代と家のローンを稼いでいた。


 当然、俺が住む場所は中流家庭なんかの家じゃない。スラムに片足を突っ込んでるような所だ。

 少し歩いたスラム街では暴力とクスリと銃が蔓延り、いつも見えない死で覆われていた。


 麻薬を売るヒッピー。敵対するギャング達。クスリに染まった売春婦。


 学校の帰り道、スクールバスで俺は何度も銃声を聞いたことはあったし、喧嘩か何かで倒れている人間も見た。


 友達の兄貴の葬式にも並んだことも何度かあった。縄張り争いで死んだ奴もいれば、ドラッグの過剰摂取なんかもあった。


 小さい頃の俺は、死は踏み込まなければ、身近だという事を知ったよ。少し路地を歩き、ゴミ箱を何個か開けて回れば、抗争で死んだギャングの死体が放り込まれているぐらいだから。


 そんな最低の街だった。それはエレメンタリィスクールも同じだった。


 十一歳に上がる頃にはギャングに憧れて入る奴もいた。電気屋に盗みに入ってテレビを盗んだ、なんて話も聞いた。俺たちの中にも万引きしたことを自慢げに吹聴する奴まで出てきた。


 いつしか、いつもつるんでいる友達の大半が犯罪者に憧れるようになった。ギャングに入って、車を飛ばし、銃を片手にコカインを吸いながら女を抱く。

 ガキのくせに、俺達はいっちょ前にそんな事を語っていた。


 そんな混沌とした掃き溜めのスクールの中で、俺が道を間違えなかったのは希望の光がすぐそばにあったからだ。



 ミオ・チェルザ。

 同じクラスメートですごくキュートな女の子だ。


 ミオは日本人とのハーフで、アジア人特有の細身で小柄だが、大きな目と少しあか抜けた髪が印象的だった。


 ミオの家庭は上級家庭の部類に当たる。以前、ミオの母親を見た事あるが、ブランド物の高そうな服を身に纏い、日本製のファミリーカーでミオを迎えに来ていた。


 彼女と俺とでは住む世界が違う。ミオが誕生日にプレイステーションを買ってもらっている時、俺は誕生日プレゼントにおじさんのお古のカセットプレイヤーを貰っていたぐらいだ。


 以前に家には入った事はあるが、ミオの母親は俺のような底辺が嫌いらしく、二度と家には呼ばれなくなった。


 そんな俺をミオは優しく扱ってくれた。教室で、彼女はいつも俺にだけは挨拶をしてくれた。それだけで幸せだったのに、おまけに彼女は優しくかった。


 ノートの買えない俺に、彼女は新品のノートをくれた事もあった。そして時間が許す限り、彼女は俺のそばで色んなことを教えてくれた。


 最近聞いたアーティストのこと。家族と見に行った映画のこと。教会で教わった神父の教え。彼女は見たもの全てをありのまま話すのが好きなようで、俺はそんな彼女の話を聞くのが大好きだった。


