10.ロサンゼルス国際空港へ
車は再びハイウェイを走る。来た時とは違い、妙な緊張感が車内に充満していた。慶太も秦も常に周囲に目を配らせており、互いに一言も発しなかった。
数分前の事だ。助手席に座る慶太が、車内で瑠璃に護衛に関する内容を問いかけた。すると瑠璃は護衛対象者に配られるマニュアルすらも渡されていなかった。そこでまずバーンズが用意していたボディアーマーを彼女に手渡し、着用するように促す慶太。
ボディアーマーは薄型でスーツの下に来てもさほど違和感がないが、瑠璃のような細身の身体ではどうしても気太りしているように見える。瑠璃は困惑しながらもしぶしぶカーディガンの下に着用して、慶太からざっくりとした説明を受けた。
護衛の対象である以上、瑠璃の行動はかなり制限される。プライベートな部分ではある程度干渉出来ないが、外に出ている以上は秦と慶太が常に付きっ切りで行動するものだ。それと思い付きで行動はなるべく避けてもらい、まず今から向かう空港内では可能な限りスムーズに飛行機に向かう趣旨を慶太は告げる。
淡々と説明する慶太に対し、瑠璃はどこか不満げというか腑に落ちない部分があったのだろう。横目で見ていた秦がそんな瑠璃の様子を察知する。
一通りの説明を終えた慶太は次に志摩に問う。
「志摩さん、お伺いしたいのですが空港にはヤダナギコーポレーションの関係者は居るのですか?」
「いいえ、おりません。空港までは私が送ります。そこからは御二人のみです」
視線を前から外さぬまま志摩は答える。
「それでは、空港のセキリュティなどに通達は?」
「VIP待遇として即座に乗り込める手配はしております。ただし、急な手配だったので、そこまでのセキリュティは割けないと……」
何度か目の『急』という言葉を聞く。まるで呪文のようだ。慶太は続ける。
「つまり、空港はかなり危険なゾーンですね。……谷田凪さん」
「え、うん」
慶太の問いかけに何か考え事をしていた瑠璃がハッと姿勢を正す。
「空港ではトイレや必要な物の購入は全て私達の指示だけに従ってください。それ以外の行動は慎んでもらいます」
「えぇ!? トイレも?」
素っ頓狂な声を上げる。慶太は静かに頷く。
「そうです。女性用には私達は同行出来ないので、障害者用のトイレを使用します。ただし、先に入り、安全を確認してからとなります」
瑠璃は怪訝そうな顔を浮かべる。慶太は特に気にせず続ける。
「それと飲料や食事はこちらが選んだものを口にしてください。渡されてきたものや嗜好されている――」
「そもそも、確かに私はヤダナギコーポレーションの社長の娘みたいになってますけど、私はただの女子高生です。確かに大企業の娘ですけど、命を狙われるようなことはしてませんっ!」
慶太の発言を遮り、不機嫌に頬を膨らませる瑠璃。確かに瑠璃の言う通りだと思う秦。
「そう仰られても、私たちはあなたを守る為に言われております。」
「だから慶太君、まずなんで私がボディガードなんて付けられなければならないの?」
馴れ馴れしい君付けに思わず頭を悩ませる慶太。次に口を開いたのは秦だった。
「確かに瑠璃ちゃんの言う通り。ただの大企業の女の子を送迎するには色々とおかしい点がある。いや、おかしすぎる所が多すぎる」
依頼者に対して“ちゃん”付けに今度は呆れる慶太。それは秦のモラルやコンプライアンスの姿勢に対してだが。そんな慶太の気持ちなど露知らずに秦は言う。
「もちろんたった二人だけの護衛という点がそうだが、なぜ会社自体が彼女の護衛に対して全力を入れない? 護衛の基本はまず守られる瑠璃ちゃんの同意の元、十分な話があるはずだ。さっきまでの話を聞いていると、それすらもないみたいだし」
慶太もこればかりは納得した。瑠璃も同様らしく、ルームミラー越しに志摩に視線を向ける。志摩は少し居心地悪そうに口を開く。
「それは……彼女が養子であることと…」
「と?」
秦の問いかけに志摩はさらに肩身が狭そうに言う。
「その、お嬢様にはこの様な事を申し上げるのは失礼ですが……役員でもあります英造様の奥様が納得されておりません。また奥様に賛同されている役員の方もおりまして……。会社自体で表立った護衛が出来ないのであります」
「それはつまり……お義母さんが、ということですか?」
瑠璃は先の英造での屋敷の事を思い出す。冷たく、一刻も早く屋敷から出て行って欲しそうな眼をした義理の母。そして同時に出てくるのはあの少女の憎悪のような眼差し。思わず瑠璃は身震いし、眉間を皺に寄せて伏目がちになる。その様子に気付いたのか、志摩が声音を変える。
「申し訳ございませんお嬢様、本当は慎むように言われていたのですが……」
慶太が「なるほど」と頷く。
「そうなると、本当の依頼主はヤダナギコーポレーションというよりかは、谷田凪英造
社長。つまり、瑠璃ちゃんのお父さん自身という事になるな」と秦。
「その通りでございます。お嬢様、気を悪くされないでください」
志摩が投げ掛けるが瑠璃の複雑な表情は変わらずだ。今までの発言から察するに、どうやら彼女自身もまだ、自分の状況が分からないみたいだ。秦は心の中で瑠璃に同情した。
「そう……ですか」
曖昧な返事をする瑠璃。その時、遠くの方にロサンゼルス国際空港が見え始めた。遠目からでも大きなジェット旅客機が離着陸しているのがわかる。
車は空港へ向かう分岐を曲がり、空港のロータリー内に入って行く。多くの車が流れていくその道で、秦と慶太は用意されていたサングラスを掛ける。
ロータリー内に入り、一般車両の昇降用の停止場へと車は徐行を始める。
「事情はどうあれ、私達は仕事をするのみです。では先ほどの説明通りにお願いします」
慶太がそう言うと、車が停止したのを確認するなり先に降りる。周囲の安全を確認した慶太が車内に向けて、「大丈夫です。どうぞ」と声を掛ける。
「……そうだよね。まずは日本に帰らないと」
気を取り直す瑠璃。そうでなくては。秦は心の中で瑠璃にエールを送る。
「志摩さん、指示があるまでは空港から車を出さないで」
「はい、仰せの通りに」
「それじゃあ行くか」
まず秦が降り、慶太同様にサングラス越しに周囲を警戒する。多くの人で賑わうロータリーを見回し、不審な人物がいないことを確認すると瑠璃に降りるように促す。
車を降りた三人は、志摩に見送られながら空港内へと歩き出す。