 俺は学校が終わった後に、毎日ミオと二人で過ごす時間が好きだった。


 学校が終わればすぐにミオの母親が迎えに来るから、俺達は学校と家の外でこっそり会う様にしていた。

 公園や図書館、誰もいない路地の裏側。俺達だけしか知らない場所で、彼女の世界を俺は教わった。


 そんな彼女との時間の中で一番印象に残っていることがある。

 あれはハロウィンを数日前にした日のことだ。




 公園のベンチで、俺はミオにいった。


「来週のハロウィン、楽しみだね」


 どんな子供にもハロウィンは楽しみだ。なんてったって仮装をしていれば、上級家庭の親たちは分け隔てなくお菓子をばらまくのだから。


 だが、ミオは首を横に振った。


「嫌よ。あんなもの、子供くさいもの」


 どこか大人に憧れていたミオは不貞腐れた顔でいう。


「どうして?チョコもキャンディも手に入る。最高の祭りだ」


「それが嫌よ。マシュー、私達はあと何年かしたら大人になるの。それなら、私はすぐにでも大人になってみせる」


 俺はその時のミオの気持ちが全然わからなかった。ただ、背伸びをしているのだろう。そんな風にしか思ってなかった。


 けど、今なら言える。大人になんて気が付けばなっちまうんだ。悲しいほどに。


 俺は大人びようとしているミオに笑った。だが、そんな俺を見たミオは不機嫌な顔をさらに不機嫌にさせてそっぽを向いてしまう。


「笑ったわね。もう今日はいいっ! 私帰るからっ!」


 ミオはプンプンと頬を膨らませて帰ってしまった。

 些細な事だけど、俺が覚えてる中で一番ミオを可愛いと思った瞬間だった。




 そんな甘い生活も、長くは続かなかった。

 俺達には厄介な存在がいた。ベンという、クラス一、いやスクールで一番の悪ガキだ。


 身体がでかく、腕っぷしも強いベンは、年上の人間でも敵わないほどだった。

 性格も最悪で、奴が黒だというものは全て黒になる。おまけに奴の兄貴はチンピラらしく、それも相まって周りの友達もベンに逆らうことはできなかった。


 以前に、ベンがユダヤ系の同級生をいじめていた事があった。

 背中を蹴飛ばす。荷物を奪い、ゴミ箱に捨てる。トイレに入ったら、彼の嫌いな虫を上から放り投げる。


 俺の友達もこぞっていじめに参加したが、俺は参加しなかった。

 それが気に食わなかったのか、ベンはそれから俺に突っかかるようになった。



 それのせいで俺はベンと喧嘩した。

 いつまでもいじめを続けるベンに悪態を吐いたことが原因だった。


 奴はすぐに取り巻きを呼んで、俺をトイレに呼びつけた。


 だが俺はなんとかベンをノックアウトした。奴の喧嘩をよく見ていたのが幸いだった。奴の顔面に何度かお見舞いしたら、すぐに伸びた。


 それが奴のプライドを傷付けたのだろう




 俺の運命が変わったのはベンとタイマンを挑んだ数日後のことだ。


 この話は随分後に聞いた話だが、ベンは兄貴の部屋から銃を盗んだらしい。ベンは兄貴の銃を片手に、俺とミオが遊んでいる公園に走ってきた。


 当時、公園には俺とミオの他に幼い子供を遊ばせている母親と、下級生の生徒たちがいた。


 自転車で公園までやってきたベンが俺に駆け寄って銃を向けてきた。きっと俺を脅すつもりだったんだろう。


 だが俺はベンがやってきた時から気が気でなかった。本当に殺されるんだと思った。

 俺は突き付けられた銃に飛び掛かり、ベンから銃を引き剥がそうと躍起になった。


 俺とベンがもみ合いになる。周囲の皆は気付き、そして凍り付いたように動かず、誰も俺達を引き剥がそうとはしない。


 何度か地面を転がり、俺がベンの上になる。そしてベンの胸の辺りで必死に取られまいと銃を握るベンの指を引き剥がそうとした時だった。


 ドン! という音がベンの胸の音で響き、俺はその音でベンから離れた。


 俺は地面に転がり、自分が撃たれたんだと思った。だが、どこにも痛みはない。


 すぐに身体を起こし、ベンを見る。ベンは空を見上げるように仰向けのまま動かない。そして胸から血が滲んでいた。


 それで理解した。銃が暴発し、弾丸がベンの胸を貫いたのだ。その光景に周囲の皆が悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ始める。その中にはミオも居た。近くにいた見知らぬ女性に手を引かれ、俺の名前を叫ぶ声が遠ざかっていく。


 俺は凍り付き、全身から血の気が引いていくのがわかった。全身が震え、動き出す事が出来ない。


 近くにいた下級生の誰かが言った。


「マシューだ。マシューがベンを撃ったんだっ!」


 俺は震えながら首を横に振る。


 違う、俺じゃないっ! 俺は引金をひいてないっ! そう叫びたかったが、声が出なかった。


 するとベンが口からごぼごぼと血を出しながらなにか言い始めた。


「ママ……ママ、怖い……」


 ベンの最後の言葉だ。それから奴は喋らなくなった。




 俺はすぐに誰かが呼んだ警察に捕まったよ。


 知ってるかい? アメリカでは未成年だろうがお構いなしに手錠を掛けてパトカーに乗せるんだ。

 俺は手錠を掛けられ、そのまま警察署に連行されたよ。


 警察署に来た時のサリーおばさんとイーサンおじさんの顔は今でも忘れられない。


 ミオや周囲の証言のお陰で、俺は正当防衛が適応されて、晴れて刑務所行きは免れたよ。


 ただ、裁判所でベンの母親が泣きながら俺を見て、「あの子はただ冗談で間違ったことをしただけ。誰も悪くありません。そこの彼もそうよ」と訴えていたのは胸に迫った。今でも鮮明に覚えている。


 俺は家に戻されたが、俺の家には毎日マスコミが押し寄せてきた。奴らは容赦ない言葉を浴びせてくる。人の不幸で飯を食う連中だ。他人の心中など気にする事もなく、土足で上がり込んでくる。


 毎日押しかけてくるお陰でサリーおばさんは心身ともに追い詰められていった。


 奴らはお構いなしだ。悪意があったのか? 本当は君が殺したんだろ? とか平気で窓の向こうから投げかけてくる。おかげで俺は一歩も外に出れなかった。





 ある夜、ふと目が覚めた俺はおじさんとおばさんが居間で話している声に気付き、盗み聞きした。


「あの子はただ運が悪かっただけ。なのに……神様、どうしてこんなにも苦しめるの?」


 ドアの向こうでサリーおばさんの涙ぐんだ声。


「私も信じてる……。だが、仕方ないことだ。ここではもう暮らせない。それに、マシューも……」


 イーサンおじさんの苦しそうな声。悩みに悩みぬいた結果、苦渋の選択を決めた人の声音。俺の動機がおかしくなる。


「いやよイーサン。あの人にだけは嫌。あの人がマシューをまともに育てられるとは思えないもの。お願い、イーサン」


「サリー……。わかってくれ。このままではマシューは一生マスコミに付き纏われることになるんだ。名前を変えて、皆が知らない土地で暮らすしかない。そうしないと、私達も食べていけない」


 イーサンおじさんの声も泣きそうだった。

 なんとなくだけど、理解した。俺は誰かに預けられるんだって。


「いやよっ! マシューだけは……」


 サリーおばさんの悲痛な声に耐え切れず、俺はドアを開けた。

 二人はすぐに目を丸くし、しまったというような顔を浮かべた。俺は泣きそうな顔を堪えながらいう。


「おじさん、おばさん。今までありがとう。でも、もういいんだ」


 二人が固まっている中、強がった俺は続ける。


「二人が苦しむことはないんだよ。僕は、その人の家に行くから」


 もううんざりだった。おじさんとおばさんを追い詰めるマスコミも、そして誰も助けて来ない街の人間も。


 誰も悪くない筈なのに、どうして追い詰められるのか? それだったら、俺一人が苦しめばいい。そう思っていた。


 サリーおばさんはワッと泣き出し、その場で崩れ落ちてしまった。替わりにイーサンおじさんが俺に近づき、そっと抱きしめてくれた。


「マシュー。すまない。お前の事は愛している。許してくれ」


「大丈夫。大丈夫だよおじさん」


 ポタポタと男泣きするおじさんの背中を、俺はそっと撫でた。

 続いて今度はサリーおばさんが俺を抱きしめる。


「マシュー聞いて。必ず、必ず迎えに行くから」


「うん」


 俺も泣き出しそうだった。


 その日の夜、俺達は久しぶりに三人で寝た。養親だが、俺からしてみれば二人は実の両親みたいなもんだ。大切な家族だ。


 最期に甘えられた俺は不安でいっぱいだった。


 もう二人にも、ミオにも会えなくなる。そう思うと胸が張り裂けそうだった。


 結局、その日の夜は一睡も出来なかった。


 朝、俺はおじさんと荷物をまとめ、出発の準備をした。


 ミオにサヨナラも言えないまま、俺は違う場所に引っ越す。あまりに急なことだが、もう止められない。


 俺は家を後にする時、サリーおばさんが最後にもう一度、強く抱きしめてくれた。


「マシュー。必ずまた会えるから」


 俺はおばさんの言葉に強く頷いた。そして外でエンジンを掛けて待っているおじさんの車に走り出し、急いで乗った。


 窓の外からおばさんがずっとこちらを見ている。俺も別れ惜しく、見えなくなるまでおばさんの姿を見ていた。


 “必ずまた会える”


 けど、その約束が果たされることは結局なかった。


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